翌朝、夕樹乃さんは僕の部屋から出勤した。
何故かお泊りセットを持参していたので訊いてみると、会社に常備しているのだと。できる女は用意周到だな。
午前中は叔父さんの店で手伝いをし、午後は自宅に戻って未希を迎える。僕にはこれしか出来ない。未希に己が身を供することしか。
「今日も可愛がってあげるね! れおきゅん!」
来訪早々、メチャクチャうれしそうな未希。
「あ、はい」
マズい。今は素面だ。このノリに素面でついていくのはキツい。急いで酒飲まないと。
僕はキッチンに駆け込み、ブランデーを二口呷ると、全力で出来あがるため、その場で十回ほどコマのようにくるくる回った。効果があるかどうかはわからんが。
今日の未希は、着ぐるみに着替えることなく、まっすぐ僕を連れて寝室に向かった。ずっと楽しみにしていたのがアリアリと分かる。今日もおとなしく未希に喰われよう。
それから。
脳が溶けるような快感に浸かり、何度果てても治まらない。
こんな経験は初めてだ。
世に言う賢者タイムとやらも訪れない。そんなに僕は未希に溺れてたっけ?
僕は間違いなく、未希に溺れて深みに嵌って息も絶え絶えだった。
「未希……未希ぃ……」
「れおにぃ、未希のこと好き?」
「好き、好きだよぉ……好き」
己の言葉とは思えないような、とろけたセリフが次々と口からこぼれる。
とうとう僕はぶっ壊れてしまったらしい。
「よしよし、れおにぃは未希のものだよ」
「うん……うん……」
頭はぐるぐる回るし、心臓は跳ねっぱなしだし、愚息はずっと苦しそうにしてる。
「じゃあ、そろそろ帰るね。また明日も来てあげるから」
「え、……い、いかないでぇ」
「もう、甘えん坊さんなんだから。またくるねれおにぃ」
「うん……またね」
未希が帰ってしまった。
まだ体はこんなに疼いて仕方がないのに。
責任取ってもらいたい。
未希が僕をこんなにしたのに……。
いくらもしないうちに、夕樹乃さんがやってきた。まるで未希の帰りを伺っていたかのように。
「玲央さん、ただいま」
「お、おかえり」
「どうしたの?」
もじもじする僕を見て訝し気な顔の夕樹乃さん。
「うう……たすけて、たすけて夕樹乃さん」
「え?!」
あまりにも収まらなくて苦しいので、夕樹乃さんに救助を求める情けない僕。
だけど結果は思いもよらない方向に転がっていった。
数回出してもらった後で夕樹乃さんが、
「貴方、未希さんに一服盛られてはいませんか?」
「……は?」
それから僕は夕樹乃さんに大量のぬるいお茶を飲まされた。
飲んでは出し、を何度か繰り返し、ようやく落ち着いてきた。
「玲央さん、貴方、朝はそんなんじゃなかったわよね」
「うん。ぜんぜん……」
僕は夕樹乃さんに、今日未希が来てからの事をこと細かく尋ねられた。
未希が来てから口にしたものといえば、ブランデーと、未希からもらったお菓子くらい。――ん?
夕樹乃さんが深刻そうな顔で言う。
「未希さん、かなり困ったことに巻き込まれているかもしれないわね」
「まさか……警察沙汰?」
「下手をしたら、そうなるかも……」
「そんな……」
有人から未希を任されているのに、これはヤバい。場合によっては弁護士の須藤を頼ることにも……。
「いくら貴方を独り占めしたいからって、コレに手を出すのはさすがにいけないわ」
「そう……だね。でも、なるべく穏便に」
「わかってる。彼女、明日も来るのよね。私も立ち会うわ」
「……ごめん」
「いいのよ。貴方の家族は私の家族でもあるのだから」
「ほんとにごめん……」
◇
「れおにぃ……ホントごめんなさい!」
翌日の午後、僕と夕樹乃さんの待ち構えるマンションに未希がやってきた。夕樹乃さんが彼女を詰めると犯行を自白した。
……が、思っていたのと少し違っていた。
「で、みーちゃんは、恋のおまじないだと思ってたんだね?」
僕に盛った例のブツが入っていたと思しき、かわいらしいパッケージの裏を見ると、確かに恋愛のおまじないの手順が書かれている。
「これでは騙されても仕方ないわね……」嘆息する夕樹乃さん。
「ごめん……れおにぃ……」
僕はしょんぼりしてる未希を抱きしめた。
そもそも僕のせいで、未希はこんなモノに手を出してしまったんだ。
みんな僕のせいだ……。僕の。
「大丈夫だよ、未希。悪気があってやったんじゃないんだから。それに二股かけてる僕も悪い。全部、僕が悪いんだ」
「でも……れおにぃわるくない。二股しょうがないのわかってる」腕の中で僕を見上げる未希。
「ごめんよ……未希」
僕は未希の額にキスをした。
だが夕樹乃さんの表情がかなり深刻だ。
「未希さんの学校に限らず、全国の学校に蔓延しているから手の施しようがないのよね……」
「なんてこった……。ごめんね夕樹乃さん。この子のことで迷惑かけて」
「いいのよ。さっきも言ったけど、私は貴方のお姉さんで、貴方の妹は私の妹でもあるのだから」
「ううう……岬さん……ごめんなさい……」半ベソで夕樹乃さんに謝る未希。
「大丈夫よ、未希さん。みんな貴女の味方よ。安心して」
夕樹乃さんが、未希の頭をナデナデした。未希は僕の胸に顔をうずめたまま、うなづいた。
「一応、弁護士のアテはあるんだが」
弁護士なんて単語が僕の口から出ると、未希は体を固くした。
夕樹乃さんはすこし思案して、
「あ、ちょっといい方法思いついたかもしれない。私に任せて」
僕はその方法にすぐ気づいてしまった。
そうか。元ゴシップ誌編集長を使う気か。なるほど……。
「ダメだ。あいつを頼るなんて気は進まないけど……未希のためだ。ここは僕が一人で行く」
「まったく、頭の回転が早い人ね」夕樹乃さんが呆れ顔で言った。
僕は未希が持ってた残りの『おまじない』を回収すると、購入代金分の現金を渡してやった。僕のために安くもないものを買わせてしまったのだから、この程度の補償は許されて然るべきだ。
未希と夕樹乃さんを早々に家に帰すと、僕は島本のオフィスに向かった。アポイントのために電話をかけたら、ひどく怯えていたけど、役に立てると聞くと急に元気になった。現金なやつだな。
◇
出版社の島本のオフィスで僕は事情を説明し、未希から回収した例のブツを見せた。
「なるほど……。以前より巧妙になってきてますな。ええ、事情は分かりました。それで俺は何をお手伝いしたらいいですかね」
「最低限なら、未希の学校の売人を炙り出して除去したい」
「いや、俺にそんな」
「自分でやれなんて言ってないよ。××捜査官とかに繋いでもらえればいいんだ。内密に」
「分かりました。上手くいくか分かりませんが、なんとかしましょう」
「なるはやで。未希に火の粉がかかるようなら須藤を動かせ。必要なら金も出そう」
島本は大きくうなづいた。
話は変わりますが、と前置きをして、
「それで……裕実の居場所とかご存じではないですかな」
「聞いてどうすんのさ。まあ、実は僕も知らないんだけど。あんたんとこ出たら危ないでしょ。だから誰も知らない方が姉さんも安全なんだよ」
「確かに。で、彼女は安全なんですか、今」
「ああ。強いボディーガードもついてる。大丈夫だろ」
「安心しました……」
心底ほっとした顔の島本。
八年越しにようやく姉さんに触れられると思った矢先に出奔されてしまったんだから、こいつも気の毒と言えなくもないんだが、あんまり同情したくない。
「それで、僕も人のこと言えた義理じゃないけどさ」
「はあ」
「姉さんと夕樹乃さん、両方好きって気持ち、どうやって扱ってたのか参考までに聞きたいんだけど」
「……?」
「ちょっと事情があって二股状態になっちゃってて……」
「裕実と夕樹乃、ですか?」
「いや、姉さんは別の男に譲った。いま彼女を護ってるやつさ」
「この間の……ですか」
僕はうなずいた。有人のことを言ってるのはすぐ分かった。
「それで、あんたのおかげで二人も彼女作るハメになったんだが」
「……あ」
「思い出したか」
「その折は、誠に申し訳ございません」
土下座された。
「もういいよそれは。今僕が困ってんのは二人と両想いって話なんだよ」
みっともないけど他にあまり相談できる人もいないし、有人なんて言語道断だから、仕方なく島本に事情を説明した。
「いやあそれは……俺ではお役に立てないですな」
「なんだよもう、説明して損した」
「うーん……片方が満たされない状況だったので、正直あれが二股だったのかと言われると疑問があるんですがね……」
「ああ……わかる。だからあんた、夕樹乃さん捨てたんだもんな」
島本が苦笑した。
「こう言ってはなんですが、貴方はあの恋愛ファンタジー小説の大家、山崎玲央先生でしょう」
「わかってないなあ。初心だから書けるものもあるでしょうが」
「確かに」
うーん、と二人してうなってしまった。
「僕なんでこんな奴にコイバナ相談してんだろ」
「はあ、何ででしょうなあ」
苦笑いをする島本。
「まあ、もう日も暮れてきましたし連絡は明日にでもということで、これから飲みにでも行きませんか先生」
「えー、やだよ。誰が二人も恋人を寝取った奴と飲みに行くのさ」
「それはお互い様で。俺だって貴方の恋人だって露程も知りませんでしたが。結果的に裕実も夕樹乃も俺の手から離れてしまいましたからな」
「うっ、確かに。それに、あんたには姉さんを八年間も護ってもらってたから……」
苦笑いで返事をはぐらかす島本。
「これからは、先生のために働きますので、どうか一つご容赦を」
「その言葉、忘れるなよ。中断してた夕樹乃さんの露払い、出来れば今後も継続してもらいたいのだが。近くで見るようになって実感したけど、あんな人だからタダでさえ敵も多いだろうしね。あんたが今まで護ってたんだろ、彼女のこともさ」
島本は頷いてニヤリと笑った。
「じゃあ、たのんだぞ」
「御意。お任せください山崎先生」
こんな調子のいい野郎と飲食したくもないので、とっとと重役室を出た僕は、デパ地下の弁当を手土産に夕樹乃さんの家に向かった。
身内の面倒に巻き込んで申し訳なかったので、お詫びも兼ねて。