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第21話 札幌グルメ旅

「ふわぁ……おはようございます夕樹乃さん……」

「おはよう、玲央さん。寝ぼけてるの?」

 そう、ここは午前六時の羽田空港。出発ロビーで待ち合わせたんだが……ねむいに決まってる。昨晩は未希の長電話に付き合わされたから。というのも、急に有人が姉さんと駆け落ちしてしまったので、まあそのくらいは僕が相手してやらなければ可哀想だ。今日は行きの飛行機で寝ればいいやと思って、なんとかここまでやってきたんだけど。

「間に合ったんだから褒めてよ……ふわぁ……」

「はい、えらいぞ玲央くん、よしよし」

「わぁい……」気を抜くと瞼がすーっと降りてくる。

 今日はツアー二か所目。行先は北海道だ。搭乗時間は、一時間半くらいだろうか、寝てる暇はなさそうだ。わりと近いんだな、北海道。

 通常、こういうツアー的なものって、北とか南とかに順番に移動してくものなんだが、今回のサイン会は急に決まったので、開催する店舗やテナントビル、ショッピングモールの都合で開催日がまちまち、つまり地図上では開催地と日付がバラバラに並んでしまっている。でも実際に移動をするわけではなく、毎度毎度東京に戻っては次の開催地に移動するから、地域があちこちに飛んでいようと関係なかったりする。だから今日のように移動が飛行機なこともあれば新幹線の場合もある。なお前回はJRの普通列車での移動だ。(帰りはタクシーだったけど)

「玲央さん、空弁買ったから、乗ったら一緒に食べましょうね」

 夕樹乃さんが弁当の袋を持ち上げて見せた。

「朝食抜いてくるって予知してたの?」

「貴方のことならお見通しよ」

「ありがたや~」思わず空弁を拝む僕。

「エコノミーじゃ機内食でないから」

「なるほど」

 出版社が用意したチケットを夕樹乃さんからもらって、僕らは飛行機に乗り込んだ。

 座席に着くと、夕樹乃さんが窓際になった。最初は僕が窓際に座りたかったんだけど、外を見るフリして彼女を鑑賞出来るから、これはこれで良かったのかもしれない。

「新婚旅行みたいね」夕樹乃さんが嬉しそうに言う。

「そうだね」僕は心にもないことを嬉しそうに言った。

 彼女が無邪気に夢見ることを、痛みに感じる自分がイヤだった。そんなことを言って、彼女を悲しませるのは、もっとイヤだけど。


     ◇


 新千歳空港に到着した僕らは、そこが関東一帯の食糧庫であることを垣間見る。食事に付き合う人がいなければロクに食べない僕が、目の色を変えてしまうほど魅力的な食べ物に溢れていたからだ。夕樹乃さんは海鮮に目を輝かせ、僕はというと乳製品をベースにしたスイーツに心を奪われた。

「おみやげ、何にしましょうね?」

「ああ……選べないよ、僕には」


 空港からタクシーに乗って、札幌市内へ。予約したホテルにチェックインをした。都会の高級ホテルを見なれた僕には物足りなさを感じさせたが、そんなことはどうでもいい。夕樹乃さんを喜ばせるのが目的なのだから。ところで、夕樹乃さんはこのホテルの何が魅力だったんだろう? 流れ作業で全ての訪問先のホテルを決めたから、施設や料理や何がどうだとか全く覚えていない。

「夕樹乃さん、ひとつ注意が」

「なあに?」声音からウキウキしてるのがバレバレですよ。

「事前に泊まる場所が相手方に知られているということは、盗聴・盗撮の恐れがあります。十分注意してください。できれば会話はチャットツールで行うのが安全かと」

「えええ~~~」本気で旅行気分だったんですね、貴女という人は。

「しー! 声が大きいです。部屋で食事が提供される宿以外は、絶対に同室しないように。あと極力浴衣でうろつかない。いいですね?」

「はいぃ……」本気でしょんぼりしている夕樹乃さん。

「では、部屋を見たらすぐ書店に移動しましょう。貴重品は置いていかないように」

 夕樹乃さんは憂鬱そうに自分の部屋に入って行った。僕は着替えだけを置いて、室内を調べ始めた。だがすぐやめた。どうせ相手が本気なら、見つからないようにカメラやマイクを仕掛けることがいくらでも出来るからだ。

 僕と美人マネージャーの色恋なんて、金にしたい連中はいくらでもいる。そんなこと彼女にも分かっているはずなのに、浮かれているせいか、今の夕樹乃さんはポンコツだ。一人で来るよりマシといったところか……。

《ポン》

 スマホのチャットアプリが鳴いた。夕樹乃さんからだ。

『玲央さん~~~(泣)イチャイチャした~~~い』

 あうっ、こ、これは……。あううう……。

『ぼくも。帰るまでガマンして。これ仕事だから』

『ああ~~~ん(泣)』

 参ったな。こうなる前は、仕事で地方行っても問題なかったのに。

 ……あ。

 そうか。

 夕樹乃さんは問題あったんだな。

 僕が気づかなかっただけで……。

 急に罪悪感が、ズシリと僕にのしかかる。

『もしかして、出張するとき、いつもそうだったの?』

『決まってるじゃないですか~~~~(泣)』

 うへえ。マジか。まあ、彼女の推し、だもんな。よくよく思い出してみると、出張の後って用もないのに店にさんざん顔出してたし……。あれって、イチャつきたい欲求の代替行為だったのか……。心なしかボディタッチも多めで、からかってるのかと思って僕は気分が悪くなってたような記憶が……。うわあ、なんてこった。

 僕は頭を抱えた。

『帰ったらたくさんイチャイチャしてあげるから、がんばって!!!!!』

『やくそくですよ!!!!!』

『りょ!』

『りょって何ですか、女子高生みたいに』

『あ、ごめん。ついいつものクセで』

 未希とやりとりするとき、便利なのでつい真似してて、うつってしまった。

『あ……ごめんなさい』

 気づかれた。僕の不注意だ。

『いや、気をつけるよ』

『私こそ、ごめんなさい。至らなくて』

『もうよそう』未希の話をすれば堂々巡りになるのが分かってる。

『はい』

 こんな風に、どちらかと会話をしていて、もう一人の女について話が及びそうになると、途端に気まずい空気になって、僕も胸が痛くなって、いろいろ問題が発生する。当然といえば当然なんだけど、こんなことを想定して未希と付き合い始めたわけじゃないし、その逆も然りだ。さらに言えば、少し前に姉さんを抱いたことも彼女らには一言も話してはいない。それを知ってるのは姉さんと有人の二人だけ。

 そういえばあの二人は、一体どこに逃げたんだろうか。パスポートを探してたって未希から聞いたから、おそらく海外なんだろうが。ホントなら僕は今頃、姉さんとアメリカ暮らしをしてたはず。これまでならそう思えたけど、今となっては、たとえ二人で海外に逃げても、僕じゃ護れない気がしている。たくさん銃の練習はしたけど、本物の暴漢相手では、あまり勝てる気がしない。だから、これが姉さんにとっての最適解だったんだと思う。そして未希を護るために有人が身に付けた全てが、いま姉さんのために使われているのだと思うと、いろんなものが順番に段取りよく並べられている気がして、正直気持ちが悪い。

『部屋じゃ落ち着かないから、もう出て書店に真っ直ぐ向かうよ』

『わかったわ。少し荷物を整理したら出るから、部屋で待ってて』

『OK』

 僕はスーツのままベッドに寝転んで目を閉じた。少しでも睡眠不足を取り戻したい。

 あー……。なんか気持ちいい……。

 ……。

 zzz……。

 は!

 ヤバイ、めっちゃ寝てた。

 スマホの着信めちゃくちゃ来てたのに起きられず、部屋の内線電話でも起きず、とうとうドアを死ぬほど叩かれて、ようやく起きられた。賞味一時間ほどだったけど、熟睡してたようだ。

「ごめん、爆睡してしまった……」

「大丈夫ですか、先生?」

「はい、岬さん。行きましょう」


     ◇


 二人揃って目的の書店に到着すると、開店間際でスタッフが忙しそうに働いていた。僕らはイベント担当者さんに案内されて、会議室のような場所に通された。

「では、こちらで作業をお願いします」

「はい!」

 というわけで、前回と同じように大量のサイン作業が待っていた。東京からここに来るまでで、すでにくたくただ。だけど何故か店頭にファンからの手紙やプレゼントがたくさん届いていて、こんな遠くにまでファンがいるんだ、と思うと、へこたれてる場合じゃない。

 二時間ほど作業をしたところで、ランチに招待された。同じビルに入っているイタリアンレストランに連れていかれると、そこには地元のマスコミ関係者がいた。

(うわあ……こいつらと会食するの?)

 僕は夕樹乃さんに耳打ちした。

(そういえば予定表に書かれていましたね。困ったら全部私に投げてください。打ち返しますから)

 ああ、頼もしきかな我が編集さん。

 食事が運ばれてくると、先に撮影が入った。このお店もテレビでの紹介対象なのだろう。グルメ番組みたいで、見てるとちょっと面白かった。

 食事が始まると、いろいろ質問されて落ち着いて食べられない。絶対僕のこと調べてないだろってカンジの失礼な質問が来て、ちょっとキレそうになったけど、夕樹乃さんが、その程度のことも調べずにこの場に来られたのか、弊社の作家紹介ページに全て書かれておりますのでご自由に、とピシャリ。やったぜ、夕樹乃さん。

 中には割と突っ込んだ質問をしてくる人もいて、へえ、と思ったら地元のミニコミ誌の文芸面担当者で、さすがだと思ったね。サービスで、今月発行号にサインしといた。

 最後にシェフが出てきて、料理の感想とか聞かれたんで、めんどくさいから当たり障りない返事をして、記念撮影した。その後――

「先生は都会で良いものをたくさん召し上がっておられると思いますが、正直な感想を教えていただけませんか?」

 あー……困っちゃったな。いい加減な返事をしたのがバレてしまった。でもテレビカメラ回ってたし仕方ないじゃん。いや、まだ回ってるか……。

「では、正直にお答えしましょう。東京で普段食べているイタリアンと遜色はありませんでした」

 すっとシェフの目に緊張の色が差し込む。

 都会のセレブに退屈な料理を出したと思われてしまった……ってカンジだろうか。

「ですが、地の利を生かした新鮮な食材、それを生かすシェフの腕。こちらの素晴らしいお料理、僕はとても楽しめました。北海道のよい思い出になりそうです。ありがとうございます」

「忌憚なきご感想、ありがとうございました! またお寄りください!」

「ええ、札幌に来たときは必ず。それから、ぜひ東京にもお店を。楽しみにお待ちしています」

 とまあ、なんかそれっぽいことを言っておいた。

 正直にいえば、姉の件で長いあいだ味覚がダメになって、スイーツ以外、何を食べてもあまり味が分からなかったけど、最近になってようやく味覚が戻ってきた。今は何食べてもだいたいおいしい、としか思わない子ども舌で、細かい差なんて当然わからないよ。

 地方のお店に、東京にも是非出店してくれ、ってのは殺し文句、定型文だ。僕はいつも、メディアでこんなセリフを吐くことを要求されている、でっち上げの文化人とやらでさ。唾棄。なんでみんなこんな無責任なこと言うんだろう。でもまあ、ホントに東京に出店してきたら、ちゃんと責任持って通うけどね。できれば代々木上原か下北沢か池尻か三軒茶屋に来てほしいかな。行きやすいから。


 レストランでちょっと時間をロスしてしまったので、残りの作業を急いで進める。

「私にも何か手伝えることがあればいいのだけど……ごめんなさい、玲央さん」

「仕方ないさ。それとも僕のサイン、練習してみる?」

「バレたらこわいです~」

「そりゃそうだ」

 僕は筆を走らせながら夕樹乃さんに尋ねた。

「ねえ、さっきのレストラン、どう思った?」

「悪くないと思いますよ。でも」

「ん?」

「人手不足なのか、調理してから提供まで、ちょっと時間の経ったものがあった気がしますね。合わせたワインは国産でしたが、私はけっこう好みです」

「うわあ……夕樹乃さん、ぜんぜん食レポいけるじゃないですかやだー。僕なんて子ども舌なの、誤魔化してやってんのに」

「えええ、そういうお仕事けっこうやってきたじゃないですか、うそおー」

「僕は、あの……姉の件のショックで心因性の味覚障害になりまして……」

「そんな……本当に?」夕樹乃さんが青くなってる。

「うん……。スイーツ以外あまりわかんなくて。それが改善してきたのは今年の夏から」

「つい最近ってこと?」

「そう。具体的にはコラボカフェの撮影した日に軽く熱中症になって、その時に叔父さんに作ってもらったドリンク飲んで食事をしたら味覚がだいぶ戻ってきて……だから、それまでの食事関係の仕事は全部、過去事例を参考に適当に言ってただけなんだ」

「うわあ……言ってくれれば、そういう仕事、弾いたのに……」

「ごめん。君の手柄を減らしたくなくって……言えなかった」

「も~~~。私、こういう時、なんて言えばいいのかしら」

「何も言わなくていいよ」

「でもぉ……」

「あのさ、君と食事行くときさ、自分が味わかんなくてさ、安全策で高い店に連れてってるだけだからさ、行きたいお店があったらリクエストしてね」

「わかったわ。……教えてくれてありがとう、玲央さん」

「いいよべつに。だいぶ治ってきたとこだし。気にしないで」

 うわ、夕樹乃さんが目にいっぱい涙溜めてる! 書店員さんに見つからないうちに何とかしなくちゃ……。

「夕樹乃さん、涙、拭こうよ。見つかっちゃうから」

「ごめんなさい」

「夕樹乃さんちで作ってくれた野菜スーブ、優しい味でとても美味しかったよ。ホントだよ」

「もう~~~~~~(泣)」

 失敗した、余計に泣かせてしまった。泣かせたくないのに。う~ん。


     ◇


「お疲れ様~~」

「おつかれ~~」

 サイン会も終わり、ようやく解放された僕たちは書店近くの居酒屋でお互いの労を労っていた。街中のホテルなので夕食はついてなかった。じゃあ夕樹乃さんはどこが良かったのかというと……朝食ブッフェだ。海鮮食べ放題がついてるのが理由だった。

 乾杯をしてから夕樹乃さんは既に数杯のジョッキを空けている。僕はまだ一杯目だ。

「今日はあんまり飲ませないでよ。僕あんま強くないんだから」

「わかりましたよ~、ふふ」

「とかいって、こないだも潰されたんだからね。ホントだめだからね」

「わかってますってば~」

「夕樹乃さん」

「はい?」

「もう回ってるんじゃ」

「ふふふふふふ」

 これはダメだ。自力で歩けるうちに戻らないとマズいことになるぞ。

「あーあーもうお酒やめて。ノンアルにしましょう。すいませーん」

「も~、せっかく札幌来たのに~おいしい海鮮で飲まなきゃ損でしょう~~」

「自力で部屋戻ってもらわないと困るんだから、もう飲むな。あ、ノンアルビール二つお願いします」

「ほたて焼きお待ちどう様でした」

「あ、どうも。ほら夕樹乃さん、ほたて来たよ」

「やった~ほたてだいしゅき~」

「んー、うまいね! やあ、今日は大成功だったね」

「あんな盛り上がると思わなかったわね。あれはサイン会というより最早オフ会?」

「それを言うならファンミーティングじゃないの?」

「そうそうそれそれ。玲央さんがあんなにファンの皆さんと楽しそうに触れ合ってるなんて初めて見たわよ」

「実はファンミーティングやったことあるんだ」

「え! どこで! 私知りませんよ!!」

「くくく。実はねえ……ウチの店で」

「どういうこと?」

「じつは常連さんたち、僕のファンだったの」

「え? え? あの方たち?」

「うん。未希の中間試験の成績が良かったんでお祝いのケーキを常連さんに振舞ってたら、山崎先生が勉強教えたんだから国語は上位だろうって口滑らした人がいて……」

「あら……」

「そしたら、みんな僕のこと知ってて黙ってたのが分かって、お祝い会が臨時ファンミーティングになってしまったんだよねぇ」

「皆さん紳士ねぇ」

「新宿の握手会にも来てくれてたんだよ」

「そうだったの~。すいませーん、生ください」

「あ! また飲もうとしてる!」

「大丈夫ですってば。玲央さんじゃないんだから」

「あ、すいません。枝豆追加で」

「せっかくの札幌の夜なのに海産物食べましょうよ~」

「夕樹乃さん、朝ごはんで海鮮ブッフェいくんでしょ? あんま飲食したら明日に響くよ?」

「え~でも~」

「じゃあ今晩は火の通ったものだけにしようね」

「わかったわよ~」

 やれやれ……。


 結局フラフラになった夕樹乃さんを担いでホテルのフロントまで戻って、女性コンシェルジュさんに引き渡した僕は、急いで風呂に入って寝た。

 翌朝。夕樹乃さんにモーニングコールをする。

「もしもし、おきた?」

『おはようございます。すみません……私の方が潰れちゃって』

「ブッフェいくけど、大丈夫?」

『い、いきましゅ』

 大丈夫かなあ……。

 今朝はこのブッフェの取材入ってるんだけど、間に合わなかったら僕だけで行くか。

 身支度をしていると、まだ時間かかると連絡があったので一人でカフェテリアに移動した。夕樹乃さんがいないので、現地のディレクターさんに段取りを軽く聞いて、局アナの方とお話ししながらブッフェのメニューを一通り見て、それから一階お土産コーナーに移動して、おすすめ土産の紹介をうんうん聞いてる役をやって僕は解放された。

「あああああ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 一切合切終わって、ブッフェでコーヒーだけ飲んでた僕のところに慌ててやってきた夕樹乃さんは、いろいろ残念なことになっている。

「とりあえず片されちゃうから先に食べない?」

 朝食にしては、ちょっと遅めの時間になりつつある。

「そ、そうですね。いそいで取ってきます!」

「あは、僕もいくよ」

 たまに発動する夕樹乃さんのおっちょこちょいが、今朝はなんだか愛おしい。

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