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第三章 第1話「ダンジョン災害研究班参次官補の女」

 名刺には『文部科学省研究開発局防災研究課新型災害研究班参事官補』と長い肩書が書かれていた。桐島志保という黒いスーツ姿の女性は、エリカと同じくらいの年齢に見えた。

 ストレートの長い髪にフチなしの眼鏡で、役所の人間と言うよりホテルとかのフロントにいるほうが似合っている。少なくとも俺にはそう思えた。しかしどうも俺のところに現れる美人は、面倒なことばかり持ち込んでくるような気がする。

「ダンジョンについてと、言われましても……」

 俺はもう一度、長い漢字の羅列を目で追いながら言った。ついでに桐島さんのスカートの裾から見えている黒いストッキングの膝にも視線を向けていた。

「空吹さんは、西3丁目ダンジョンについてよくご存じだと伺いましたので」

 確かに。ダンジョンへの入場回数ならたぶん誰にも負けない。と言っても『西3』に限ってのことだけど。

「全部……最深部まで行ったわけじゃありません。まだ最深部が何層なのかもわかっていませんし。基本僕は、中の掃除とか迷った人の救助とかをやってるだけですから」

「存じ上げています」

 桐島さんはにっこり笑って言った。エリカみたいに何かがまとわりついてくるわけじゃなく、りりんみたいに眩しくてクラクラするような笑顔じゃない。普通の女の人の笑顔はこんなものなのだろう。そう言えばあの後りりんはどうしたのだろう。

 俺は家の冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して、桐島さんの前に置いた。お袋はパートだし珪子は学校に行っている、いちいちお湯を沸かすのも面倒だった。

「恐れ入ります……」

 桐島さんはそう言ってから、ショルダーバッグからクリアファイルを取り出した。俺の前に差し出されたA4のプリントには、ダンジョンの名前とその所在地が書きこまれていた。

「日本には、ダンジョン管理保安協力会で把握なさってるだけでも38のダンジョンがあるそうです。そのうち協力会で保安業務を行っているダンジョンが19箇所だそうです。その中で、専属スイーパーがいらっしゃるのは立川市の西3丁目公園だけだとも」

 どうやら桐島さんはダンボの事務局にも行ってきたらしい。そこで俺のことを聞いたのだろう。

「保安協力会様では、入場者の氏名ですとか個人情報に関することは答えていただけませんでしたので、周辺情報だけでも聞かせていただけると助かります」

「周辺情報って、何ですか?」

「一日平均どれくらいのパーティが入場するのか。その目的は何なのか、帰還したパーティーの目的達成率はどうなのか……どんなことでも知りたいのです。お話を録音させていただいて良いですか?」

「あ、はい……あの。この、防災って……地震とか台風とかのことですよね? それが、何でダンジョンのことを調べるんですか?」

 桐島さんが、また「普通な笑顔」を浮かべた。

「私の名刺に、新型災害班と書かれているの。ご覧になりました?」

「はい」

 俺はもう一度名刺と桐島さんの膝に目をやった。

「新型災害と言うのがダンジョンのことです」

「ダンジョンが、災害ですか?」

 まじめな探索パーティーが聞いたら怒るだろう。連中はダンジョンを精神鍛錬の場と考えている。山で滝行をするみたいに、神聖な場であり決して汚してはならないと言っている人もいるくらいだ。

「西3丁目に近い、高琳寺のダンジョン。あそこは危険だからお寺が閉鎖していますよね?」

 あそこのダンジョンは霊園の中にあって。時々スライムなんかが出てきてお墓参りの人に危険が及ぶのと、探索パーティーが勝手に霊園に入ってくるので閉めてしまったのだ。

「ダンジョンが原因の土地の陥没、ダンジョンが発生したために地下水面が変動して川の水が減少したりとか。いろいろなことが起こっています、現在それを国土交通省と協力して調査しているところです」

「ああ……前に、国土交通省の人が西3丁目に入ってスタックして。救助しましたよ」

「あら、あれはやっぱり空吹さんだったのですね?」

 そして国土交通省の人を案内していたのがエリカだった。役所は裏で全部つながっているのだろうか? そしてそこで思い出した。エリカがダンジョン博士とやったオンラインの会議。あの録画で参加者の顔は映っていなかったけど、その中に確か桐島さんの名前があった。

 するとエリカは桐島さんを知っているのかも知れない。俺があの会議記録を見たことを話しても良いのかどうかちょっと考えて、やめておいた。これまでエリカと関わって、あまり良いことがあったためしがない。

「これまで、ダンジョンの中でどんなモンスターに出会いましたか?」

「スライムなんかは数えきれないほど、ワームもかな……ネズミにハサミムシ。土の中にいる虫なんかが巨大化したのはほとんど全部です。あとはゴブリン、かな?」

「ゴブリン?」

 桐島さんがちょっと目を見開いて訊き返した。

「今のところ、3匹。全部ガラスにしました」

「ガラス? えーと、あの……ゴブリンって、ゲームに出てくる小人みたいなモンスターですよね?」

「そう……ですね」

「どうして、それがガラスになるんですか?」

「えーと……スキルです、俺の」

「スキル……とは、何ですか?」

 桐島さんはダンジョンそのものの知識はあるけど、まだ知らないこともあるらしい。俺はガラス化したスライムの粉を見せながら桐島さんに説明した。

「えーと、人間がダンジョンに入るようになってしばらく経つと、何て言うか……ダンジョンのパワーを受けて、『マナ』って呼ぶんですけど。そのパワーで特殊な能力が使えるようになるんです。俺のスキルは、ハンマーでぶっ叩いたモンスターをガラスに変える能力です」

 桐島さんは口を閉じたまま、何度か瞬きを繰り返した。

「確かに、特殊な能力ですね。でも……言っていいですか?」

「は?」

 そこで桐島さんは、ちょっといたずらっぽいような笑みを浮かべた。

「空吹さんは、僕よりも俺って言った方が似合ってますね」

 ちょっと意表を突かれて、俺は何と答えていいのか困った。

「いまお幾つなんですか?」

「16です……もうすぐ17」

 それから付け足した。

「事情があって、高校は休学中です」

「そうですか……空吹さんがダンジョンに入ろうとなさった動機は、何ですか?」

 何だか面接のような質問だった。

「親父が……ダンジョンの中に変ったガラスの材料を探しに行って、行方不明になったからです。死んだにしろ何にしろ、どうなったか手がかりを見つけないと保険も降りないんで……」

「お父様を探しに?」

「そうです。好きで入ったんじゃなく、必要があったから入ったんです」

「ダンジョン冒険者の逆ですね。彼らは用もないのに、好きでダンジョンに入る」

 俺はちょっと意外なことを聞いた気がして桐島さんの顔を見てしまった。今まで冒険者をそんな風に考えたことはなかった。

「ゲームの世界なら、ダンジョンに入ってモンスターを倒せば経験値とゴールドが手に入る。宝箱を見つけて開ければアイテムが手に入る、でも実際のダンジョンには何もない……それなのに、どうしてダンジョンに潜る人がいるのかしらね?」

「配信なんかやる人は儲かるみたいですよ。俺が入るときにも、必ずひと組は配信のパーティに会いますから」

 りりんも「配信で元が取れる」と言っていた。もっともりりんはチャンネル登録者数が100万人くらいいるからだが。

「配信は、どんな内容でしょうか?」

「モンスター狩りです。バカでかい虫やネズミと戦うところを見せるのですけど、見てる人間が一番期待しているのはパーティがやられるところです」

「やられるって……死ぬ?」

「そうです。もう削除されましたけど、今までで一番再生回数が伸びたのは横浜のダンジョンで、でかい肉食コオロギの群れに出くわして4人が全滅したのです」

 ちなみに俺は見ていないし、絶対見たくない。虫に喰われて死ぬなんて、最悪中の最悪な死に方だ。

「今でも、そのコオロギはいるの?」

 さすがに桐島さんも顔がこわばっている。

「巣にドライアイス放り込んで退治したって聞きました」

「凍らせた?」

「二酸化炭素で窒息だそうです」

 桐島さんが安心したようなため息をついた。

「ダンジョンは、ホーンテッドマンションではないと言うことですね」

 タダだし並ぶ必要もないけど、桐島さんが言ったのはそんな意味じゃないだろう。


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