スライムはガラスにして、砕かないで放置だった。どうせ13層にあるカートが一杯なので今日は回収して行くのは無理だ。
「ひっ……」
悲鳴を上げそうになって、あわててりりんが口をふさいだ。天井にでかい虫、エリカがレーザーポインターで虫の眼を照らして追い払う。
「りりんちゃん、どこまでもつかなー?」
エリカがからかうように言ったので、りりんがむくれた顔をした。
「ねえ。りりんちゃん……りりんって呼んでいい?」
「はい」
「ユーチューブで見たんだけど、パルクール? あれ、危なすぎない?」
「あ、ありがとうございます。あの……失敗したり泣いたりしてるのは、アンチの人が『ざまあ』って見て行くんで。再生回数稼ぎです」
エリカが一瞬笑い声を上げて、あわてたように口を塞いだ。
「いいわー、逞しくて。あれっていつ始めたの?」
「小学生のときからです」
後ろでボソボソ話されると気が散るけど、俺はつい聞き耳を立てていた。
「ブレイクダンスじゃなくて、どうしてパルクールなの?」
「最初は上の兄がブレイキンやっていて。私もやろうとしたんですけど、筋力足りなくて。ヘッドスピンやろうとして首の筋おかしくして……でもパルクールだと走る勢いでスキル行けますから」
「スキル?」
俺はつい口を挟んでしまった。それで危なく壁を滑り落ちてくるスライムを見落とすところだった。
「ヴォルトとかスピンとか、技のことです」
「バック転しながら2回ひねりとか?」
砕いてしまわないように慎重にスライムを叩きながら聞いてみた。
「ギャップならできます……高い所から飛び降りながらだったら」
「その高さって言うのが、半端ないのよ……」
エリカがちょっと首を左右に振りながら言う。
「圭太。自分の身長より高いところから飛び降りるの、できる?」
「いや……」
俺はちょっとダンジョンの天井を見上げて答えた。
「たぶん、できない」
飛ばないと死ぬようなことにならない限り、絶対やらないだろう。
「りりんはそれ、走ってきてポーンって跳んじゃうの。着地して転がって、それでまた跳ぶの……それウェラブルカメラで撮ってるから、見てて悲鳴出たわ」
後ろから話し声と足音が近づいてきた。後から入って来たパーティーが追いついてきたようだ。俺たちは脇によって道をあける。りりんがキャップを目深にかぶって通路に背を向けた。
経験が浅くてそそっかしいパーティーだと、前を行く別のパーティーに後ろから襲いかかってしまうこともあるのだ。だから道を譲るときにはモンスターと勘違いされないように、後からパーティーが来る方にライトを向ける。
追いついてきたのは男4人のグループで、全員がハイブリッドこん棒で武装している。尖ったエッジの金属片を挿しこんであるから、あれは完全に致死性の武器だ。4人は俺たち男一人女二人の変則パーティーをじろじろ見ながら奥へ進んで行った。
「まさか13行ったりしないだろうな……」
連中の重武装とその雰囲気で、俺はちょっと嫌な予感がした。
「あんまり荒らさないでほしいわね」
エリカも嫌な予感がしたらしい。
「カート持って行かれなきゃ、俺はいいんだけどね」
俺たちは少し足を速めて4人組について行く。モンスターに遭遇したのか、時々怒鳴り声や騒々しい音が響いてくる。
「あいつらが13西に入って、ボコスカ始めたらさ。どうする?」
俺はエリカに聞いてみた。
「まあ……巻き込まれないことね」
当然の返事だった。
「パーティーが、13にいる連中を……えーと、やっつけちゃったら?」
「ダンジョンの中だけで終わってしまったら……まあ、誰も知らないことだからね。でも、もしやられた側……パーティの方でも13に籠もっていた方でも、地上に出てきて訴えを起こしたら。刑事事件にはできる」
「傷害事件、ですか?」
りりんが聞くと、エリカはちょっと首を傾げた。
「あくまでモンスターだと思ったと言い切れば、過失致死傷とかになるかも知れないけど……詳しいことはわからないわ」
この間、俺は奴らにハンマーを当てなかった。でも一緒に行った尾形たちは二人を袋叩きにしていた。呻き声を出していたから死んではいないと思うが。
ダンジョンスターのマップではエリア10に入っているけど、前を行くパーティーが遭遇したモンスターはまだ6匹だった。スライムを相手にしないで放置しているからだけど、それでも少ない。
「このダンジョン、枯れてきたのかな?」
「モンスター、少なくなった?」
俺のひとりごとにエリカが答えた。
「枯れるって……どんな状態ですか?」
りりんの声は、小声でもよく響く。
「ダンジョンの中には『マナ』っていう正体不明のエネルギーが存在するの。それがモンスターを作り出したり人間にスキルを与えたりするらしいんだけど、それはどうやら有限なのね。マナが尽きるとモンスターは出なくなって、ダンジョンはただの洞窟になる」
「スキルも、使えなくなるんですか?」
「たぶん、理屈の上ではね。確かめた人がいるかどうかわからない」
「あたしのスキルって、どうやって確かめたらいいんですか?」
「手当たりしだい、いろんなこと試してみるしかないわね……圭太、あんたはどうやってスキルに気がついたの?」
「寄ってきたスライムをハンマーで追い払おうとしたら、ガラスになった」
俺はダンジョンの奧から視線をそらさないで答えた。
「まあ、偶然気がついたってことね。その人の経験や技術を特異に増幅するのがスキルだって意見もあるし」
「ユーチューブで。ただの棒なのにモンスターをスパッと斬っちゃうスキル見ました」
「ああ……俺も見た、その人は居合いの有段者……あ、止まって」
通信ケーブルにスライムがまとわりついている。軽く叩いてガラスにしておく。
「んー」
りりんが考え込んでいた。
「あたしの経験と技術って……なんだろ?」
「今でさえパルクール人間業じゃないからね。りりんはあと何が得意?」
エリカがフェイスシートで首筋を拭いながら聞く。このあたりから温度も湿度も高くなって、湿気が肌にまとわりつくのだ。
「あと歌か、そば打ちかな?」
「あら。あなたそば打てるの?」
エリカがりりんにフェイスシートを一枚渡しながら言う。
「まだお店でお客さんに出せるレベルじゃないですけど」
「『スライムそば』とか……それは気持ち悪いな」
容赦なく叩き殺された虫の死骸を2つまたぎ越えると、エリア13に入っていた。先の方では何か気配があって、話し声も聞こえる。さっきの4人パーティだろう。
「何かありましたか? 俺ダンボの掃除屋です」
4人が立ち止まっているのはまさに「13西」の入口だった。
「入ろうかと思ったんだけど、ひどい臭いなんでね。どうしようか相談していた」
一人が入口を指して言った。確かにカビ臭いのは前よりひどくなっていた。エリカの後ろでりりんが咳きこんでいる。
「誰かが産廃か何かを持ち込んだらしいです。それで私たちが確認しに来ました」
エリカが言った。確かに中はゴミだらけだった。
「産廃? ひでーな。ダンジョンを何だと思ってるんだ?」
ぶつぶつ言いながら、4人はさらに奧層へと向かって行く。
「さーて。度胸決めて突入するわよ」
エリカがワークパンツの大きなポケットから革の軍手を取り出しながら言った。
「俺が先に入る」
俺は大ハンマーを胸元に構えてゆっくりと進んだ。通路に入ってすぐに、カートがそのまま残っているのがわかった。入っているのはスライム砂だけだから、誰も持っていくはずがない。
「逃げた……かな?」
ホールに踏み込んで、俺は慎重に中の様子を伺った。誰も出てこない。逃げたのだろうか。
「いない?」
エリカが俺の横に来て言った。
「いないみたいだ」
「まあ、その方がありがたいわ」
エリカがやたらに明るい懐中電灯でホールの中を照らして、写真を撮っている。
「圭太はりりんのスキル、見てやって」
「どうやって?」
「……さあ?」
肩をすくめて、エリカは棚の間を通り抜けて奧へ入って行く。俺は、不安そうに立ちつくしているりりんを振り返った。
「ここでそば打ちはできないから、歌ってみる?」
りりんが困ったような笑顔を浮かべた。
エリカはホールの中に残された物を見て確かめ、写真に収めていく。
「やっぱり、キノコだ……」
栽培用のプラコンテナ、その中に残っているおが屑のような培地を手に取ってエリカは言った。これは間違いなく、ダンジョンマッシュルームを栽培していた作業場の跡だ。
小さなプレハブ小屋をのぞきこみ、一歩中に入ろうとした瞬間だった。入口の横にあるゴミの山が動いたように見えた。
「おらあ!」
ゴミの中から男が飛び出してきた。背後からも抱きつかれ、エリカは悲鳴を上げる余裕もなく口を塞がれた。
『こいつら……』
男4人に手脚を押さえつけられ、パーカーを引き脱がされた。その下のTシャツに手がかかり、裂ける音がした。
「おとなしくしろ! 殺しはしない!」
もがいていると、耳元で男が言った。その息が臭い。
「早くしろ! ライト、ライト!」
小さなLEDライトがエリカの顔を照らしつける。ベルトが外されて、ワークパンツが引き脱がされる感触。ビデオカメラが向けられた。
『ちょっと。また……これ?』
スライム拘束も嫌だが、不潔な男たちに押さえ込まれるのはもっと嫌だった。しかも、どう考えても服を脱がされるだけで済むはずがなかった。男の手が太腿を撫で回し、パンストが裂ける感触。エリカの全身に鳥肌が立った。
『圭太……助けて』