目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第12話 ラストスパート

 盆休みも終わり、八月も折り返し。ラストスパートだ。

 未希の小説も虫食い状態なのはあとわずか。現在までに書き終わっている部分の誤字脱字誤用重複等の修正も完了している。だが、問題なのはこれからだ。一通り書き終わらないことには、全体の整合性を取る作業が開始できないし、語句のバラつきを修正するのもやりにくい。また、文字数制限に抵触していた場合には、削る場所も考える必要がある。まだやることは山積しているのだが――。

「みーちゃん、あと埋めてないとこ、このくらいなんだけど。どのくらいでできそう?」

 僕は先月より、箱書きのカード番号を全て表計算ソフトに入れてチェックしていた。その上で、残りの作業を可視化し未希に提示して、残りの工程の進捗を尋ねている。案の定、〆切までの日数が少なくなってくるにつれ、未希のメンタルはささくれて、どんどん殺気立っていく一方だ。さしもの僕でも彼女のメンタルをニュートラル位置まで戻すことは最早困難になっていた。

「えーわかんないよ」

 処女作からいきなり作業のカンを求めるのも酷な話だとは思うのだが、一応は分業しているので目安くらいは欲しいと思ってしまう。極力彼女の負担を減らす努力はしているのだが……。こうなったら最後の手段だ。

「みーちゃん、缶詰だ」

「は?」

「完成するまで、叔父さんとこに泊まりなさい」僕は天井を指差した。「もう時間がない」

「れおにぃの家じゃだめなの?」

「ダ、メ。絶対にダメ」

「なんでぇ」

「未希は必ず僕に甘えるからダメです」

「それ玲央兄ちゃんが言うこと?」

「だから二重の意味でダメです」

 僕も油断すると未希に甘えてしまうダメ人間だから。

「ええええ……」

 絶望感溢れる表情の未希さん。

 でも、心を鬼にして言います。ダメです。

 というわけで、項垂れる未希を他所に、自宅でプリントアウトした完成部分に赤ペンを入れる作業を開始した。商業で言うところの初稿を修正する作業。ふだん僕がやられてるヤツだね。

 この修正作業の特筆すべき点は、作家は指摘に従わなくてもいいというところ。なるべく中庸かつ読者目線を意識して書いてるけれど、絶対ではないから自分で取捨選択しなさい、と未希には言ってる。いきなり無視するのは難しいとは思うし、時間もないから従ってしまうんだろうけど。

 誤字脱字誤用重複文法間違い系は校正AIで直したけど、そこからこぼれた奴とか整合性の取れていない所、一般常識と照らし合わせて微妙な部分の指摘、文の位置がイマイチなやつの指摘等々、機械では直しにくい所に僕が赤を入れていく。

 選ぶという行為そのものが未希の脳をすり減らしてしまう。だからこそ、余程おかしくないかぎりは修正したくないが、クオリティと天秤にかけていると思うと悩ましい。だから、時間がなければ無視していい部分は赤じゃなくて違う色で書いてる。

 カードの時点で振り分けていても必ず発生する「書き込みすぎ」「書かなさすぎ」も本来指摘すべき点ではあるが、投稿作の時点でプロの僕がそこまで直すのも良くはないだろうな。恐らくチートになってしまうから。後で困るのはこの子だ。

 未希は火事場のクソぢからでパワーを発揮する子だから、もしかしたら全てを乗り越えるのでは、との期待はある。でも、カードの内容を全て書き起こせたら、その時点で大勝利だとも思ってる。〆切に間に合うことのほかに勝る正義はない。

 僕の手前、作家になるのも公募もやめると言えなくて突っ走ってる可能性も否定は出来ないが、それでも未希が自分で決めて自分で宣言したことだ。彼女が後悔したとして、僕を選んだ彼女の自業自得。覚悟もなくこんなクズ男に関わった自分のせいだ、と思ってもらっていい。むしろそっちの方が……。

 ――虫のいい話だな。だから僕は自分が大嫌いなんだ。


 僕からの連絡を受けて、有人が未希の身の回りのものを持って店にやってきた。叔父さんに菓子折りを渡して、しきりに謝っている。

「有人よ、僕の家に泊める代わりに、叔父さんちの僕の部屋に泊まってもらうだけだ。そう大層なことじゃない」

「そういう問題じゃねーだろ。ま、こいつが本気出すのは半年ぶりだ。うちの家族も理解はしてる。そして今度はお前が伴走してくれる。不安はねえよ」

「えらい信用だな。しかし戦うのは未希だ。僕は助けられない」

 当の未希は兄の来訪にも気づかず、ノートパソコンの画面と格闘している。彼女の集中力は目を見張るものがある。これが土壇場の志望校変更を実現させたのだろう。

「ああ。俺達は見守るしか出来ねえ」

 僕は無言で頷いた。

 カード作成やブロック単位で紙に貼り付けてた時点で、ひどい論理破綻などは弾かれているから、現時点では思ったより大掛かりな書き直し作業は発生しなさそうに思える。だが最後まで何が起こるか分からない。土壇場で彼女が寝込むかもしれないし、PCが壊れるかもしれないし、僕が壊れるかもしれない。

 残り半月、油断せずに行こう。


     ◇


 四六時中、店に未希がいるおかげで、夕樹乃さんとの連絡が非常に取りづらくなってしまった。本来ならば仕事なのだから問題はないはずなのだが。特に窓口が夕樹乃さんというのが問題なんだよな。悩ましい。仕方がないので、現在はもっぱらメールやチャットでやり取りしている。相変わらず僕の新刊の売り上げが微妙なので、編集部は次の作戦を実行に移すようだ。その内容が……ひどい。

 ――僕は来月、サイン会の全国ツアーを行うことになってしまった。

 月を跨げば中々会えなくなるなんて、今の未希にはとても言えない。複雑な心境のまま、僕と未希は作業を続ける。〆切まであと一週間。

 未希のカードの書き起こし作業と、僕の赤ペン修正は平行して進んでいく。未希のカードの書き起こし作業が終了次第、頭から赤ペン部分の直し作業が待っている。つまり、一周目をゴールしたら、二周目が待っている格好だ。

 修正、直し、修正、直し……これの繰り返しが本を作る作業の少なくない部分を占めるのだが、僕らにはもう時間も気力もあまり残っていない。せめて書き起こし作業だけでも終えてくれれば、最悪でも〆切には間に合う。

 先に宿題を終わらせておいて大正解だ。今の未希は缶詰が始まってからこちら、アクセルをベタ踏みしっぱなしだ。この集中力の糸が切れたらそこで試合は終わり。それまでなんとか未希には持ちこたえてもらわなければ……。


 〆切まであと六日。朝食で店に顔を出すと、未希の顔色があまりよろしくないし食欲も微妙だ。昼前まで少し様子を見ていたが、そろそろ限界のようだ。過労と冷房病のコンボっぽいので、未希をいっぺん自宅に連れていくことにした。

「おじゃ」

「どうぞ」

 未希は即ソファに倒れ込んだ。ぐったりしている。

「大丈夫?」

「やば」

「いま風呂にお湯張るから。半身浴でリラックスして」

「んー……」

 僕もうかつだった。未希は女の子だ。夏場とはいえ冷房の効いた店にずっといては体温調節機能もイカれるだろう。今日は湯舟に浸かってリフレッシュしてもらえればと思う。

「お風呂入る前にこれ飲んで。お水だよ」

「ん」

 お湯が溜まったので未希を風呂場に連れていく。溺れられても困るので、僕も一緒に入ることにした。半身浴のお作法に則り、未希の足にお湯をかけてから湯舟に入れてやる。

「湯加減大丈夫?」

「ん」

 僕は未希の肩口にタオルをかけてから、自分の体を洗い始めた。昨日は髪を洗っただけで力尽きて寝てしまったから。

 普段は饒舌な未希も、今日ばかりは大人しい。相当に消耗していたのだろう。

「みーちゃん、何か食べたいものある? デリバリー頼んであげるよ」

「んー……。叔父さんのオムライス」

「そうか。わかった」

 僕は湯舟の中でぐったりしてる未希の頭をゆっくり、ゆっくり撫でてやる。無理して笑い返してくれるのが痛々しい。可哀想に、全く持って僕の落ち度だ。

「未希」

「ん?」

「無理させて済まない」

「ううん」

「僕がもうちょっとうまくペース配分出来ていれば……」

「れおにぃわるくない」

「ありがと」

 脱衣場からアラーム音が聞こえる。そろそろ未希を風呂から上げないと。

 自宅で休ませようと思ったのに、結局僕は未希を連れて再び叔父さんの店に戻るハメに。彼女のリクエストが叔父さんのオムライスなのだから仕方ない。

 僕は未希の冷え対策に、パーカーとひざ掛けを持って家を出た。

 食後、客席よりは少し暖かいから、二階の僕の部屋で未希に昼寝をさせる。今日の未希は全休だ。

「れおにぃ、ごめん……」

「今日はゆっくり休んで」

「れおにぃ……」

 未希が布団の上から両手を伸ばす。少しは元気になったみたいだな。

「うん」

 横に寝そべって、おでこにキスを落とす。

 いましばらく、抱きしめて添い寝をしてやることにした。

 抵抗力が落ちてるかもしれないから、キスはお預け。

 未希が眠った後、僕は一階の電話コーナーから夕樹乃さんに電話をかけた。急なプロモーションの実施で、連絡事項が山積している。おかげで彼女もバタバタしてるようだった。宿が、とか飛行機が、とか色々大変そう。お互い、接待についてはあえて語らず避けて通した。


 〆切まであと五日。未希が復活。午前中には書き起こし作業が無事に終了した。

 これで最悪の事態は避けられる。念のためデータをまとめて保存し、いつでも応募出来る状態にしておいた。もちろん、必要事項やタイトル、梗概 (ラストまで書かれたあらすじ)も用意させた。

 あとは作業の進行度合いに応じて差分と差し替えたバージョンアップデータを逐次用意するだけ、というところまで来た。

 これからは、未希も僕もアクセル全開ベタ踏みするだけだ。

 未希が、僕が赤入れをした部分の修正に取り掛かった。次の目標は、赤ペン部分の修正。その次で青ペンまで手が回れば今回のミッションはコンプリートである。

「みーちゃん、青いペンのやつは後回しで。赤いペンのを先に修正していって」

「りょ」

「赤い方の修正が終わっても時間が余ったらやろうね」

「うい」ボキャブラリーがどんどん省エネになっていく。ここは極寒の津軽なのか。  

 僕は叔父さんにお願いして、手でつまんで一口で食べられる食事をたくさん用意してもらった。頭脳労働は思いのほかカロリーを消費する。ここまでくると、長距離走やロードレースの様相を呈してきたな。そう、未希はいま、まごうことなきアスリートなのだから。

 叔父さんの作ったサンドイッチを摘まみながら、僕はふと自分の投稿のことを思い出していた。

 特に新人賞を目的に書き始めたわけでもなく、前々から頭に残っていた長い夢の記憶をつらつら書いていた。姉さんを失い、父を仕留め損ない、あの男に復讐も出来ず、ただ隠れて生きながらえるだけの命の僕が、苦しみから逃れるために書いていた。

 前々から、本を読んでいる時のみならず、レポートや論文を書いている間はイヤなことがあっても気が紛れることを知っていた。だから夢の記憶を書き綴るのも、僕にとってはただの痛み止めでしかなかった。それでも痛みの激しさを思えば、こんなに楽になれるのならと、自ら進んで書いていた。

 ある時、同じ日本からの留学生である友人に小説を書いていると語ったところ、とある新人賞に応募してみては、と勧められた。一度は断ったのだが、何かの賞に入ればお金がもらえるかもしれないし、せっかくだからと押されて、まあ君がそこまで言うのなら、と期待もせずに応募したらこのザマだ。僕は悪い大人たちに捕まってしまい、未だにその奴隷から抜け出せずにいる。

 だから、真っ直ぐな気持ちで僕に飛び込んで、真っ直ぐな気持ちで作品に打ち込んでいる未希が、眩しくてうらやましい。きっと未希はいま、青春なんだろうな。

 それを僕がこんなに穢している。ひたすら、穢している。


 〆切、最終日。

 僕らはギリギリまで修正を続けた。わずかなクオリティを上げるため。

 常連さんたちにも緊張感が見え隠れする。みんな口にはあまり出さないけど、未希のことを応援してくれている。……ありがたいことだ。

 そして夕方。未希の手が止まる。

「玲央兄ちゃん」

「なんでしょう」

「もう、送っていい?」

「未希がそう思うなら」

 未希が、うーん、と考え込んでしまった。少し修正してはバックアップを取り、を繰り返して現在バージョンは200を超える。

「いつやめてもいいし、いつまでも終わらない。すごいつかれるね」

 とうとう気づいてしまいましたか、未希さん。

 貴女は聡明だ。

 作者が筆を置いたときが完成です。

「そうだね、未希」

「れおにぃ休ませてあげたい」

「えっ……僕を?」まさかの僕か。自分だって疲れてるのに。

「未希のせいで、お仕事迷惑かけた」

「いいんだ。ずっとじゃないから」

「ごめ」

「いいよ。だって未希だから」

 僕は彼女の肩を抱いた。

「じゃ、これで終わりにする」

「うん」

 未希は最終ページの最終行に、了の文字を打った。

「おつかれさま。これで完成だね」

「うん、ありがと」

 常連さんたちから拍手が。なぜか泣いてる人までいる。これって青春リアリティショーなのかな。

「みんな、ありがと」未希もすすり泣きをしている。

 僕は、未希の作品の最新バージョンを、新人賞投稿ページからアップロードした。

 あとは選考をどこまで突破できるか、だ。もう僕には手伝ってやれることはない。

 ただ一つのことを除いては。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?