ガチャっと音がして、廊下の扉が開いた。ドアの向こう側には、心配そうにこちらを見つめる侑希の姿。
「凛、何かあったの?」
「うん、ちょっと」
「ちょっとじゃなさそうな顔してるわ」
そう言いながらこちらに歩いてくる彼女。手を引かれてリビングに戻ったが、私の頭の中は罪悪感でいっぱいだった。
「大丈夫?」
不安げにこちらを覗き込んでくる侑希。平常心を装ってるつもりだが、今の私はそんなに動揺してるように見えてるんだろうか。
「大丈夫、じゃないかも」
「話せないこと?」
「私が女の子って、バレたかもしれない」
「え?」
無言でさっきのスクショを侑希に見せる。彼女はしばらくそれを見つめた後、俯いてる私の背中をさすってくれた。
「これは、どこから情報が漏れてるってこと?」
「いや、まだ分からない。もしかしたら適当に言ってるって可能性もある。でも私は本当は女の子だから、この疑惑が広がってしまって炎上した時に、このことを否定できないんだよ…」
「なるほど。でも今は、何もできないってことね…」
「うん。それで、さっきマネージャーに連絡したんだけど、その時、家族以外に私が女の子だって知ってる人はいるかって聞かれて、侑希の名前出しちゃった。ごめん…」
「なんでそれで謝るのよ」
わけがわからないという顔をして、侑希がこっちを見る。
「だって、こんな友達疑うようなこと、」
私がそう言った瞬間、パシッとほっぺが侑希の両手で挟まれて無理やり彼女の方を向かされた。
「凛は、私のこと疑ってるの?」
真っ直ぐにぶつかる視線。私はほっぺを挟まれたまま慌てて首を横に振った。
「そんなわけないっ。ただ、言わないのは、ダメな気がして…」
私がそう言うと侑希は優しくふふっと笑って、私のほっぺを解放した。
「そういう凛の真面目で馬鹿正直なところ、私は好きよ。私の名前を出したからって、それだけで疑われてるなんて思わないわ」
「でも…」
「逆に、私が気づかないうちにどこかで情報が漏れてる可能性だってあるんだから。そんなことで落ち込まないで」
「侑希…」
彼女は私よりずっと大人だ。
仕事のことを理解してくれて、応援してくれて、いつも1番欲しい言葉をくれる。
将来、この人のパートナーになれる人はどんなに幸せなんだろうか。もし、彼女のパートナーになれる人が現れたって、私は絶対に渡したくないな。
そんなことを考えていれば、愛おしさと一緒に寂しさが込み上げてきて、私は思わず横にいる彼女にぎゅっと抱きついた。
「わっ、」
「ありがと、侑希」
やっぱり、好きだな。
ちょっと恥ずかしがり屋で冷たい態度をとっちゃうところも、そんな態度の裏は優しさで満ち溢れてるところも。全部が好きで好きでたまらない。
もう、めんどくさいこと全部手放して、侑希とずっと2人きりでいられたらいいのに。
ふわっと、急に私の中に現れたそんな考えに頭を奪われながら、侑希の首元に鼻先を寄せる。
落ち着いたいい匂いがする。侑希の匂い。
私の人生は、侑希さえいれば十分なんじゃないか。アイドルもしながら好きな人とも一緒にいようなんて、そんな考えはもしかすると欲張りすぎかもしれない。
「ちょっと。くすぐったいわ」
ぽんぽんっと嗜めるように頭が優しく叩かれて、私は渋々首元から離れた。
「もしこれがバレたらさ、もうアイドル辞めなきゃだ」
「辞めるの?」
「ガチ恋してるファンもいる男性アイドルグループに、1人だけ女の子がいました。なんて、絶対大炎上するだろうからさ。続けらんないよ」
「そうなの、ね…」
「あーあ。なんかもう、こんな面倒なことになるなら、アイドルなんてやるべきじゃなかった」
そう口にして、少し後悔した。この気持ちは嘘じゃないけど、100%の本心じゃない。
なんてね、って言っていつもみたいに誤魔化そうとしたところで、横にいた侑希が口を開いた。
「私の好きな凛は、そんなこと言わない」
怒りと呆れを含んだ初めて聞く彼女の声に、私は咄嗟に顔を上げた。こちらを睨んでる彼女と目が合う。
「じょ、じょうだ」
「冗談でも、そんなこと言わないで」
ピシャッとそう言い捨てられて、私は項垂れたまま小さく「ごめん…」と言った。
しばらく気まずい沈黙が流れる。
私が動かないままでいると、侑希がソファーを立った。どこに行くんだろうと彼女の姿を目で追うと、彼女は私の前で止まってそのまま膝立ちになった。
グイッと顔が近づいて、至近距離で目が合う。
「目つぶって」
「え?」
「いいから」
意味が分からなくて、言われた通りに目をつぶった瞬間、ちゅっとほっぺにキスが落とされた。びっくりしてすぐに目を開くと、満足げに笑う侑希の顔が目に入ってくる。
「な、なんで…」
「別に。落ち込んでたから励ましてあげようと思って」
「だからって、そんな、」
「自分は簡単にやってきたくせに、やられたらそんな顔するのね」
さっきまで怒ってたくせに、急にキスをしてくるなんて。侑希が何を考えてるのか、私には全く分からない。
「怒ってないの?」
「怒ってるわよ。ただ、凛が「アイドル辞める」なんて言うくらい追い詰められてるってことだから。応援してあげるのがファンの役目でしょ」
「ゆきぃ〜」
目の前にいる彼女に、勢いよく抱きつく。
「もっかい応援してくれたらもっと頑張れる」
「もうっ、調子に乗らないの」
「だめ?」
渾身の上目遣い攻撃をすれば、恥ずかしそうな「ばかっ」という声が聞こえてきて、私の頬に柔らかい感触があった。
「ねぇ」
しばらく抱きついたままでいたのだが、突然声をかけられて、私は侑希の方に顔を向けた。でも彼女は少し俯いてて全く目が合わない。
「どうしたの?」
「その、凛が良かったらだけど…」
「ん?」
手を膝の上でいじいじとしてる侑希を、可愛いなと思いながら見つめていると、彼女は覚悟を決めたようにこっちを見てきた。
「一緒にうちに住まない?」
「えぇっ?!」
急な提案に驚く。そりゃ帰ってきて毎日侑希に会えるなら、そんなに嬉しいことはないけど…。
「ど、同棲ってこと?」
「まぁ、ルームシェア、的な?」
「あ、そうだよね。ルームシェア、だよね…。でも、なんで急に?」
「なんと、なく…?」
「なんとなくでも嬉しいよ。お母さんに聞いてみるね」
「うん」
きっと、余裕がなさそうな私を見て気遣ってくれたんだろう。今はまだ何も返せないけど、いつかきっと…。
自分の中で何度も繰り返したその言葉を、私は今日も頭の中で思い浮かべていた。