季節は驚くほど早く巡っていき、ついこないだまで年末だったはずなのに、気付けば冬が終わろうとしていた。
天気のいい日にベランダに冬用の羽毛布団を干して部屋に戻ると、侑希はクローゼットを開いていた。
「なにしてるの?」
「そろそろ冬服をしまって春服を出そうかな、と思って」
「もうあったかくなってきたもんね」
侑希は春休みを迎えて毎日友達と楽しく過ごしてるみたいだ。私の方はというと、相変わらず仕事が忙しくてなかなか家のことが手伝えず、ほとんど侑希に頼りっぱなしになっている。せめて休みの日くらいはと思って今日もこうして布団を干しているのだが、侑希が私より早く起きてほとんどの家事を終わらせてしまっていたのだから、本当に頭が上がらない。
ベランダから部屋に戻った私はそのままキッチンに向かい、ポットにカップ2杯分の水を注いだ。
「侑希はなにのむー?カフェオレ?紅茶?」
「んー、紅茶でお願い。あ、そういえばこないだ実家から送られてきたお菓子があったわね。それ食べる?」
「いただこうかな」
お揃いのカップにティーバックをいれてお湯を注ぐ。紅茶のいい香りが部屋いっぱいに広がって、私は思わず深く息を吸った。キッチンにやってきた侑希も同じだったみたいで、「いい匂いね」と優しく微笑んでから送られてきたお菓子を棚から取り出した。
リビングに戻り、2つのカップとお菓子を机に並べる。お休みの日の午後は時間が過ぎるのがゆったりで、春を迎える直前の心地よさに思わず目が閉じてしまいそうになる。
2人並んだソファー、横に座る侑希はカップに口をつけると「あつっ」と小さく声をあげた。
「ふふっ、まだ熱かった?」
「ええ、そうみたい」
「侑希は猫舌だもんね」
「凛だってそうじゃない」
「そうだけど、侑希みたいに焦って飲んだりしないもん」
「はいはい」
そう言った侑希は癖なのかまたカップに口を近づけて、直前でハッと気がついてコップを遠ざけた。その様子を面白そうに見ていたからか、目が合うと不服そうな顔で睨まれてしまった。
「そういえばさ、侑希もうすぐ誕生日だよね。20歳の」
「そうね。あと1週間くらいかしら」
「来週の土曜日だよ。その日はお仕事休みだよ」
「え?どうして?」
「たまたまだよ。レッスンの予定だったんだけど、予定がずれたみたいで変更になったんだ。だからその日は一日中一緒にいられる」
本当はナツさんに無理言って、わざわざその日を空けてもらったのだが、私がそういう時あからさまに顔が明るくなった侑希がひどく愛おしかった。
「そうなのね」
「へへっ。侑希はどっか行きたいところとかある?」
「んー、そうねぇ。今パッと浮かぶところは特にないけど…」
「そっか。じゃあその日のプランは私が考えるよ。楽しみにしといて?」
「わかったわ」
侑希が用意してくれたお菓子を口に放り込んだ。サクサクのスノーボールはあっという間に口の中で解けて、優しい甘みが口いっぱいに広がる。用意した紅茶で流し込むと、幸せがお腹いっぱいに広がっていくのを感じた。
仕事と収録に追われているとあっという間に一週間がすぎていき、気づけば侑希の誕生日は明日に迫っていた。本当はネットでネックレスを買おうと思っていたのだが、家ではほとんど侑希と一緒にいるのでバレないように選ぶ時間はなかなか取れず、私は仕事が終わると同時に1番近くのアクセサリー屋さんに駆け込んだ。
初めて来たのだから何を見ればいいか分からずに戸惑っていると、店員さんがやってきてくれた。
「えと、誕生日にネックレスを送りたいなって、思ってて……」
「お相手はどういった方でしょうか?」
「その、えっと…。大事な人、です」
「分かりました。それではこちらへどうぞ」
優しく案内してくれる店員さんに促されるままに、私はショーウィンドウの前に向かった。自分でも稼いでいるからお金はそれなりに出せるが、あまり高いものだと侑希も困ってしまうかもしれない。
色々話しながら選んでいると、店員さんは思いついたように奥から小さな箱を取り出してきた。
「こちらはどうでしょうか?結構シンプルなデザインになるのですが、」
パカっと開かれた箱の中に入っていたのは、小さな宝石がひとつだけのシンプルなネックレスだった。
「わっ、きれい…」
あんまり大きすぎない宝石も、主張しないチェーン部分も、どれも侑希にひどく似合いそうだ。
「これにします」
「はい、それではラッピングしますので、少々お待ちください」
会計を済ませてしばらく椅子に座って待っていると、店員さんがやってきて小さな紙袋を渡された。それを受け取ると私は深々と頭を下げて、すぐにお店を飛び出した。
家に帰ると侑希は買い物に行っているのか姿が見えなくて、テーブルにはいつも通り2人分のご飯が用意されていた。私は買ったプレゼントをレッスン用のバッグに隠して、何事もなかったかのようにソファーに座った。明日のプランは結構前から立てていたから、きっとうまくいくはずだ。スマホを確認しながら、私は侑希の帰りを待った。
誕生日当日、私は珍しく侑希の声ではなくタイマーの音で目を覚ました。起きてすぐに慌てて消したから、侑希は少し寝返りを打っただけで起きることはなかった。
なるべく音を立てないようにベッドを出て、のそりのそりとキッチンに向かう。そこで軽めのサンドイッチとコーンスープを作った。侑希が起きてくるのは何時になるのか分からないが、いい匂いで案外早く起きてくるかもしれないと思っていると、ガチャっとキッチンの扉が開いた。
「おはよ…」
眠い目を擦っている侑希の頭には寝癖がついていて、いつも私の方が起きるのが遅いから、滅多に見られない光景に少し胸がキュンとなった。我ながら単純だなぁと思う。
「おはよう、はやいね。もうちょっと寝ててもよかったのに」
「いい匂いがしたから、起きてきちゃったの」
「ふふっ。じゃあ食べよっか」
私たちは2人並んで、簡単に朝ごはんを済ませた。皿洗いをしている間に侑希に洗面所に行かせる。帰ってきた彼女はいつも以上に可愛くて、髪の毛が緩く巻かれていた。
「侑希、かわいい」
「はいはい、凛も顔洗ってきて」
本気で思って言ったのに、彼女には軽くあしらわれてしまって私もいやいや洗面所に向かった。顔を洗ってメイクを済ませて、寝癖を治すスプレーをした。そのまま洗面所で着替えも済ます。今日着るのは最近新しく買ったニット。それにジャケットを羽織る。外はだいぶあったかくてしかも晴れてるから少し暑いかもしれないけど、夜寒くなった時に侑希に貸せるように。
そのまま洗面所をでると、同じようにおしゃれをした侑希と目があった。褒めてもまた適当にかわされてしまいそうだからここはあえてニコッと微笑むだけにしておいて、私は荷物を入れたバッグを手に持った。
2人で駅に向かって歩いていく。今日は映画館に行って、そのあとは駅の近くで適当にショッピングをしてから予約していたところにご飯を食べにいく。最後は家に帰って買っていたプレゼントを渡す予定だ。分からないけど、きっと侑希ならなんでも喜んでくれる気がする。
「今日あったかいわね」
「そうだね。もう春だもんね」
「凛は結構厚着ね。帽子もかぶってるしマスクもしてて、その格好暑くないの?」
「うん、大丈夫だよ」
身バレ防止のために帽子とマスクは欠かせなくなってきた。横に女の子を連れてる時はなおさらだ。流石に暑くなってきたのでジャケットは脱いで手に持っているが、それでもニットは結構暑かった。
「そういえば、今日は何見るの?」
「侑希が前におもしろそうって言ってたあのアニメのやつ。めちゃくちゃ人気らしいから、私も見てみたいなって思って」
「あー、あれね。楽しみ」
2人でおしゃべりをしているとあっという間に映画館に着いていた。キャラメルと塩のポップコーンとジュースを買って、映画館の中に入る。
2人並んで座って映画が始まった。本当は手を繋ぎたかったけど、うまい理由が思いつかなかったのでやめておいた。どうしてか映画の内容はほとんど頭に入ってこなくて、私はずっと横に座る侑希のことばかり考えていた。彼女がどんな気持ちなのか、私の贈るプレゼントにどんな反応をしてくれるのか。自分で買ったというのに、ネックレスをプレゼントされて重いと思われたらどうしようとか、急にそんな不安な気持ちが押し寄せてきた。
友達の距離感って、普通はどれくらいなんだろう。
「凛、りんってば、」
「ん、え?」
「映画終わったわよ。出ましょう」
「あ、うん」
いつのまにか映画は終わっていたみたいで、侑希に手を引かれるようにして私たちは映画館を出た。
「映画どうだった?」
「すごく面白かったわ。特に最後はあんな結末になると思ってなかったからびっくりした」
「そうだよね」
「凛、ちゃんと見てた?」
「見てた見てた」
「そうなの。ならよかったわ」
ぼーっとしていたのはどうやら侑希にもバレてしまっていたようで、そんなことを言われてしまった。
しかし買い物と食事を済ませた頃には、私の頭の中はネックレスを渡すかどうかのことで頭がいっぱいになっていた。