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第二章 第7話「死神りりん」

 少し前まで肌を刺すようだった風が、気持ち温くなってきていた。俺がダンジョンに潜ることを始めてからもう半年ほど経つのだ。そのうちダンジョンの中が涼しく感じるようになって、涼を求めに入るやつらも出てくるかも知れない。

 今日の俺は大ハンマーしか持って来ていない、スライム粉をぎっしり積んだカートを13層から引き上げてくるのが目的だからだ。

 それだけだったら3時間もあれば出てくることができるけど、りりんのスキルが何なのか調べるのには時間がかかりそうだ。それに加えてエリカの仕事が厄介だってことは、もう最初から予想がついている。

「おはようございまーす!」

 よく通るりりんの声、一人だけで電車に乗ってやってきたらしい。今日は暗いグレーのブルゾンにジーンズ、丈夫そうなワークブーツ。軽装備だけど、戦闘さえしなければ機能的な探索ファッションだ。

「ダメになってもいいように、ぜんぶGUで揃えました」

 クラクラするような笑顔を俺に向けてりりんが言う。この間、攫われそうになった時に着ていた物は洗濯しても嫌なニオイが取れなくて全部捨てたそうだ。

 ホーンが鳴った。赤いインプレッサ、エリカの車だ。公園横のコインパーキングに入っていく。

「13に行って、こないだ置きっぱにしたカート取ってくる」

 杉村のおっさんに言ってドックタグを3枚受け取った。ボランティアだと言っているけど、杉村のおっさんはほとんど毎日朝から晩までここのテントにいる。年金生活だと言っていたけど、こんなことやっていて大丈夫なのか心配になってくる。

「ええー? その子また入るの? 大丈夫かい?」

 おっさんは先週、意識不明でダンジョンから引きずり出されて救急搬送されるりりんを見ていたのだ。本気で不安そうな顔をした。

「芸能界渡ってきたから、見た目よりうんと強いみたいだよ」

 俺が言うと、りりんが声を上げて笑った。

「おはようございまーす」

 りりんよりはるかに色っぽいエリカの声。ワークマンで売っていそうなシンプルな青い厚手パーカーに、ゴワゴワしたカーゴパンツ。

「13層、けっこう暑いしジメジメだよ」

「その時は脱げばいいのよ」

「トイレ大丈夫? 今のうちに行った方がいい」

「はい!」

 りりんが公園トイレに走って行くと、エリカが俺に顔を近づけて言った。

「何かあったらどうする気?」

「ついてきただけでガイド引き受けたわけじゃないし、それにあそこにいたのはモンスター以下だ。たいした奴らじゃないよ。エリカこそ、自衛の何か持って来てるの?」

 緑の連中がまだいるとしたら、レーザーポインターで追い払える相手ではない。

「特殊警棒とパチンコ玉」

 パチンコ玉は相手に投げつけるのだろう。りりんは戦力にならないから、4対2でエリカの飛び道具があっても不利だ。でも前回、俺は緑の二人を死ぬほど脅している。俺とハンマーを見ただけで逃げてくれるかも知れない。

「エリカは、何しに行くんだ?」

「まあ……現場検証、かな?」

 俺はちょっと考えて、聞いた。

「やっぱり……何かを、作ってた?」

「その可能性は高いと思ってる。まあ、どーせ逃げ出した後だろうけど。だからと言ってほっとくわけにも行かないしね……」

「それって、何なの?」

「たぶん、非合法な農作物」

 ケシなんかの植物を洞窟の中で栽培できないことは俺でもわかった。だったら何なのか。

「だから、あの子を連れていくのは困るの」

 『俺だったらいいのか』と文句を言いたかったけど、半分見栄でエリカに一蓮托生を誓ってしまったのだ。もうなるようになれだ。

「彼女の……楡坂時代のあだ名、知ってる?」

 俺はちょっとたじろいで、それから頷いた。りりんの、楡坂時代の写真を探して検索したのだ。りりんの名が並ぶSNSのリンクを開いて、うっかりそこの記事を読んだ。でもそこはりりんに対する誹謗中傷のオンパレード、見るんじゃなかったと後悔している。

 そこで知ったあだ名が『死神りりん』。

 りりんが楡坂46の二期生として加わってから、メンバーがたて続けにケガや病気で活動を休止するトラブルが続いたのだ。極めつけが、りりんと仲が悪いと噂されていたメンバーがパニック障害で活動を休止したことだった。

 それ以来、りりんはアンチのファンから『厄病神』『死神りりん』と呼ばれるようになってしまった。

「読んだ……でも、あだ名が何か関係あるの?」

「公式の、チャりんジって企画。バックナンバー見たんだけど、もうメチャクチャやってるのよ」

「……どんな?」

 そこでりりんがトイレから出て戻ってくるのが見えた。

「彼女にパスもらってない? 見てみな、あたし恐くて途中で見るのやめた」

「お待たせしましたー!」

 エリカが何を言いたかったのかわからないまま、戻ってきたりりんにドックタグを渡した。

「13に行って、具体的に何するの?」

 エリカにもドックタグを渡しながらもう一度聞いてみた。

「お嬢さんを襲った奴らがまだいるなら追い出す、いなくなっていたら遺留品を調べる」



 その、りりんを襲った『緑の奴ら』はまだ13西に居着いていた。逃げたくても逃げ途はない、それに逃げたらどんな報復が待っているのかわからない。追い払うはずのパーティに逆にボコボコにされても、目的を果たすまではここで粘るしかなかった。

「あの女じゃなかった……」

「ちっこかったしな」

「すっごい良いニオイした……」

 内輪もめをする気力もなくなって、4人は手に入れ損なった女のことをぼそぼそと話すだけだった。当然その女が『輝沢りりん』だったことなど気がついてもいない。

「脅すだけじゃダメだよな」

「殺す気でかかっていかないと」

「殺すなって、言われてンだろ」

「女だけだろ? 一緒に来たヤツまで殺すなって言われてない」

「でも棒しかないぜ」

「なんか、あそこのゴミの中に金づちみたいのなかったか?」

 4人はのそのそとホールの隅にあるごみ溜に向かった。上には自分たちが食べた食料の袋とペットボトルが積み上がっているが、その下を掘ると衣服やいろいろな物が出てきた。

「これ、まだ着られねえか?」

「やめとけ、どうせカビてる」

 それは13西に入り込んでロストになった探索者たちの持ち物だった。人間の方はモンスターの餌になって骨すらも残っていないのだが、幸か不幸か4人はそのことを知らされていなかった。

「たいしたモノねえなー」

 外では軽犯罪法にひっかかるので、探索者たちもナイフだの包丁だのを持ってくることはできない。もちろん剣や槍なんて、そもそも手に入れることが不可能だ。

 よく使われるダンジョン用武器は、丈夫な木の棒に金属の部品をはめこむハイブリッドこん棒だ。持ってくるときは別々にしておいて、ダンジョンに入ってから組み立てるのだ。その中でも大きな歯車をはめ込んだこん棒はかなりの破壊力がある。

 だがダンジョン探検について全く無知であった彼らには、それらダンジョン専用武器はただのガラクタにしか見えなかった。

「金づちって、これか?」

 一人が取り出したのは、柄は長いもののヘッドの部分は細くて四角い物だった。

「こんなの。昔の、パチンコ台の釘叩くヤツだろ」

 武器になりそうもないそれは、すぐにゴミ山の中に放り込まれた。よく見れば、その黒ずんだ柄には「空吹硝子工芸」と書いてあるが見えたはずだった。

「バカみたいなコスプレはもういい」

 溝淵竜也が言った。森本大輝と組んで、最初にりりんを捕まえてスズキとマツムラにパスしたのだ。その後空吹圭太と一緒に来た尾形たちにタコ殴りにされたが、大ハンマーで殴り殺されそうになって失禁した二人よりは精神的ダメージは少なかった。

「あの女が来たら。今度は奥まで引き入れて襲う」

 あのとき。ホールの入口から奥まで引き入れる間、『ちっこい女』は悲鳴を上げっぱなしだった。それで追いかけられて、簡単に取り返されてしまったのだ。次は、女が自分で奧までやって来るのを待つのだ。


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