家に帰るなり、私は自分の部屋に駆け込んだ。制服を脱いでハンガーにかけ、適当な部屋着に着替えると、そのままベッドの上にバタンと倒れ込んだ。
月宮さんと5、6限をサボって、2時間まるまるぐっすり眠ったはずなのに、ここ最近の疲れが押し寄せてきたのか自然とまぶたが重くなっていく。途切れそうな意識のなかで、私は今日のことを振り返っていた。
グループのみんなに迷惑はかけられないので、大人しく月宮さんの言うことを聞くことにしたが、なかなか面倒くさい事に巻き込まれてしまった。本当なら、誰かにこんな脅しをされたら腹を立てていただろうが、今日は何故だか、そんな気持ちにはならなかった。たぶんそれは、彼女の言葉の節々から、星空蒼のことを本当に好きなんだって事がすごく伝わってきたから。
最近は少しずつ有名になってきたと同時に、顔の見えない相手から心無い言葉をぶつけられる機会も格段に増えた。どこの世界でもそういう人間は数えきれないくらい溢れかえっているのだから、いちいち相手にしなくていいってことくらい分かっているつもりだ。でも、エゴサしていると嫌でも目に入ってくる誹謗中傷に、胸を抉られるような気持ちになったのは一度や二度じゃない。
もちろん、応援してくれるファンの言葉だってそれ以上に見ているが、こうやって相手の顔の見えない文字だけの世界で生きていると、何が本当か分からなくなってしまう。
こういう気持ちになることくらい、この業界に足を踏み入れた時から覚悟はしていたつもりだが、私は自分でも気づかないうちに、この環境に疲れてしまっていたのかもしれない。
そんな時、私の目の前に突然現れた月宮さんは、直接、面と向かって私のことを好きだと言ってくれた。誰も気に留めないような小さなことに気づいてくれて、私がちょっと近づいたくらいで、普段はクールで冷静そうな顔を真っ赤にしてくれた。
私はそれが、どうしようもなく嬉しかった。自分のことを好きでいてくれる人が、ちゃんと応援してくれる人が本当にいるって分かったから。だからきっと、彼女の乱暴な要求も許してしまったんだ。
色んなことがあった1日だったが、それでも私は、久しぶりにあったかい気持ちで満たされていた。
明日は土曜日だから、朝から事務所に行って配信がある。お母さんは今日早く帰れるって言ってたし、みんなが帰ってくるまでもうひと眠りするか。そう思って目を閉じた時、さっきハンガーに掛けた制服のポケットから、スマホのバイブ音が聞こえた。うっすら目を開いて取りに行こうとしたが、ふかふかの布団に包まれていると襲ってきた眠気に抗うことはできず、私は夢の中に飲み込まれていった。
「凛、ごはんよー」
一階からお母さんの声が聞こえる。眠い目をこすりながら毛布から顔を出すと、夕日が差し込んでいた部屋は、真っ暗になっていた。お母さんの声に少し遅れて、トタトタと誰かが階段を上がってきて、勢いよく扉が開かれた。
「ねぇねー、ごはん!!」
大きな声と一緒に、ボフッと体の上に誰かが乗っかった。
「うぅ…おもいよぉ〜」
「はやく、おきて!!」
「はぁーい。先降りといてー」
「わかったぁ!」
私を起こしに上がってきた元気な妹は、私が起き上がる前に部屋を飛び出して再び下に降りてしまった。
危ない足取りで階段を降りてキッチンに向かうと、もうみんな席に着いていた。
「ねぇね、おそいよー」
「おなかすいたっ!」
「ごめんごめん」
謝りながら私も遅れて席につき、みんなで手を合わせる。
「いただきまーす」
今日は弟と妹が大好きなハンバーグだった。お母さんの手作り料理は、あったかくておいしい。数年前はお母さんが忙しくて家族みんなでそろってあったかいご飯を食べられることはなんて滅多に無かったのに、今は余裕ができてこれが当たり前になった。この幸せがずっと続くように、これからも頑張らないと。
夕ご飯を食べ終わった妹と弟はすぐにリビングにテレビを見にいった。お母さんと2人きりになり、ふと時計を見ると、帰ってきてから3時間も経っていた。
「げっ、もう8時?」
「そうよ。学校から帰って、ずっと寝てたの?」
「うん。そうみたい」
「疲れてるのね、あんまり無理しないで。明日は配信?」
「うん。8時から事務所で」
「明日はお母さんが送れるから」
「ありがと」
私はご飯を食べ終えると、すぐにお風呂に入った。そのあと明日の準備をするために部屋に上がり、帰ってからずっと触っていなかったスマホを手に取ると、数件の通知が目に入った。Lineを開いて確認すると、通知は全部月宮さんからだった。
[家帰れた?]
[明日の配信終わった後、予定空いてる?]
[おーい、生きてる?]
怒涛の質問ラッシュに苦笑しながら、ベッドに寝転んでスマホの画面をタップする。
[ごめん、寝てて返信遅れた]
私の送ったメッセージは、意外にもすぐに既読がついた。
[返信来ないから心配した。事故とかじゃなくて良かったわ]
[うん。心配しすぎ笑]
お母さん以外に、誰かから心配されたのはいつぶりだっけ。口調はぶっきらぼうなのに、彼女との会話は何故か落ち着く。
[明日、夕方なら空いてるよ]
[じゃあ、うち来てくれない?]
いきなり家かぁ。別にいいけど、学園の理事長の家って、もしかしてものすごい豪邸なんじゃ…。緊張するけど一応弱みを握られている以上、私に断るという選択肢はない。
[いいけど、どの辺?]
[今日の帰り道の途中通ったコンビニ分かる?あの近くだから、コンビニまで来てくれたら迎えに行くわ]
[わかった、ありがと]
そこから少しだけしゃべった後、かわいいウサギのおやすみスタンプが送られてきて、会わ話が終わった。ベッドに寝転んで、さっきまでのトークを見返す。
「侑希、か…」
口にしてみたその名前は、案外スーッと自分の中に馴染んでいった気がした。