「なんで?」でいっぱいの頭のまま、電車に乗り込んだ。揺れる電車の中[さっき遥香ちゃんと、歩いてた?]ってメッセージを、打ちかけのまま見つめていると、あっという間に最寄駅に着いていた。
行きよりも何倍も長く感じる道のりをとぼとぼ歩いて帰り、家に着いた頃に、凛から連絡があった。
[レッスン、さっき終わったよ。今からで良かったら会えない?]
トーク画面を開いてわざと既読をつけるけど、返信はしない。
[大丈夫?]
[おーい、ゆきー]
私からの返信が来ないことに、一応心配してくれているらしい。凛からはたくさん連絡が来ていたけど、私は全部無視した。だって、向こうが悪いじゃん。嘘までついて、私と遊ぶ約束なしにして。その挙げ句、遥香ちゃんとデートでしょ。デートが終わったからって今度は私に連絡してくるなんて、どういうつもりなの。私はそんな、都合良い女になるつもりはないもん。
イライラしながらベッドでモゾモゾしていると、そのうち着信がかかってきた。出る気にはなれなくて私はコールを切り、凛からのメッセージに返信した。
[なに?]
[連絡つかなかったから。大丈夫かなって]
なによそれ。そんな言葉で、私の機嫌でも取ろうとしてるの?腹が立ってまた無視していると、追ってメッセージがくる。
[どした?侑希、なんか怒ってる?]
[別に]
[怒ってるじゃん。私なにかした?]
[知らない]
[言ってくんなきゃ分かんない]
また電話がかかってきた。
[出て]
無視しようとしていたのに
[出ろって]
とメッセージが送られてきた。初めて見る凛からの強い口調に、わたしは思わず通話ボタンを押してしまった。
「ゆき、聞こえる?」
聞こえたのは、優しい声。いつもの凛の声だ。凛と話せて嬉しいはずなのに、悲しくて、目が潤んできた。涙で、目の前の棚に飾られてる凛の写真がぼやけていく。
「…」
「ゆきってば、聞こえてるでしょ?」
「…なによ」
「なんで怒ってんの?」
「別に、怒ってなんかない」
ミュートして、バレないように鼻をすすった。今は何を話しても泣いてしまう気がする。自分がこんな嫉妬深い人間だなんて、今まで知らなかった。
ミュートを解除して、今は話したくないと言って切り上げようとした時、
ピンポーン
インターホンの音が聞こえた。きっと、お父さんかお母さんが帰ってきたのだろう。今日も遅くなると言っていたのに、もしかして珍しく仕事が早く終わったのかな。凛とは話したくないし、ちょうどよかった。
「ごめん、親帰ってきたから切る」
返事も待たずに私は電話を切った。そのまま涙をゴシゴシ袖で拭いながら一階まで降りていって、ドアを開ける。
「おかえ」
「侑希」
玄関の扉を開けた先にいたのはお父さんでもお母さんでもなくて、真剣な顔をした凛だった。思わずドアをもう一度閉じようとしたけど、もうすでに凛の足が差し込まれていて、閉じることができない。
「ちょっ、やめなさいよ」
「侑希、なんで怒ってんのさ」
「凛には関係ない」
なんとか凛の足を外に出そうとしていると、逆に手を取られて、私が外に引っ張り出された。両手を掴まれたまま、凛は私の顔を覗き込んで尋ねる。
「何があったの」
「なんでもないって言ってる!」
「なんでもないのに侑希は泣かないでしょ」
泣いてたの、バレてた。こんなことなら、ちゃんと顔洗ってから出れば良かった。凛は、私と片手を繋いだまま、もう片方の手を離した。そして、その手で目元を撫でられる。なんだかよく分からない感情でぐちゃぐちゃになって、止まったはずの涙がまた出てきてしまった。
「ぅっ…ぐすっ、」
私が必死に涙を拭っていると、ふわっと凛の腕が腰に回されて、そのままぎゅっと抱きしめられた。背中をさすられて、私は一応抵抗するけど、強く抱きしめられているせいで逃げられない。
「ぅっ、はなして、よぉっ…」
「やだ」
「ばかっ…」
凛は私が泣き止むまで、何も言わずずっと背中をさすってくれた。
「落ち着いた?」
頷くと、凛は私の手を取った。
凛に手を引っ張られるようにして、私たちは近くの公園まで歩いた。まだ夏になっていないから、夜になると結構寒い。おまけに外に出るつもりじゃなかったから薄着で来てしまった。凛と繋いでない方の手だけが冷たくなっていって、わたしは思わずポケットに突っ込んだ。
「ここ、座っといて」
凛に促されるままベンチに座ると、目の前に立つ凛にぽんぽんと頭を撫でられた。
「ちょっと待っててね」
私がずっと下を向いて地面を見ているうちに、凛はどこかに行ってすぐに戻ってきた。自然に私の隣に座った彼女は、私の手を掴んで黄色いパッケージのあったかい缶を握らせてきた。
「なに、これ」
「コーンポタージュ。飲んだことない?」
「うん…」
「飲んでみな、美味しいから」
プルタブを起こして、コクっと一口飲み込んだ。あったかくて、ほんのり甘くて、優しい味がする。
「おいしい?」
「うん」
「よかった」
凛はホッとしたようにこっちを見て微笑んだ。
コーンポタージュを飲み終わる頃には、私もだいぶ冷静になっていて、さっきまでどうしてあんなに感情的になっていたのか分からないくらいには、イライラと悲しみが薄れてきていた。飲み終わった缶をベンチに置くと、凛が話し始めた。
「で、なーんで泣いてたのさ」
「凛が悪い」
私のむすっとした言葉に、凛は呆れたよう笑った。
「分かった分かった。私が悪いから、何が悪かったか教えてくれる?」
「だって、遥香ちゃんと…」
「遥香?え、あー。まさか、」
「なによ、言い訳してみなさいよ」
「私が侑希との約束断って、遥香と遊んでたとでも思ってたの?」
「だって、実際そうじゃないの…」
「ふはっ、違うよ。あれはたまたま、レッスン終わりに遥香と会っただけ。それで駅まで一緒に歩いてたの」
「でも、駅じゃない方に向かってた」
「遅くなっちゃったから、ちょっとお腹空いてコンビニに寄ってただけ」
「でも、でも…」
「今日のレッスン、思ってたよりだいぶ早めに終わったの。だから、もし行けるなら侑希と約束してたカラオケ行こうと思って連絡したのに。誰かさんがなかなか返信くれなかったからなぁ〜」
「…」
え、あれって、デートじゃなかったの?たまたま会っただけ?
ってことはこれまでのこと全部、私の勘違いじゃん…。
謝らなきゃいけないことは分かってるけど、うまく言葉が出てきてくれない。こんなんじゃ、いつか愛想を尽かされてしまっても文句は言えない。頑固な自分に嫌気がさすけどやっぱり口は開いてくれなくて、ジッと黙りこくっていると、凛はベンチから立ち上がってわたしの前にしゃがみ、目線を合わせてきた。
「な、なに」
「私がちゃんと連絡しとけば良かった。ごめんね、侑希」
「んっ…」
先を越されてしまった。
「許してくれる?」
「もっかい、ぎゅーしてくれたら、ゆるす」
「はいはい。おいで」
手を広げたまま立っている凛の胸に飛び込んだ。今度は私も凛の腰に手を回して、肩に顔を埋める。謝るなら、今しかない。
「私も、勘違いして、ごめん…」
「ふふっ、いいよ」
2人でしばらく抱きしめあっていたけど、空になったコーンポタージュの缶がベンチから落ちる音がして、現実に戻った私達はどちらからともなく離れた。
「なんか、恥ずいな」
頭をかきながら、顔を赤くした凛がそう言って、私はすぐに彼女から顔を逸らした。
「別にハグくらい、遥香ちゃんとかとやってるでしょ…」
「もしかして。侑希、嫉妬してんの?」
「ち、違うわよ!!」
「あらぁ〜、ゆきちゃんったら。意外と可愛らしいところあるじゃない笑」
「うぅっ…だ、黙りなさい!!」
私の頭を撫でる凛の手を払いのける。そのまま凛に背を向けて公園から出ようとすると、後ろからぎゅっと抱きつかれた。
「ちょ、凛!!」
「もー、怒んないでよ。さっきのは冗談じゃんっ」
「あなたは私のことからかいすぎなの」
抱きつく凛を振り払おうとするけど、力の差は歴然で、捕まえられた腕はびくともしない。グイグイ体を捻らせていると、凛が耳元で囁いた。
「侑希の反応がいちいち可愛いのが悪いんでしょ」
また心臓が、わかりやすくドクっと跳ねる。
「もぅっ!うるさいっ」
私の大きい声で凛の力が緩んだ隙に、離れることに成功した。そのまま、公園の出口に向かって一直線に走る。
「ちょっとー!ゆきー!!」
後ろから追いかけてくる凛の声が聞こえるけど、振り返らずに逃げてやる。
ほんと、なんなんだあいつは。簡単に私の心をかき乱しやがって。
私はそのまま家まで帰る予定だったけど、公園を出る前に凛に追いつかれてしまった。そもそも、体育以外に運動していない私が、現役アイドルに勝てるワケがない。
「凛のばかっ」
「ばかでも何でもいいから、いっしょ帰ろ」
また、差し出された手。そういうとこだぞ、このばかっ。
その手を取って全力で握ってやると、凛はこっちを見て、ふへっと情けない笑みを浮かべた。