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第23話 渚の担当さん

「あ~、まだかなり暑いねえ、夕樹乃さん」

「沖縄ですし~」

 というわけで次のサイン会開催地は、なんと沖縄だ。本当に座標的に滅茶苦茶だなと思う。前回は北海道だったのに。

「それじゃ、海をバックに夕樹乃さんを撮影したいと思います」

 飛行機から降りた僕らは、到着ゲートから展望デッキに移動している。当然だが国内だから入管はない。

「ホントに撮るの?」

「自分だけ僕の写真集めててズルいよ」

「わ、わかりましたよ。でも私も貴方の写真撮らせてよ? そのカメラマン姿」

「ああ、ご自由に」

 今回の僕は、自宅からカメラマンを装って彼女に同行している。うちに余ってる異界獣キッズTシャツに、ポケットのたくさんついたメッシュのベスト。髪には赤いエクステ、ぶっとい黒縁眼鏡に、異界獣キッズの缶バッジを付けたハンチング、そしてダボっとした迷彩ズボンに編み上げ半長靴。荷物になるからスーツとか着替えは予め宿に送っておいた。荷物の到着はフロントに確認済だ。問題ない。

 これがよもやインテリを売りにしてるベストセラー作家のキザ野郎、山崎玲央には見えるまい。行き帰りで気を遣うのはもうイヤなので、こんな格好をしている次第だが、我ながら対応が早いなとは思う。だって夕樹乃さんとイチャつけないのはイヤだから。

 そして、書店確保用のサイン本や色紙、POPの類も事前に量産して送ってある。申し訳ないけど、僕もしんどいんで書店さんの方の作業内容は規格化させてもらった。当日や前日に重労働をするのはもうこりごりだ。マジで疲れるし、その後で百人二百人とサインすると死にそうになる。毎週こんなのやってらんないからね。途中で倒れちゃうよ。

 というわけで、今回は比較的体力に余裕を持って現地入り出来たんだ。問題は取材に来る連中の方なんだけど……。なんか約束とかちゃんと守ってくれなさそうな予感がする。


 僕らはホテルにチェックインすると、まずは腹ごしらえを……と思ったら、フロントからテレビ局に連絡が行ったのか、早速夕樹乃さんの携帯にディレクターがかけてきた。やっぱり裏で繋がっていたか、と自分なりの答え合わせが出来た。唾棄。

 好意なのか何なのか分からないが、ランチに連れていってくれるそうだ。僕は仕方なくカメラマン装束を脱いで余所行きに着替えた。どうせ連中は黙ってカメラを回すのだろうから。

 僕は基本的にマスコミを全く信用していない。その最たる例が島本を始めとするゴシップ誌だ。うちの周りを嗅ぎまわって、情報を換金するゴミ拾い共。連中のせいで死人だって出ている。そのゴミ拾いに姉を護らせていたのだから滑稽な話だ。


「めんそ~れ、沖縄へ」

 現地テレビ局のディレクターさんとロビーで挨拶を交わす。

 名刺を持って待ち構えてたので、夕樹乃さんと僕も慌てて名刺入れから自分の名刺を取り出す。これは夕樹乃さんに用意してもらった名刺。僕は出版社経由でタレント紛いのことをやらされてるので、夕樹乃さんが全ての窓口になっている。連絡が一か所で済むのは便利。なんだろう、出版社がマネジメント会社も兼ねてるカンジ。だから夕樹乃さんが美人マネージャーというのも、あながち間違いでもないんだよね。

「初めまして。作家の山崎です。どうぞよろしくお願いします」

「先生が到着されたと聞きまして、ぜひご案内でもさせて頂ければとはせ参じた次第です」

 僕は夕樹乃さんの顔を伺って、この男の話に乗っかっても大丈夫か確認した。彼女が頷いたのでOKの方向で話を進めていこう。

「僕ら着いたばかりでお腹もすいたので、近所を歩いてお店でも探そうかと思っていたところです」

「そうですか! それならいいお店を知っていますのでお連れしますよ」

 僕より先に夕樹乃さんが口を開いた。

「ご配慮ありがとうございます。ところで、そのお店はお近くでしょうか。書店様の方にもご挨拶に伺う都合もありますし、あまり遅くなりますと翌日にも障ります。私達はサイン会のために参っておりまして、他に時間を多くは取れないので、徒歩で行かれる範囲でお願いします」

「え、ええ、近くにも知っている店はいくつかございますので、ご安心ください。ではこちらへ」

 アテが外れたのか、動揺がちらっと見えた。目的外でそうそう振り回されてはたまらない。地方のマスコミの人間だ、おおかた有名人を連れて歩いて自分の株でも上げたかったのだろう、つまらない話だ。

 結局、店の前に僕らを置いて自分は早々に帰って行った。面倒が増えるので次からは、仕事以外の一切の誘いを断ることにしよう。どうせ次などないのだから。

 しょうがないので僕だけホテルに戻ってカメラマン装束に着替えてくると、夕樹乃さんは近くで独りアイスクリームを堪能していた。

「おまたせー」

「はい、あーん」

 スプーンにすくったアイスを僕に差し出す。

 ぱくり。

 僕は遠慮なく頂いた。

 シークワーサーのさっぱりした味が口に広がる。

 夕樹乃さんが、とても幸せそうな顔をして僕を見てる。これも彼女がやってみたかったシチュエーションの一つなのだろう。いつか彼女を泣かすのかもしれないと思うと胸がチクリと痛むが、彼女が喜んでいるので今は相殺。

 そうだ。

「夕樹乃さん、今みたく笑って」

 僕は彼女にカメラのレンズを向ける。

「ええ~?」

 お顔が出来てないですよ、夕樹乃さん。

「ほら」

 僕がとびきりの笑顔の手本を見せてあげる。

「は~い」

 夕樹乃さんが、さっきみたいな笑顔をくれた。

 デジタル一眼でもモニターがついてるから、ファインダーを覗かなくても撮影できる。こんな風に。

 くっとシャッターを押し込むと、被写体にフォーカスが当たり、もう一度押し込むと、パシャリ、と作り物のシャッター音がする。

「よくできました」

 スマホで画面を見ながら、絵で描かれたボタンを触って静止画を記録する時代には最早、合っていないのかもしれない。だけど。

 アナログの一眼レフで撮影をしていた身からすれば、こんな機構はノスタルジーでしかないのかもしれないけれど、大切なものを閉じ込め、宝物を作る作業には、必要な手続きのように思えてならない。

「じゃあ次は私ね」

 夕樹乃さんがスマホのレンズを無造作に僕に向ける。あまり良さそうな場所じゃないのだが、背景などは気にしないのだろうか。

「えっと」

 パシャリ。

「もう撮ったわよ」

「え。ちょっと見せて」

 はい、と画面を見せる夕樹乃さん。

 抜き打ちで撮られたみたいに間抜けな顔をしてて、ちょっと嫌だな。

「あ~撮り直しを要求する」

「いやよ~」

「何でさ」

「こういう自然体がいいのよ」

「そうかな」

「カメラ目線で澄まし顔の玲央くんの写真なんか、私もういっぱい持ってるもの」

「くっそ……なんかズルい」

「ふふふ」

 担当特権乱用だー! くそう。


「ところでさ、服のことなんだけど」

「ん?」

 近所の飲食店で食事中、僕はひらめいた。

「サイン会、いつもの格好じゃなくて、沖縄の服着て行ったらファンが喜ぶかな」

「そうね……いいんじゃないかしら」

 食後、僕は夕樹乃さんにいいシャツを見立ててもらった。沖縄のあのアロハシャツのようなのは、かりゆしウェアというのだと後で知った。

 それから適当にお土産を見繕って東京に発送してもらった。帰りは身軽が一番だ。夕樹乃さんも一緒にあれこれ買って会社に発送してた。

 じつは沖縄や北海道のような有名地域は、東京でひんぱんに物産展が開催されていて、都民にはそう珍しくもなかったりする。大きいものはデパートやショッピングモールの催事場、小さいものはスーパーやコンビニのフェアなどで入れ替わり立ち代わり、北海道と沖縄に触れ合っているのだ。だから、やきそば弁当や山わさびの醤油漬けも知っていれば、沖縄そばとオリオンビールにも馴染みがある。そんな東京に近しい土地がこの二つなんだ。

 ぼちぼち物見遊山を楽しんだぼくらはホテルに戻り、夕方からのマスコミの取材に備えた。新聞や雑誌などのオールドメディアは面倒なので、事前にこちらの資料を送った上で、インタビューを記者会見方式にしてもらった。

 皆さんにはこちらの要望を汲んで頂いたので、お土産にサイン本を数冊差し上げることにした。まあ読者プレゼントにするなり古書店で売るなり好きにしてもらえばいい。

 そしてテレビはホテルの紹介と明日のサイン会と本の紹介がワンセット。

 このホテルの施設は、スパやアロマテラピー、ネイルサロンなど、女性好きするものが多いリゾートタイプの宿で、そのあたりが夕樹乃さんにウケたのだろう。そしておしゃれな夕食がついている。

 ――みたいなことを、地元テレビ局の女子アナと一緒に紹介したり、軽くインタビューされたり、僕の本を紹介したり、サイン会の告知をした。この映像を翌朝の全国ネットのワイドショーで流すらしい。みなさん沖縄に来てください、という宣伝だ。

 彼らが僕らのサイン会にかこつけてるのか、僕らが彼らの宣伝にかこつけてるのか、最早よくわからなくなってる。


「はー……疲れたわね~」

「疲れたの僕でしょ、夕樹乃さん」

「てへぺろ」

 夕食後、僕がホテルの共用テラスの端でぐったりしてると、夕樹乃さんがホテル内のネイルサロンから帰ってきた。明日には帰ってしまうからと、今晩はホテルの施設をあちこち回っている。

 僕がこんな油断した会話してるのは、ランダムに選んだ共用スペースであり、さっきまで他の利用者が近くにいたからだ。ゆえに、盗聴の心配は少ないと思った次第だ。

「てへぺろじゃないですよ、もー」

 以前なら彼女はこんなふざけたこと言わなかったんだけど。いや、内心では言ってたのかもしれない。僕は夕樹乃さんのことをまだまだ知らない。マジで知らない。

「うふふ」ぴかぴかに磨かれた爪を嬉しそうに僕に見せる。僕はうんうんと頷いた。

「まあ、君が満足してくれるんなら僕はいいんだけどさ」

 僕は、少し氷の解けたトロピカルドリンクを飲んだ。

「私やっと気づいたんだけど」

「何に?」

「出張先の宿、全部私の希望で選んだでしょ。なんで分かったの?」

「目」

「私の?」

「口ほどに物を言うっていうでしょ」

「でも……どうやって」

「宿泊先情報のコピーをさ、店で最初に読んでるとき、施設によって君の目が違うのに気づいた。これは行きたい所があるのだと思って、わざと再度見るフリして君の顔見てた。それで反応が顕著なのをピックアップして、そのまま希望として出しただけ」

「ええぇ……驚いた。本当に観察眼がすごいのね」

「見て分かるものは見ていれば分かる。見ても分からないものは僕には理解できない。ただそれだけの話だよ」

「そういうものかしら……」

「六年も君の気持ちに気づかず、四年も困ってるのに気づけない、共感力の低さに定評のある僕だよ?」

「う~~ん、そうねえ……」

 夕樹乃さんが困ってしまった。マズいこと言っちゃったんだろうか。

「大丈夫よ、玲央さん」

「何が」

「やらかしたって顔に書いてあったから」

「う……なんでわかったの」

「そういう顔だったから。えーっと、失敗をして困っている時のステータス表示、と言えば伝わるかしら」

「なるほど」

「あ、ホントに伝わった」

「むう……。まだ回るとこあるんなら行ってくれば? 僕もう寝るから」

「スネないでよ。もう寝るの?」

「夜明けの海を撮るからさ」

 ふうん、と言って彼女が僕を見つめる。

「そういえば、貴方はロマンチストだったわね」

「夕樹乃さんなら知ってるはずだけど」

「ええ。よーく知ってるわ」

「なんか面白くないな。僕だけ知られてんのってさ」

 彼女が僕の飲み止しのトロピカルドリンクを飲み干した。もう溶けるに任せてたから、飲まれちゃっても別にいいんだけど、なんかこういうことされると、きゅんとする。

「私も撮影付き合おうかしら」

「じゃ五時ごろ起こす。僕は海岸で待ってるよ」

 僕はわざとらしく、先に部屋に戻った。

 まったく、なんて健全な出張なんだろうか。いやになる。


     ◇


 翌朝。僕は四時半に目を覚ました。もちろんアラームに頼ってだけど。先日、未希が買ってきてくれたチョコバーを胃に収めた僕は、カメラと三脚を担いでホテル前のビーチに出かけた。

 砂浜に着くと、空はうっすら明るくなってきてるのに、海はまだ暗く手前に近づくにしたがって黒々としている。潮騒と生ぬるい風が体を通り抜けるに任せながら、僕は三脚を据えた。そろそろ撮影を始めてもいいのかもしれない。この移ろいを持ち帰るために。


 まだ太陽が地平線の下にあって、でも白みかけた東の空はどこまでも薄紫というのが、僕が一番好きな時間帯だ。古語で東雲と言うが、垣根の篠の網目の隙間から朝日が差し込み始める様から来ているらしい。

 夜中まで仕事をしている時とか、ふと夜明け前の薄っすらと空が黒から青になりかけた頃に家を出て、そのまま渋谷まで歩いていき、烏しかいない通りをふらふらする。そして、日が昇り切ってしまったらお楽しみの時間は終わり。薄黄色い日の中をつまらなさそうに家に戻り、寝る。

 どうして夜明け前はすぐ終わってしまうのだろう。秋もそうだけど、僕の好きな移ろう時間たちは、いつもすぐ終わってしまう。


「おはよう、玲央さん」

 ざくざくと砂を踏みながら夕樹乃さんがやってきた。

「おはよう。ちゃんと起きられたね」

「さすがに二回連続で寝坊は出来ないわよ」

「あはは」

 僕は無造作にシャッターを切った。自然体の夕樹乃さんは上手く撮れたろうか。

 カメラのモニタを確認すると、逆光に浮かび上がる彼女を写し撮ることが出来た。

「モデルさんみたいにくるくる歩き回ってみてよ」

「ええ」

 僕は一分ほどシャッターを連続で切り続けた。動画を撮ってあとで切り取るなんて野暮はしない。それはカメラマンの倫理にもとる。って僕はいつからカメラマンだったのだろう。まあ、いいや。

「裸足で波打ち際歩いてくれる?」

「ええ」

 ぴちゃぴちゃと足元を見ながら歩く夕樹乃さん。つま先にフォーカスを当てると、水しぶきが跳ね、砂が沈んでは波に均されていく。

 ファインダー越しに夕樹乃さんの顔を見た僕は、息をのんだ。

 いや、こんなことで心を掴まれてる場合じゃない。

 僕は急いでシャッターを切った。

 彼女が一瞬、にやりと笑った。僕を虜にして得意になってる。

 やっぱり、ずるいよ。

 君だけ好きな人の、いい写真たくさん持ってるなんて。

 僕は夕樹乃さんを休憩させると、三脚にカメラを据え付けた。一分毎にシャッターを切る設定にして、僕も彼女の隣に座った。

「まだ暗いうちからさ、夜が明けるのを見るのが好きなんだ」

「ふうん」

 彼女は、僕の手に手を重ねてきた。沖縄に来て、初めて触れ合った。けど、このままじゃ僕が耐えきれない。

「ごめん……帰るまでガマンして」

 僕はすっと手を引いた。

「どうして?」

「僕が初心なの忘れた?」

「それは知ってるけど」じゃあ察してよ……。

「キスしたくなるし、それだけで我慢できなくなるから……」

「ん~~~~~~っ」

 なんかメチャクチャ嬉しそうなんだけど、僕が激しく嬉しくない。

「ちぇ」

 僕は夕樹乃さんに背を向けて、砂の上にごろんと寝転んだ。砂浜のだいぶ向こうまで見えてきた。太陽は朝夕だけ駆け足なのが意味わかんない。

「ごめんなさい、玲央さん」

「ふーんだ」

「機嫌直してよ~」

 夕樹乃さんが僕の背中を指で突っつく。

 ああ、もう。

「だーかーらー、」

 僕は起き上がって彼女に激しいキスをした。

「こうなっちゃうでしょうが」

「怒りながらキスする人初めて見たわ」

「帰ったら覚えてろよ……」

 僕は立ち上がると、カメラの様子を見に行った。

 もう三脚の影が長く伸びている。

 太陽に近いあたりの水平線が、少しだけ明るくなってる。雲は光を受けた場所がピンクからオレンジに、影が紫からグレーに移り変わっている。

 ああ、もうすぐ終わってしまう。僕の大好きな時間が。

 見る間に空は黄色くなって、夜の終わりを告げる。

「明けまして、おはようございます、玲央さん」

「え? ……ああ、明けまして、おはようございます、夕樹乃さん」

 僕はカメラの自動シャッターを止めて、三脚から外しはじめた。

「もうおしまい?」

「うん。朝は僕の時間じゃないから」

「夜行性みたいな物の言い方ね」

「そうじゃない。僕は狭間の住人であり、始まりの住人さ」

「哲学かしら。それとも文学?」

「どうだろうね。よくわかんない」

「ずいぶんと作家らしくなってきたじゃない」

「イヤな話を振ってくるね。僕はすぐにでも引退したいんだけど」

「引退はやめて~~」

「別にやめたって別れるわけじゃないでしょうが」

「そういう問題じゃないわよ」

「はいはい。もうしばらく担当さんに付き合うから」

「末永くと言ってもらいたいものね」

「はいはい、じゃ、朝ごはん食べに行こう」

「なんか誤魔化されてる気がするんだけど……」

 僕は三脚を担ぎ、彼女の手を引いてホテルに戻った。

 まだ胸は、ドキドキしている。

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