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第30話 作家と従妹と完熟柿のタルト

 そして出発を翌日に控えた金曜日。

 僕は朝から、叔父の店の専用席で出先の下調べなどをしている。というかもっと前にしておかないといけなかったんだけど、あれこれ面倒なことが発生したため(以下略)。

「うーん、これは日にちを入れ替えた方がいいな……」

 僕は考えがあって、現地ラジオの収録日を後にずらすことにした。先方に事情を説明すると快諾してくれた。そしてダメ元で宿泊予定のホテルに延泊の連絡を入れたら、部屋移動が必要だけどなんとかOKが出た。それで延長分の宿泊費は、僕が現地で支払うことに。一般的なホテルよりずっと高いけど夕樹乃さんとの旅行だ、その程度の出費なんて惜しくもない。

 夕樹乃さんをはじめ、関係者にもメールで収録日変更と延泊の連絡をしたところ、風光明媚な場所で羽を伸ばしたいのだろうと解釈された。出版社の方では航空券の予約も変更してくれて助かった。実際の理由は、ちょっと違うんだけどね。

 さらに出版社からの連絡で、なかなかエグいスケジュール変更が告げられた。こっちが変更なら向こうも変更ということか。

 来週末予定だった香川のサイン会の日程変更だ。書店が入居しているモールの施設工事の都合で、一週間日付をずらされてしまったんだ。なんと明日開催で、終了後すぐ飛行機で移動しろってさ。なお香川でのメディア出演は半分くらいキャンセルとなった。助かった~。

 本当なら余裕をもって高知に前乗りする算段だったのに、明日は強行軍だ。やれやれ。なお移動には高知側のメディアが助力してくれるとのこと。なんだろう、自社ヘリか小型機でも用立ててくれるんだろうか。ヘリはうるさいから、あまり好きになれないんだけど……。

 そうそう、ラジオの件だったよね。変更の事情について説明を……と思ったら、丁度未希が学校から帰ってきた。

「みーちゃん、おかえり」

「ただいま、れおにぃ」

 浮かない顔をしている。そりゃそうだ。昨日の今日だもの。一介の女子高生がどうにか出来る事案じゃあない。

 未希は、叔父さんからおやつももらわず、とぼとぼと僕のとこまでやってきて、ちょこんと隣に座った。僕は未希の肩を抱いて、

「大丈夫だよ。手は打ったから安心して」

 未希はこくん、とうなづいた。

 彼女は僕の袖をつまんで、泣きそうな顔で見上げるのだけど、いま家に連れ帰る訳にはいかない。まだ仕事が残っている。僕は彼女に耳打ちした。

「ごめんね、明日の早朝に出発でね。急に一か所増えちゃったから今日は準備で忙しいんだ。となりにいてもいいから、仕事させてくれる? 今晩はここで僕と一緒にごはん食べようね」

 未希はまた、こくん、とうなづいて、僕の腕にぎゅっとしがみついた。

 普段なら、『わーい!』と無邪気に喜ぶところなのに……。

 この状況で彼女をひとり東京に置いて旅立つのは…………胸が痛い。せめて有人がいてくれたら。仮にいま奴を呼び出しても、姉さんを置いて帰国するのは難しいだろう。

 頼れる人の少なさに、己の不甲斐なさを思う。

 僕がここまで人嫌いを拗らせていなければ……。事情を知ってて今頼れるのは……。だが、あまり頼りたくはない。

 まあ、こまめに連絡をしてやれば何とかなるか。

「みーちゃん?」

「なに?」

「そばにいてあげられなくてごめん。毎日連絡するから……」

「絶対だよ……れおにぃ」

 すがるような目で僕を見る未希。

「ああ。例の状況も動きがあり次第、教えるから。大丈夫」

「うん」

 少しだけ未希に笑顔が戻ってきた。

「日替わりケーキ食べる?」

「うん!」

 よしよし、と未希の頭を撫でてから、カウンターに日替わりケーキセットを二人分、取りに行った。今日のケーキは完熟柿のタルト、季節限定メニューのようだ。

 フォークで割って口に運ぶと、とろける完熟柿のほんのりとした甘さが、タルトの具のカスタードクリームと相まって、不思議な美味しさが舌の上に広がる。クリームの隠し味にオレンジピールが入っているのを僕は見逃してはいない。

 叔父さんが、コーヒーではなく紅茶を勧めてくれた理由もよく分かる。この繊細なタルトにはコーヒーの風味は強すぎる。これは紅茶をお供にすべきものだ。さすがは叔父さん、今回もいい仕事をしている。季節限定メニューだけど、今年はあと何回食べられるのだろうか。


 先に食べ終わった僕は、未希がタルトを食べている間に、電話コーナーで夕樹乃さんに連絡を入れた。彼女の家より僕のマンションの方が空港に近いから、今晩うちに泊まることになっているんだが、事情を話して、少し遅めに来てもらうことにする。夕食も一人で済ませてもらえば時間も潰せるだろう。

 電話コーナーから戻ると、また未希が深刻な顔をしてて、さっそく僕にひっついてくる。僕のせいで、あんなことに巻き込まれてしまったんだ。さぞ怖かったろうと思う。未希がこんな状態なのに、一人で置いていくなんて、可愛い未希が、本当に不憫でならない。親御さんには言えない話だからフォローする人が少ないんだが、出張中は叔父さんや常連さんたちで気を紛らわせてくれたらと思う。


 未希は僕とコソコソ付き合ってるせいで、あまり学校の友達がいない。見つかったら困ると思ってるのかもしれないけど、やはり申し訳ない気持ちにさせられる。

 僕一人のせいで彼女の青春のいくばくかをムダにしてしまうなんて。おまけに今では彼女に割く時間は半分以下になってしまった。これでは確かにあんな無茶をするのも仕方ないことだと思う。そもそも彼女がムダにした八年間に報いるために、僕らは付き合い始めたはずなのに、こんなことなら……いや、今さらたらればを言っても始まらない。あの時は夕樹乃さんに心を折られたばかりで僕は……。

 有人がいたら、僕はボコボコにされてるだろう。いや、殺されてるかもしれない。正直、奴がいま日本にいなくて良かったと思う。……ああ、僕は本当に悪い男だ。

「れおにぃ……」

 未希がつぶやきながら、僕の腕をぎゅっと抱く。彼女の胸が僕の腕に押し付けられて、意志を無視して体が反応してしまう。

 未希は今つらい時なのに。なんで僕はこうなんだ。

 ここ数日、彼女にさんざんオモチャにされた僕の体が、あの激しいあれやこれを思い出して、落ち込む心とは裏腹に熱く火照っている。

 なんでこういう大事な時にそうなるのさ。

 なんで? どうして?

 ホントに自分が心底イヤだ。

 吐き気がする。

 ――僕は僕が大嫌いだ。

 僕は仕方なく、手洗いに行って自力でどうにかこうにか火照りを収めた。

 それからしばらく書き物をしていると、島本から電話が来た。

『先生、今大丈夫ですか』

「ああ、大丈夫だ」

『例の件、先方より、滞りなく駆除完了、とのことです』

「えっ、仕事めちゃめちゃ早くない?」

『そこはそれ、蛇の道はなんとやらという奴ですがね、最優先でやってもらいましたんで』

「マ?」

『先生は明日からご出張でしょうが。だから今日中に始末をつけて心置きなく出かけて頂くために、急いでもらったという次第で』

「まあ、早いに越したことはないが」

『香川のサイン会の件、誠に申し訳ないと』

 ああ、なるほど。それとトレードオフってことか。

「分かった。ご苦労さん」

『では』

 えー……。はや。

 一体どんな魔法、いや呪術を使ったんだろうか。

 駆除って。一応は公務員だよね?

 おう……。こわ。

 隣で未希が窺うように僕を見るので、うんと頷いてやった。

「もう大丈夫だって」

「ホント?」

「ホントだよ。安心して」

「よかったぁ……」未希はボロボロ泣きだした。

 僕は未希の頭を胸に抱いて、何度も背中を撫でてやった。

 これで一つ憂いが晴れたことになる。だけど。

 済んだとはいえ、ダメージを負った彼女を置いていくのは正直しんどい。せめて有人がいれば……って僕は一体、奴にいて欲しいのか欲しくないのか、どっちなんだ。

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