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第一章 第2話「迷子の美女を探し出せ!」

 ダンジョンの入口が見えなくなる距離になったあたりで、必ずスマホに通知が来る。

『ダンジョンスターを起動させましたか? 必ず現在のポイントで画面をタップして位置を登録してください』

ダンジョンルート記録アプリ『ダンジョンスター』は、ダンボのメンバーが作ったダンジョンルート記録システムだ。それをゲーム製作会社が買い取って、コメントとか書き込めるようにして凄く便利になった。

 でもダンジョン潜り自体が合法でも違法でもないグレーなことなので、アプリが原因で何か起こっても文句は言えない。

 それにダンジョンなのだからルートは時々変わる。天井に取り付けてある通信用ケーブルやアンテナがないルートに入り込んで、気がつくとスマホが圏外になっていることがある。枝分かれを何度か進んだ後だと、元のルートに戻るのにすごい時間を無駄にする。

 で、第2層に進んだところで、俺は記憶にないしダンジョンスターにも記録されていない分岐に出くわしてしまった。岩の破片がたくさん落ちているので、これは昨日の夜とかに発生したルートに違いない。

「えーと……」

 ここはゆるく右に曲がっていく一本道だったのだが、最後に曲がりがきつくなったところに新たなた分岐が出現している。足元にばかり気を取られていると、ゆるやかな曲がりの方に進んで本来のルートから外れてしまう恐れがある。

 俺は毎日来ているからすぐ気がついたけど、時々しか来ない人間だとわからない。しかもまだ一本道な第2層の最初だから、初心者でない限りいちいちダンジョンスターで確認して歩く奴もいない。つまりそこそこ慣れた探検者がひっかかるトラップだ。

「まずいな、これ」

 俺はダンジョンスターの現在位置画面をタップして、ポイントにコメントを書き込む。『新しい分岐が発生してる。右が本来のルート、左はどこへ行くか不明』

 こうやってDSI(ダンジョン保安情報)を書き込んでも、わざわざ未開拓のルートに飛び込んでいく奴らはいる。新ルートを最初にクリアすれば、そいつの名前がルートにつけられるのだ。まあ得られるのはただそれだけで、名声が残ると言えなくもない。

 でも名声が残ったところで金が貰えるわけではないし、名が残っても死ぬのはもっとバカバカしいので俺は新出現ルートになんか絶対に入らない。するのは状況の報告だけだ。

 LEDライトで新出現ルートの入口をよく確かめる。うっすらだが、そっちに入って行った足跡が見える。3人組か2人組か、その前に入って行った役所の連中なのかまではわからない。俺はそのことをダンボの事務局にメールした。すぐに返事が来る。

『そこらでスタックしているかも知れないから、ちょっと入って見てきて』

 何が待ち受けているのかわからないと言うのに、ずいぶん気軽な頼み方だ。

「マジかよ……」

 『スタック』とは、ケガをしたりルートを見失って立ち往生になった状態を指す。ダンジョン内で同じ場所に留まって15分経つとダンジョンスターが自動で安否コールを送ってくれる。救助要請の『#』を押すか、何も応答しないとその位置が他の入場者に通知される。

 通知はされるけど、それで他の入場者に救助の義務が発生することはなくて。『もし余裕があったら助けてやって』程度の意味。

人手があれば……今の俺がまさにその『人手』なのだが、そのうちダンボが無料で救助に来てくれる。もしかすると助けたいのは人命よりもレンタルのポケットWi-Fiなのかも知れないが。

でも他のパーティに救助されると、見返りを要求されることもある。要救助者が金を払いたくないために救助を断って、トラブルになることもあるので義務化しないのだ。

「どーすっかな……」

 事務局の頼みだからと言って、ボランティアでもない俺が従う理由はない。でも今俺が行かなかったら、入った連中は出てこられないかも知れない。ダンジョンスターに救助要請は表示されていないけど、たぶん新ルートに踏み込んだらすぐに圏外になる。

 そのころ。圭太がいる場所から数百メートル奧では国土交通所から派遣された三人の男性が、元厚生労働省職員の御崎エリカに案内されてダンジョンの深部に向かっていた。

「御崎さんは、どれくらいダンジョンを経験なさっているのですか?」

 一行の上司であるらしい男性がエリカに聞いた。名刺には国土情報課の課長と書かれていた。

「まだ2箇所を調べただけです」

「マトリ(違法薬物取り締まり官)が、なぜダンジョンに?」

「マトリじゃありません。事情があって、今は退職しています……ダンジョンの中は、実質治外法権の状態です。警察も嫌がって入らないくらいですから、違法薬物の密造グループなんかが仕事をするのにはちょうど良いんですよ」

「厚労省を退職して、今は何をなさっているんですか?」

 後ろから聞かれて、エリカはちょっと苦笑した。

「私が必要なときだけ、こっそり呼び出されます。何をするかは言えません……国土交通省さんは、ダンジョンで何を?」

 エリカが持つライトの反射で、課長の顔がうっすら苦笑を浮かべたのが見えた。

「まあ……管轄争いみたいなものです」

 その一言でエリカは理解した。国土交通省と文部科学省の間でダンジョンの管轄権を巡っていろいろ揉めていると聞いていた。国交省はダンジョンの構造などを把握して、先に実績を作ってしまうつもりなのかも知れない。

「まだ、何も出てきませんが……こんな物なのですか?」

 後ろを歩いている技官が聞いた。通信ケーブルにスライムがまとわりついていたのだが、彼は気がつかなかったようだ。

「まだ2層ですから、前日に狩り尽くされていたらほとんど出ないと思います。出るのはゴーストくらい?」

「ゴースト? 幽霊も出るのか?」

 課長に聞かれて、エリカはちょっと首を傾げた。

「モンスターなのかどうか微妙なのですが……ここでは体が透けた女の子が目撃されているんです。そして、なぜかここ以外では目撃例がないんです」

「ダンジョンに入ってくる人は、何を目的に?」

「純粋に探検です。ゲームじゃありませんから宝箱なんて落ちていませんし、モンスターを殺してもゴールドを貰えることもありません。危険リスクは高いのに、得られるものは満足感だけの遊びでしかありません」

「信じられない」

 後ろで呻くような声がして、エリカは苦笑した。エリカも、命がけでダンジョンに潜って遊ぶ連中の神経が理解できなかった。

「ユーチューブで生配信とかやって稼ぐのはまだ判りますけどね」

「それだよ」

 課長が呻くような声で言った。

「総務省の総合通信局は、ダンジョンに通信回線を敷設する許可を出していないんだ。ダンジョンがどこの所轄になるのか、いまだに決まっていないからね。なのに通信各社はどんどん勝手に回線の敷設を進めている」

「勝手に?」

 エリカもそんな事情は初耳だった。

「表向きは緊急事態の対応用となっているが、実際は動画配信にしか使われていない。回線使用料が稼げるから、各社で競争のようになっている。どこかが歯止めを掛けないと、誰も責任を負わないで危険ばかりが大きくなる」

 もっともな話しだった。話しをしているうちに、洞窟は急な下りになった。それに、やたらに岩のかけらが散らばっている。

「何かおかしいわ。もう第3層になるの?」

 エリカがあわててスマホを覗くと『位置情報が受信できません』とメッセージが出ていた。

「うそ……皆さんのダンジョンスター、作動してます?」

「いや。位置情報が受信できないになってる」

 全員のダンジョンスターが現在位置を見失っていた。エリカが天井部分をLEDで照らすと、どこかを這っているはずの通信ケーブルの保護管が見あたらない。

「もしかして、未発見ルート?」

 西3丁目公園からのルートは、確か最近第25層まで通信ケーブルが引かれた。現在のところかなりの深層まで通信が可能なので人気が高く、その分サービスが行き届いているはずだった。その通信ケーブルがないのであれば、このルートは新しく出現したのだ。

「引き返しましょう。これはまだ新しい、通信が未整備のルートです」

 エリカが言うと、国交省の3人は顔を見合わせた。

「危険度は?」

 課長にそう聞かれても、エリカは判断することができない。

「わかりません」

 そう答えるしかなかった。

「ここまで平穏無事だったから、もう少し先まで行ってみようじゃないか」

 課長が言うと、他の二人は不安そうに頷いた。役所だから上の言うことには従うしかないのだ。

 坂道はしだいに急になって、おまけに壁や天井から剥がれ落ちた岩のかけらが一面に散らばっている。足を滑らせたら無事では済まない危険な状態だった。

 エリカは何度も引き返すことを勧めようとしたが、課長がどんどん先に行ってしまうので声をかけることもできなかった。

「あ……」

 急坂を下りきって少し経ったころ、ダンジョンスターが位置の再測定を始めた。接続が回復したのだ。

「えっ? えっ?」

 エリカは思わず悲鳴のような声を上げた。

「13層? なんで?」

 まるでワープだ。ショートカットして途中を10層も飛ばして下りてきたらしい。

「どう言うこと?」

 課長に聞かれても答えられるはずがなかった。

「わかりません。ショートカットの新ルートだったようです」

 ダンジョンスターの画面には、『モンスター遭遇ポイント』を示す輝点がいくつも表示されている。しかもエリカたちが今いる『西半分』と呼ばれる範囲はロスト(行方不明)が何人も出て、立ち入り禁止エリアに指定されているのだ。

 エリカを含めて全員がモンスターと戦闘することなど考えてもいなかったので、武器になるような物は何もない。持っているのはモンスターの目を眩ませて追い払うレーザーポインターだけだった。

「ここはモンスター遭遇の可能性が高いです。今来たところから引き返すのが安全です」

 そう言いながら通路を照らし出して、エリカは絶望感に襲われた。見える限り岩のかけらに覆われた急な上り坂がずっと続いている。しかし課長の指示がなくても、みんな一斉に岩を踏んで坂を登り始めた。

「どんなモンスターが出る?」

「ここは人型の奴も出るみたいです。恐竜みたいな巨大トカゲも目撃されています」

 そう説明しながら、エリカは全身に鳥肌が立っていた。

「あっ!」

 一番後ろを歩いていた技官が足を滑らせ、手をついたところの岩が崩れた。人の頭ほどもある岩が剥がれ落ちて転がり落ちて行く、激しい音がダンジョンに反響した。

「急いで! 急いで上がって! 隠れてください!」

  ダンジョンの中で大きな物音を立ててしまったら、できるだけ急いでそこを離れる。そして充分に離れたところで息をひそめて、何かが近づいて来ないかしばらく様子をうかがうのだ。

 だがエリカたちにはその余裕もなかった。登ってきた下方向が明るくなり、いくつもの影がゆらめいたのだ。動物や虫系のモンスターならば灯りを必要としない。あれは人か、人のような物なのだ。人間のものとは思えないうなり声、それがすごい勢いで追いかけてくる。

「先に、逃げてください!」

 手頃な岩のかけらを拾い集めながらエリカは叫んだ。

「ここであいつらを食い止めますから、逃げて!」

「いや……でも……」

 そんな言葉を交わしている間にも唸り声は近づいてくる。

「早く! 早く行って!」

 そう叫んでエリカはLEDライトを左手に持ち替え、消した。そこに立ち止まって課長たちのライトが遠ざかるのを見届け、唸り声がやってくる方に向き直った。灯りが見えた、懐中電灯ではないがぼんやりとした白い光。

 LEDの光のようだが、そんなものをモンスターが使うだろうか。だが考えている余裕はなかった。

「フッ!」

 気合いの息を吐きながらエリカは腕を横に大きく振った。

『シュッ!』

 風を切る音。ミニトマトほどの岩のかけら、それがやってくる光源を直撃した。

『ぱきん』

 何か軽い物が壊れる音、白い光が一つ消えて怒りの唸り声が上がった。

「フッ!」

 エリカが次々と岩のかけらを投げるたびに光は消えていく。4個の灯りがすべてなくなると、唸り声は遠ざかって行った。

「行って……くれた?」

 洞窟に何者かの気配が消えたのを見はからって、エリカは灯りを打ち落とした場所に行ってみた。そこにあったのは、百均で売っていそうなプラスチックのLEDランタンだった。およそ人間ではなさそうなやつらの持ち物とは思えない。

「やっぱり、ね……」

 エリカはしゃがみ込んで壊れたランタンを拾い上げ、何かに納得したように頷いて言った。

「たぶん、ここにも奴らが入り込んでるわね」

「そうさ」

 男の声が間近で聞こえた。立ち上がる余裕もなく、重いねがねばした物体『どさっ』とエリカに覆い被さってきた。


 壁をなぞって見つけた岩のひび割れ、そこに登山用の鉄ペグを押しつけて、スライム退治に使ったハンマーでたたき込む。音が出るのはこの際仕方がない。地面が土だとテントを張るときのプラペグが使えるけど、ダンジョンでは土の地面はめったにない。

 ペグを打ったら、そこに土木工事に使う「ミズイト」って呼ぶ黄色くて固い丈夫な糸を結びつける。結び方も独特で、決まったようにやらないと必ずほどける。

 ミズイトは取っ手が付いたロールになっていて、目立つ黄色い糸は270メートルある。百均で売っているようなビニール紐だと、岩に擦れて簡単に切れる。そして切れるのは必ず分かれ道のところなのだ。

 俺はロールを右手に持って糸を繰り出しながら慎重に新ルートを進む。糸には25メートルごとに目印が付いているので、ダンジョンスターがなくても距離だけは正確にわかる。

 目盛りを数えて125メートル、途中で2箇所の枝分かれがあった。二つとも、戻ろうとすると迷い込む逆方向の分岐だ。二つ目の分岐で何気なく奥を照らしてみた。新しい洞窟なので、岩のかけらが一面に散らばっているだけでまだスライムもいない。

 完全に時間のムダをさせられている。腹立ち紛れのため息をついてカートを強く引っ張ると、ホイールが岩の突起で跳ねた。まだ少ない荷物が中で跳ねてガシャンと大きな音が出てしまった。すると分岐の奧から人の声が響いてきた。

「ミサキさんか? おーい! こっち!」

「やめろ……」

 俺は思わず声が出た。あれではまるっきりの素人だ。ダンジョンの中で何か音がしたら動きを止めて一切物音を立てない、それが原則だ。

 何が音を出したのか判らないのに声を出したら、その『何か』を呼び寄せることになる。配信の連中でも戦闘時以外は大声を出さないのだ、たぶんあれは役所の人たちだろう。

「いまそっちに行きます! そこ、動かないで!」

 仕方ないので奧に向かって叫んだ。ダンジョンの中で迷うと、なぜか必ず危険な方に向かってしまうのだ。

 ミズイトを岩にひっかけないようにしてゆっくり奧へ進むと、やがてLEDライトの白い光が目に入った。そこにいたのは男が3人、名簿には4人の名前があったような気がした。

「あんたら、朝入った役所の人?」

「そうです、向こうの方でおかしな奴らに襲われて。一人、はぐれてしまった」

 そう言った人が着ているジャンパーの胸元、『国交省』と書いてある。何しに入って来たかなんて聞かなかった。俺にはどうでもいいことだった。

「君は、保安協力会の人か?」

「違うけど……まあ、そんなところです。出口の方まで案内しますから、ついてきて」

 俺はミズイトを巻き取りながら来た路を戻る。あいかわらず何も出てこない、この役所の人たちはどこで何と出くわしたのだろう。

 やがてトラップくさい分岐のところまで戻ってきた。

「この黄色い糸たどって行ってください、糸の終わりまで行けばダンジョンスター繋がりますから」

「一緒に来てくれないのか?」

 聞かれたけど、入口まで一緒に行ったところで面白くもないし、ガイドでもない道案内でダンボに手当てなんか請求できない。そんなことで時間をムダにしたくなかった。

「俺はもう一人の人、探してみます。こっちから出てきたんですよね?」

「たぶん、そうだと思う。御崎エリカ、女性だ」

 女性が一人ではぐれたのでは、生きている可能性は薄い。不安そうに去って行く3人のライトが視界から消えると、俺は新ルートの先へ向かう。

「あれ?」

 俺はふと気がついた。確か入口のおっさんは4人の中に「詳しい人がいる」と言っていた。今の3人はどう見ても素人だったから、御崎って女性がダンジョンに詳しいのだろうか。

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