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第73話 (侑希side)

お母さんが用意してくれた少し高めの服を着て、それから成人した時に買ってもらったお気に入りのネックレスをつけて、いつもより落ち着いたメイクをして。お父さんに送ってもらって着いた、明らかに良いところだと分かる料亭で、わたしは初めて彼に会った。

第一印象は優しそうな人、という感じだっだ。ぱっちり開いた二重に、笑うとできるえくぼ。あまりかっちりとはセットされてない髪の毛は歩くとサラサラと揺れて、なんとなくわたしの中では素直そうな人だと思った。

2人で席につくと彼は、「はじめまして」と優しく微笑んだ。あんなに男の人が嫌いになったはずなのに、彼の低めの声はどこか心地よくて不思議な感じがした。

「はじめまして」

「侑希さん、ですよね。僕は七瀬っていいます。財前七瀬。」

「七瀬、さんですか」

「はい、珍しい名前でしょ。よく苗字と間違えられるんです」

言われ慣れているのか、わたしが思ったことをするすると話す七瀬さんとの会話は、無理するところがなくて話しやすかった。おたがいの仕事の話や小さい頃の話など、いろいろ話しているうちに、予定していた2時間はあっというまに過ぎてしまった。

「それじゃあお家まで送って行きますよ。今日は車で来たので」

「悪いですよ。そんなに遠くないので大丈夫です」

「いえ、もう少しお話ししたいですし」

そう言われると断ることもできなくて、わたしは彼の車に乗り込んだ。この人はそういうことを言い慣れてるんだろうか。あまりにもスマートな誘導に、男性経験がほとんどないわたしは恥ずかしいことに1人で面食らっていた。彼はそんなわたしを終始、優しい笑顔で見つめていてくれたのだった。

「それじゃあここで良いですか?」

「はい、ありがとうございました」

「では、また」

そう言ってダラダラと話すことなく、彼はさわやかな笑顔を向けて帰って行った。良い人だと思った。優しくて、誠実で、わたしには勿体無いくらいの人だと思った。

家に着くなり部屋の奥からお父さんが出てきて、開口一番に「どうだった?」と聞いてきた。わたしは「すごくいい人だった」と答えた。本当に心からそう思ったのだ。それを聞いたお父さんは嬉しそうに頷いて、「また会いたい?」と聞いてきたので、わたしは特に断る理由もないと思い、うんと頷いた。


自分の家に戻っても、凛にはなんとなくこのことは言わないでおいた。悪いことはしてないはずなのに、後ろめたい気持ちに近いものがあった。凛はもしかしたら、わたしがまだ凛のことを好きだと思っていると考えたからだ。だからと言って彼女はそんなわたしの気持ちに応える気はないようだし、それなら私だって好きにしていいじゃないかと思ったのだ。

ベッドを2つに分けてからは、凛とは完全に普通の友達の距離感になっていたので触れ合うこともなければ、キスやハグをすることも全くと言っていいほどなくなっていた。これからわたしがそういうことをする相手はおそらく七瀬さんで、凛とは完全に友達戻ったのだと思うと、どこか寂しい気持ちと一緒にやっと前に進むことができたのだと誇らしい気もしていた。


それから半年くらいかけて、私は七瀬さんと月に1、2回の頻度で会った。七瀬さんは有名企業で働いていて、私よりずっと忙しそうだったのだが、それでも貴重な時間を私に咲いてくれてると思うと、なんだか愛おしく思えてくるのだった。彼は4歳年上で、背は私より20センチくらい高かった。誕生日はクリスマスの日で、「誕生日プレゼントがいつもクリスマスと一緒で、小さい頃はそれが嫌で嫌でたまらなかった」と笑いながら教えてくれた。

そしてその年のクリスマスは、初めて男の人と一緒にデートに出かけることになったのだった。それが決まってからすぐに凛に、「今年のクリスマスは一緒に過ごせない」と伝えると、彼女はいろんなことを察したのか、はたまた前みたいに悪い男につかまったとでも思ったのか、「分かった。楽しんでね。でも、危ないことはしちゃダメだよ」と言って送り出してくれた。その優しさがほんの少しだけ痛かったのは、わたしがまだ凛のことを好きなのか、七瀬さんのことを好きになりきれてないのか。私には分からない。







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