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第47話 (侑希side)

着替えを済ませた後、2人で入念に日焼け止めを塗って、私たちは外へ出た。凛は身バレ防止用の帽子を深く被っていて、なんだか遠い存在になった気がした。

「あっつ〜。やっぱ、夏の昼に外歩くのはやばいね」

「うん。こんなに暑いなんて思ってなかったわ」

多分今は、一日で1番暑い時間帯だろう。立っているだけでダラダラ汗をかきそうな暑さに、急ぎ足で近くにあるカラオケへ向かった。


「やっと着いた〜」

汗をハンカチで拭きながら狭い階段を上り、受付をして個室に入る。ようやくそこで、凛は被っていた帽子を脱いだ。彼女がフルフルと顔を振ると、サラサラの髪の毛に少しだけついていた帽子の癖があっという間に無くなった。


机を挟んで向かい合わせに座ると、凛が曲を入れるタブレットをこちらに見せてきた。

「最初に歌う?」

「ううん。凛が歌って」

「おっけ〜。じゃあ、1番得意なやつから行っちゃおうかな。歌ってる間に自分が歌う曲選んどいてね」

凛が一曲目に入れたのは、誰でも知ってるラブソングだった。座ったままマイクを握った凛は、ニコニコしてこっちを見ながら、前奏に合わせて身体を揺らしていた。


そして歌い始めた途端、目の前の女の子は、アイドルの星空蒼に変わった。生の歌声を聞くのは、2年ほど前に行ったライブ以来。懐かしくて心地良い歌声が鼓膜の奥に響いて、ビビッと鳥肌が立つのが分かった。


凛の姿に見惚れてるうちに、あっというまに一曲目は終わっていた。

「そんな見つめられたら、なんか恥ずかしいんですけど」

「やっぱり生は凄すぎて…」

「どう?惚れ直してくれた?」

ニヤッと笑う凛に、私は素直に頷いていた。惚れ直したなんてもんじゃない。私はもう一回、恋に落ちた。

私の反応に凛は嬉しそうに目を細めた後、おもむろに席を立った。

「どうしたの?」

「隣いってもいい?」

「え?い、良いけど…」

席を詰めると、私のすぐ隣に座ってきた凛。もう肩が触れてしまいそうな距離に、ドキドキしている私を置いて、彼女は特別気にする様子もなくタブレットを手に取った。

「次歌う曲決めた?」

「あ、忘れてた…」

「何が歌いたい?」

「特にないわ。それより凛の歌をもっと聴いてたい」

「えぇ〜。私は良いけど、せっかくだから侑希も歌おうよ。それか、私と一緒に歌う?」

「うん。そうするわ」


何がいいかな〜と、タブレットをスクロールしている凛。少し暗い個室の中で、私は彼女に夢中だった。

「これは?知ってる?」

「うん、歌えるわ」

「じゃあこれにしよ」

2人で歌って、凛が歌って、交互に歌っていくうちに気づけば3時間が経っていた。でもその間中、凛は一度もスターセーバーの曲を歌うことはなかった。


ラスト10分の電話がかかってきて、その時に私は思い切って彼女に尋ねた。

「凛、なんでスターセーバーの曲は歌わないの?」

「あ、聴きたかった?」

「当たり前じゃない」

「もうスターセーバー推すのやめたって言ってたから。それに今まで何回も聞いてるだろうから、飽きたかなって思って」

「そんなことない。聴きたいわ」

「じゃあ歌うね」

残りの10分間は、私のためだけのライブだった。歌ってくれた3曲はスターセーバーの歌の中ではマイナーな曲だったけど、私の大好きな曲ばかりだった。

幸せすぎる空間で私はずっと、楽しそうに歌う星空蒼を見つめていた。


帰り道。外は来た時に比べてマシにはなったものの、相変わらず茹だるような暑さだった。

「どうだった?セトリは」

「最高だったわ。好きな曲ばっかりで」

「ふふっ、知ってるよ」

自慢げに微笑んだ凛。

彼女より歌が上手いアイドルなんて探せばたくさんいるんだろうけど、私の1番大好きなアイドルはきっと一生でこの人だけなんだ。

そう思うと、隣で歩いてる私まで誇らしい気持ちになった。


「凛はもう帰る?」

「いや、今日は夜まで空いてるけど」

「良かったら、夜ご飯一緒に食べに行かない?」

「行きたいけど…」

珍しく言葉に詰まった凛の方を向くと、彼女は自分の帽子を指差していた。

「バレちゃう、から」

「あぁ…」

そうだった。彼女はもう、前みたいに気軽に外で外食をしたりできる存在じゃないのだ。

「じゃあ、もうそろそろ家帰ろっか」

「ごめんね、侑希。また明日も夜行くから」

そう言いながら深く帽子を被り直して、寂しそうな目でこっちを見つめてくる凛。一日たっぷり寝たくらいじゃ、ここ最近の慢性的な寝不足で出来たクマは治らない。

凛のために、ここで言わなきゃ。

「あのね、凛」

「ん?」

「もう、うち来なくてもいいわ」

「え、な、なんで」

珍しく、ひどく動揺した様子で慌てて私の手を握ってきた彼女。

「だって、このままこの生活を続けてたら、いつか体調を崩すわ。寝る時間も取れてないみたいだし。せめて頻度を落とすとか、」

「侑希は私が家に来るの迷惑?会いたくない?」

今にも泣きそうな顔でそう言われ、握られた腕に強く力が込められる。

「ちょ、そんなこと言ってないじゃない」

さっきまでは普段通りに見えたけど、突然こんなに不安がるあたり、私が思う以上に相当疲れているんだろう。


正直、凛のこんなに弱ってる姿は初めて見た。

このまま返すわけには行かないと、私は凛の手を引いてビルの間の誰も通らない路地へ入った。

そこで再び彼女顔を覗き込むと、目にいっぱい溜められた涙が見えて、胸がドキッとなった。

「凛、大丈夫なの?なんか、その、いつもと違う…」

私がそう言うと、凛は手の甲で涙を拭って下を向いたまま呟いた。

「ねぇ、幻滅した?」

「するわけないじゃない」

「ほんとに?」

「ええ。してないけど、ただ心配なの」

「ありがと」

「私に話せることなら、なんでも話して」

「もう、なにから話せばいいのかわかんないや…」

乾いた笑いと共に、苦しそうにそう漏らした凛。わたしはそんな彼女を自分から抱きしめることもできず、ただひたすらその手を握っていた。

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