「待たせてごめんね、有人くん」
動き出した車の中で、運転席の有人に裕実が声をかけた。
有人は助手席の彼女をバックミラー越しにちらと見ただけで、また前方に意識を向けた。玲央のマンション前から出発した車は、首都高に乗るため幹線道路に向かっている。カーステレオからは浪漫飛行が流れていた。
「いや……。別れの挨拶を急くような野暮はしない」
「よかったの? 私といるってことは、まともな生活を諦めるということよ」
「むしろ棚ぼただ。俺はあんたとなら運命を共にしても、後悔はないよ」
「ホントに?」
「ああ。裕実姉さんと一緒なら、地獄だってエンジョイしてみせるさ」
「うふふ、楽しくなりそうね」
交差点で信号待ちをしていると、目の前をパトカーが数台、行き過ぎる。
「警察署の前にでも引っ越そうかしら」
「悪い冗談だ。誰が敵かも分からないのに」
「それもそうね……それにしても」
「ん?」
「こんなにカッコよくなってて驚いちゃった」
「そりゃカッコもつけるでしょうが」
パトカーの一団が通り過ぎ、信号が変わった。
有人はアクセルを踏んだ。
「どうして?」
「これから俺はあんたの男になるんだから」
有人はカーステレオから流れる音楽に合わせて、ハンドルを指先で叩いて拍子を取っている。明らかに浮かれていた。
「私がキミの女になるんだと思ってたけど」
「あんたは俺の姫で、俺はあんたのナイトだから」
「有人くんって案外ロマンチストだったのね」
「知らなかったか? ふふ」
「うん、知らなかった」
二人の乗った車は、首都高に上った。
「俺、言えなくてさ。ずっと」
「なにを?」
「中学の頃から、裕実姉さんのこと好きだった」
「ホントに?」
「ガキだったし、せめて高校くらいになってから告白しようと思ってたんだが……その矢先におばさんがあんなことになって」有人は嘆息した。
「機会を逸した、と。ごめんね」
「問題ない。今は一番近くにいるから」
「ポジティブね」
「玲央からあんたを護れるか、と問われたとき、俺は心が沸き立った。あいつにゃ悪いがな」
「相変わらず正直な子ね」
はは、と有人が笑う。
「嬉しいんだ。俺はあんたを護り切って、運命に勝ってみせる」
裕実はバッグからパスポートを取り出した。
「成田までどのくらいかしら」
「一時間くらいかな」
「未希ちゃん……いいの?」
「玲央がいる。これで少しは俺の苦労も分かるだろうさ」
「不安だわ~……」
「ところで、裕実姉さんは……どうなんだ?」
「えっと?」
「俺と……」
「なるんでしょ? 私のパートナーに」
「そのつもりだが一応、当人の意志を確認しておこうかと」
裕実はシフトレバーに乗せられた有人の手に、自分の手を重ねた。
「よろしくお願いします、有人くん」
「よろしく、裕実姉さん」
有人は左手を返し、重ねられた裕実の手を握った。
「玲央には悪いことしたな」
「どのみち、あの子とは添い遂げられない運命だから」
「あいつにゃ言えねえな……」
裕実はバッグの中から玲央の写真を取り出して、愛おしそうに撫でた。