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第一章 第6話「ガラスの誓いだとか格好いいモノじぇねぇ!」

 ガラス化したスライムの砂をふるいにかけて、異物をより分けたら水で洗う。乾燥するともう白っぽい砂にしか見えない。それに炭酸塩と石灰を少し混ぜる。混ぜる割合はその時しだいで、決まったレシピはいまだにない。

 るつぼに入れて電気炉で融かす。温度は900℃、普通のガラスは1200℃じゃないと溶けないけど上手く調合したスライムガラスはこの温度で液体になる。オレンジ色の液体になったスライムガラスを鉄枠に流し入れてヘラで均等に整える。

「ふう……」

 今日4枚目のスライムガラスだった。今週の目標まであと10枚、月末の納期までにあと40枚作らなくてはならない。

 俺は顔に流れてきた汗を濡れタオルで拭う。外は肌寒いくらいなのに工房の中は40℃近い。タオルを濡らしてもすぐ乾いてしまう。俺はペットボトルの水を飲みながら、ガラスから目を離さない。

 600℃から700℃で、液体だったガラスが固まり始める。サーモグラフィーで温度を確認しながら、俺はヘラをハンマーに持ち替えた。

 ある温度でスライムガラスは縮み始める。放っておくと巨大な水滴みたいになるのでその都度ハンマーで叩いて伸ばす。スライムガラスだと何となく気持ち悪いので『打ちガラス』という名前で納入している。

 500℃になるともう縮まなくなるので、あとは冷却台に移して冷ます。形は変わらないのに表面がゆっくり変化する不思議なガラスの板になる。光を透かすとすごく綺麗なのでカフェとかの内装用に人気がある。うちからデザイン事務所への卸値は1枚450円だ。

 空のるつぼに調合した砂を入れようとしていたとき、工房の扉が少し開いて妹の佳子が顔をのぞかせた。

「お兄ちゃん、お客さん来てる」

「だれ?」

「御崎エリカって人」

 俺は胸の中で舌打ちをした。ここの住所をエリカに教えた記憶はないけど、検索すればすぐに見つかる。あんな美人とどこでどうして知り合ったのか、母も佳子も知りたがるだろう。

 昨日エリカが提案した『二人で組んで13西を目指す』に、俺は返事をしなかった。考える時間をくれとだけ言ったのだ。13層まで行って戻ってくると、へたをすると一日潰れる。ガラスの納期を抱えているので、どう考えても今月中に決行するのは無理だった。

「こっち、来てもらって……」

 家族でやっていた小さな工房だから応接間もギャラリーもない。でも融けたガラスさえ出ていなければ、工房の中は普通の温度だ。

「お邪魔しまーす」

 エリカは明るいグレーの上着と短いタイトスカート、黒いストッキングにハイヒール。ダンジョン探検の格好をしていても目立つのに、今日は俺が気後れするほどの美人オーラを放っている。

「まだちゃんとお礼言ってなかったこと思い出したの」

 お菓子なのだろうか、どこかの綺麗な紙袋を置いてエリカが笑った。それだけで俺の心拍が倍ぐらいに跳ね上がった。

「お礼なんか、いいのに……」

「ケイタは良くても私はよくないの」

 エリカはそこにあった丸椅子に勝手に腰を下ろして脚を組んだ。ナマ脚より数百倍エロい黒ストッキングの腿が思い切り露出して、俺は一瞬で体中の血が沸きかえった。

「スライムをガラスにするのも見てみたかったし」

 エリカが工房の中を見回しながら言った。

「スライムの粉に炭酸塩と石灰を混ぜて、電気炉で溶かす」

 俺はエリカの太腿を視界と脳から閉め出して、ちょうど材料を入れたるつぼを取り上げて見せた。

「普通のガラス材料は千度以上じゃないと融けないけど、スライムのは9百度で融ける。融けたら枠に流して、延ばして叩いて板ガラスに仕上げる」

 まだ熱いガラスの中から一番温度が低い一枚を取り上げてエリカに見せた。

「普通のガラスみたいな固さなんだけど、叩いたときにできる模様が変化するんだ」

 エリカが立ち上がってガラスを透かし見た。表面の模様の変化は温度が高いほどはっきりわかる。

「ホントだ。すごい! どうして?」

「わからない。スライムだからじゃないかな?」

 今日はハイヒールだから俺とそんなに背が変わらない。そのエリカが体を寄せてきたので、香水なのかねっとりと濃い香りが俺にまとわりついた。俺は胸が苦しくなってちょっとエリカから離れてしまった。

「そんな露骨に逃げないでよ。あたしとあんたの仲なんだから」

 意味深すぎる言葉で、俺は顔が熱くなった。

「親父が世話になってたデザイン事務所が、これを300枚買ってくれる」

「へえ、すごいじゃない……そうか、それで13層に潜ってる余裕がないってことか」

 そこへ、佳子が紅茶を淹れて持って来た。

「妹さん?」

「佳子です」

 佳子はぺこんと頭を下げて出て行く。

「あいつが高校に行く学費を稼がないとならないんで……お袋にばかり苦労かけるわけには行きませんから」

 俺はるつぼを電気炉に入れながら言った。

「300枚ってさ……材料足りるの?」

 エリカを貼り付けにした特大のスライムでも、砕いてクラフト袋に入れたら半分ほどにしかならなかった。それでたぶん6枚か7枚くらい。

「いま融かしてるのが、エリカの服喰ったやつ。在庫はあと40キロかな……足りない」

「ふーん……」

 エリカが袋の中を覗きこみ、いきなり袋の中に手を突っ込んで、布きれを引っ張り出した。

「あ……」

 説明されるまでもなかった、エリカの下着だったものだ。

「そう言えばさ……」

 エリカが、何となく邪悪な微笑を浮かべて俺を見上げた。

「あたしの胸の型になってたガラスと、あたしからむしったガラスのパンツ。あれどうした?」

 俺の心臓が一回脈を打ち損なった。

「もう、使っちゃった?」

 両方とも元の形を保ったまま、俺の部屋に保管してある。別の意味で使いはしたけど。

「まあ、いいんだけどさ……」

 エリカは再び椅子に腰を下ろして、見せつけるように脚を組んだ。

「この間の続き」

 エリカは布の切れ端をバッグにしまって、俺を見上げて言った。

「あたしと組まない? あんた一人じゃスライム集めはかどらないでしょ? 効率よく狩れるところに案内してあげる」

「いや……でも……」

 エリカが座ったまま体を乗り出して『ずいっ』と俺に顔を近寄せた。

「あんたはガラスの材料がどっさり手に入るし、上手くいけばお父様の捜索もできるじゃない? あたしには頼もしいパートナーができる」

「エリカは……それだけ?」

「前に言ったでしょ」

 エリカが目を細めて、妖しく微笑んだ。少し見下ろしたエリカの胸元、ブラウスの隙間から魅惑の谷間と黒っぽいブラまで見える。俺は心臓が破裂しそうに脈打って、息も吸えないほど胸が苦しくなった。

「あたしも13西には用があるって」

「どんな用が?」

 俺の頭のどこかで、よくわからない警戒信号が点滅していた。

「嫌なの?」

 でもエリカは考える余裕を与えてくれない。

「イヤ、とかじゃ……なくて……」 

 エリカの唇が、ニヤッと邪悪な笑みを浮かべた。

「妹さんに、ダンジョンのこと話したの?」

「ただスライムやっつけて、人救助して砂取ってきたって……」

「ふーん……」

 邪悪な笑みを浮かべたままで、エリカが体を引く。

「お兄ちゃんの活躍、あたしが話してあげてもよくってよ。スライムに襲われたとこ、助けてもらったこと……でも下着全部剥かれちゃったって」

「ちょっ……」

 俺は、全身の血が一気にどこかへ抜けたように感じた。

「それにあたしはただ痛い思いしてたのに、ケイタはそれ見て爆発してたでしょ」

 やっぱり、バレていた。

「やめろよ」

「別に、お嫁に行けなくなったって泣いて訴えるわけじゃないわよ」

 エリカは作業台に肘をついて、ちょっと体を引いた。意識してやったのだろう、タイトスカートがさらにずり上がって、黒いストッキングのランガードまで露出した。

「どうする? ケイタ」

 どうするもこうするも、逃げ道はなくなっていた。

「エリカは……」

 黒ストッキングの脚から無理に視線を引き剥がして、俺はエリカに訊いてみた。

「13層に何があると思ってる?」

「わからない。正直に、わからないの。それを調べたい。だから国交省の案内も引き受けたのよ」

 俺はエリカのエロオーラで沸騰している頭で懸命に考えた。俺一人であと100枚以上分のスライム粉がすぐ手に入るか? 無理だ。時間がかかっても俺一人で13層の西に入ることができるか? 無理だ。エリカと組んで何か都合の悪いことがあるか? 特にない。

「あたしと組むことに何か問題ある? 圭太」

 『だが断る』なんて言えるはずもないし、言おうとも思わなかった。

「いや、ない」

 何か気の利いたことを言いたかったけど、何も思いつかなかった。

「約束して欲しいことがふたつあるの」

「なに?」

「決して裏切らないこと。卑怯なことををしないこと」

「逃げないこと、見捨てないこと」

 俺は自分からハードルを上げた。後で後悔するかも知れないけど、こうでもしないと気が済まない。

「あたしを置いて逃げてって、言うかも知れないわよ」

「たとえエリカが死んでても、連れて帰る」

「頼もしいわ」

 エリカが微笑んで手を差し出した。

「よろしく。パートナー」

「膝ついた方がいい?」

「それはプロポーズだ。成人してからにしろ」


 つづく

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