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第5話 出版社に行こう

 夕樹乃さんとケンカをした数日後、僕は叔父さんの店でランチタイムの準備の手伝いをしていた。たまに手間のかかるメニューの際は、こうして手伝うことがある。とはいえ調理はぜんぜんなので、それ以外の所をだけど。

 事前に出来ることを全て終え、一服していると、僕の携帯に夕樹乃さんから電話がかかってきた。

『山崎先生、今よろしいでしょうか』

 ものすごい他人行儀な彼女。まあ手酷くやってしまったからな。

「構いませんが」

『来週の土曜日に、西沢先生が表紙のサンプルをお持ちになられますので、社まで打ち合わせにお越し頂きたいのですが』

 西沢先生というのは、僕の作品全ての表紙を描いて頂いている絵描きさんだ。

「わかりました。時間と場所を――」

 僕はナプキンにボールペンでメモを取り、エプロンのポケットにねじこんだ。

「では」

『待ってください、玲央先生。あの……』

「なんですか? ランチタイム前で忙しいんですが」

『この間の女子高生のことなんですが……』

「またその話ですか? 別にもういいんですよ、ゴシップなんて。作家なんぞ、何時でも辞めてやりますから。どうぞお気になさらず。ああ、今のうちに担当代わってもらいますか? 僕から編集長に連絡しますけど」

『そんな……辞めるなんて言わないでください』

「それは御社のご都合でしょう。僕の知ったこっちゃないです。ゴシップ誌なんかクソくらえだ。書きたければ書けばいい。そうやって人を平気で死に追いやるような連中に好き勝手させてたまるか」

 言い過ぎただろうか。

 息を殺して泣いてるような声がしばらく続く。

 さすがに罪悪感がのしかかる。

 聞き取りづらいが、ごめんなさいとか、やめないで、いかないで、とか泣きながら言ってるようだ。この間もだけど、泣くようなことなのか?

「ちょっと言い過ぎましたか。でも僕はいつでも作家なんか辞めてやるつもりですよ。今すぐじゃないにしても」

『済みませんでした……もう言いませんから』

「じゃあ、来週の土曜日に」

 正直、夕樹乃さんのことをどう考えればいいのか分からなくなっていた。

 僕は彼女のオモチャだったはず。なのに、あんなに悲しそうな声。何かがおかしい、もしかしたら僕は何かを感じられていないでは? とにかく違和感が存在するのは確かなのだが、それが何なのか僕にはさっぱり分からなくて、イライラしてきた。だけど今は営業中なので気持ちを切り替えるしかなかった。


     ◇


 土曜日、僕は新刊の表紙を描いて下さる絵描きさんとの打ち合わせのため、出版社に出向くことになった。せっかくなので僕はこの日に合わせて一度目の著者校も終わらせた。

 それから、ライトノベルの編集部でも見学させてやろうと思って未希 (とカモフラージュ用の有人)も連れていくことにした。これが少しでも彼女の夢の足しになればいいのだけど。

 僕が小さい頃、父にねだって有人と一緒に児童向け雑誌の編集部に遊びに行ったことがある。親が政治家だったせいか、ずいぶんと歓迎され、お土産まで持たされた。あの頃から出版というものに多少の馴染みがある。だからというわけじゃないけど、未希にも同じような体験をさせてやりたいと思って。

 僕と未希と有人は出版社前でタクシーを降り、エントランスを通り抜けて受付にやってきた。ここで夕樹乃さんと待ち合わせしているんだ。僕が人数ぶんの入場証をもらっていると、未希がロビーにある打ち合わせブースを興味深々に眺めている。

「玲央兄ちゃん、あれってマンガの人が来るやつ?」

「そうだよ。持ち込みの漫画家志望者とマンガ誌の編集さんが使ってるブースだね」

「小説はやらないの?」

「ああ、小説は読むのに何時間もかかるから、賞に応募した人のだけ読まれるんだ。いきなり持ってきても捨てられちゃうよ」

「そうなんだ~」

「俺は絵も文もどっちも苦手だから、異次元の話だぜ」有人がぼやく。

「みーちゃんは才能あると思うよ」

「やったー」

「ほー。まあ楽しみにしてるよ」雑な返しをする兄であった。

 漫画って、絵も話も考えないといけないから、僕には絶対描けないな。心底すごいって思う。まだ自作がコミカライズされたことはないから、もしかしたら未希の方が僕より先にマンガになるかもしれないな。そういうところは、ちょっとラノベがうらやましい。

「あ、山崎先生。お待たせしました」

 エレベーターホールから、夕樹乃さんが手を振りながらやって来た。普段と違うのは、社員証を首からぶら下げているところか。心なしか表情が硬い。それでも、この間の悲壮さは微塵も感じられないのはさすがだ。

「岬さん、こんにちは」

 他人行儀な挨拶を交わす僕ら。人目もある場所ではいつもこんなカンジだ。下の名前で呼び合うのもちょっと微妙だし。ちなみに今日の僕はメディアでも馴染のある、よそ行きの格好だ。トレードマークの長髪を革のコードを使い高い位置で括っている。こんな場所にいたら、いつどこで写真を撮られているか分からないから。パブリックイメージは大事。

「そちらのお二人は……」ガタイのいい男を連れてきたせいか、夕樹乃さんは少しギョっとしていた。未希は知った顔のはずだが、顔色ひとつ変えないところが流石と言える。僕の自慢の担当さんだ。

「従兄妹たちです。僕の仕事を見学させたくて連れてきました。大人しくさせますのでよろしくお願いします」

 二人揃ってペコリと頭を下げた。実際にはラノベの編集部が目当てなんだけど、表向きは僕の本のってことにしてある。

 というわけで、エレベーターに乗ってゾロゾロと僕の本を出してる文芸編集部にやってきた。僕がちょこっと顔を出すと、一斉に中の人たちに挨拶される。面倒なので会釈だけしてすぐ廊下に避難した。

 夕樹乃さんはヤボ用があるというので、戻るのを待ってから、打ち合わせに使ってる隣の会議室に皆で移動する。夕樹乃さんにくっついて大勢入ってきたもんだから、中で待っていた絵描きさんがちょっと引いてた。驚かせて申し訳ないと心の中で謝っておいた。

「お待ちしていました、山崎先生」

「ご足労ありがとうございます、西沢画伯」僕は深々と彼に頭を下げた。

 西沢さんは椅子から立ち上がって僕を迎えてくれた。僕が尊敬する数少ない人物が、この西沢さんだ。四十代くらいの男性で、奥方の手編みのカラフルなカーディガンをいつも着ているオシャレな方だ。国内外で活動されていて、僕ごときのカバーを描いて頂けるなんて本当に有難いやら申し訳ないやら、分不相応だといつも思っている。

「今日は四つの案をお持ちしました」

 既に画伯が会議テーブルの上にサンプルを広げていた。まだ完成ではないというのに、どれもすばらしく一つだけ選ぶのが苦痛になるほどだ。

「ありがとうございます。お忙しいのに新作の挿画を引き受けて下さるなんて光栄です。画伯に全面的にお任せしておりますのに、四種類も作って下さって本当に恐縮です」本当に恐悦至極なのでペコペコする。

 そうなのだ。僕にはそれほど絵心もないから、完全お任せで不満も一切ないのに、毎度毎度こうしてサンプルを持ってきて下さるのだ。何か僕に選ばせないと困ることでもあるのだろうか。

「お嬢さんも良かったら、こちらでご覧になりませんか?」

 画伯が、壁際にいる未希に声をかけてくれた。僕もおいでと手招きをした。

「おじゃましまーす」

「ありがとうございます、西沢さん。この子は親戚の子なんです。学校の課題で、社会見学のために連れてきたんですよ」

「そうなんですか。うれしいですね、若い方に見て頂けるのは」

「こんにちは! とっても綺麗なイラストですね!」

「ありがとう、お嬢さん」画伯は女子高生に褒められてニコニコだ。

「ところで、口絵とか挿絵はないんですか?」

 おい、それはラノベだけだぞ、未希。

「実はないんですよ~。私は絵を描くまえに本文もちゃんと読んでるから、描いてみたいシーンもけっこうあるし、ご依頼があれば挿絵を描くのもやぶさかではないのだけれど、このレーベルでは表紙だけなんですよね」ちらっと夕樹乃さんを見る画伯。夕樹乃さんが苦笑する。まあ苦笑するしかないよな。

「未希ちゃん、口絵や挿絵があるのは、児童文庫やライトノベルくらいなんだよ。僕の本はそういうのじゃないから」

「ふうん。おじさんの挿絵見てみたかったなあ」こら、恐れ多いことを言うんじゃない。

「じゃあ、ちょっと待ってね」

 画伯がカバンをがさがさ漁り始めた。一体何をする気なんだろう……。

 え? マジで? うそでしょ?

 なんと、彼はカバンからスケッチブックを取り出して、さらさらと人物の絵を描き始めたではないか。どこかの店……喫茶店だろうか、の席で、窓の外を寂しげに眺める女性――ヒロインと思しき人物画をあっという間に完成させてしまった。

「これは……すごい、イメージぴったりです……画伯」

「ちょっと編集さんに似てるかも?」と未希。

「そうかしら? 素敵なイラストですね、西沢先生!」

 俺にも見せろよ、と有人が壁際からぼやくので手招きしてやる。

「伊達にデビュー作からずっとカバーを描いてないですよ。山崎先生の頭の中身なんてお見通しです。あははは」

 僕は恐縮するしかなかった。だって、本当に頭の中身を覗き込まれたような気分だったから。でもそんなことはあり得ない。では何が起こっているのかというと、これは又聞きなんだが、作家の脳内ビジョンはさなぎの体内のように流動的で、決まったイメージは存在しなくて、いったん絵描きに描かれてしまうとそのイメージに引っ張られて実はもとからそういうイメージだったんだと作家が誤認してしまうのだとか。言われてみれば納得のいく話である。ただ、付き合いの長い絵描きさんともなると、多少は作家の好みも理解してるから、より精度の高い絵が上がってくるのは間違いない。

 画伯はていねいにイラストのページを切り離すと、未希に手渡した。

「おじさん、ありがとうございます! 家宝にします!」

「僕が家宝にしたいんだが。ずるいなあ」

「あとでコピーしてあげるね!」

「額を買わないとだな!」

「じゃあ、そろそろ打ち合わせ始めましょうか皆さん」と夕樹乃さん。

「といっても、四択で選んだらもう僕のやることないのでしょう。岬さんは本当に優秀な編集さんだから、ほとんど仕事は片付けてるだろうし」

 めずらしく僕が褒めるものだから、叔父さんの店以外ではあまり表情を崩さない夕樹乃さんが、ふにゃふにゃになっている。彼女との関係がギクシャクしたままなのもイヤだったし、多少は仲直り出来ただろうか。


 絵描きさんとの打ち合わせも終わり、初校の直しを入れたディスクと書類を夕樹乃さんに渡すと、僕の用事はすっかりなくなってしまった。さあ、ここからが今日の本番だ。

「さて夕樹乃さん、僕らラノベの編集部を見学したいんですが案内してもらえますか?」

「やっぱり。何か企んでるとは思ってましたけど……いいですよ。ついてきてください」

 僕は未希にサムズアップすると、未希もサムズアップを返した。

 下の階にあるライトノベル事業部の部屋に、夕樹乃さんを先頭にしてぞろぞろ歩いていく僕ら。まるでRPGのパーティみたいだな。さしずめ僕は魔法使いだろうか。夕樹乃さんが僧侶で有人が格闘家で未希は……遊び人?

「……で、なんて理由で見学するつもりですか? 玲央先生」

 入口の手前で口裏を合わせる会議を始める夕樹乃さん。確かに必要だけど。

「そうだな……母校の文芸部の子を連れて来た、有人は顧問の教師ってことでいきましょう」

「了解です。さすがはプロの法螺吹きですね。ウソがすらすら出てきて感動しちゃいます」

「褒めてないよ、夕樹乃さん?」

「俺教師なのかよ。文芸とかわかんないぞ」

「わかんなくても顧問やらされるなんてザラだぞ。とにかく体育教師でもいいから」

「お、おう」

「未希も。わかった?」

「おけまる~」

 話がまとまったので、有人と未希を戸口に置いておいて、まずは夕樹乃さんと僕が入って編集長に了解を求めに行った。入ってきた夕樹乃さんには怪訝な顔をした編集長も、後ろについてきた僕を見て、秒で起立し、手もみを始めた。これだから権威主義の大人は大嫌いだ。ったく。気持ち悪い。

 結局、僕が来訪目的を説明すると、自由にうろついてよいとのお許しを得た。早速編集部内を物色しはじめる未希の後ろを僕と有人がくっついて回る。

「懐かしいな、玲央」

「覚えてたか? 父さんに連れてきてもらった時のこと」

 子供時代に出版社に遊びに行ったことを奴も思い出していたようだ。

 最初は珍しそうにウロウロしていた未希だったが、所詮は職員室とさほど見た目も変わらない、ただの書類の多いオフィスだ。そのうち物見遊山にも飽きてしまった。

 そろそろ帰ろうかと思うと休憩スペースに、いつのまにかお茶菓子が用意されていて、ご相伴に預かることになった。作家志望の現役女子高校生の来訪とあって、編集者たちも色々聞きたいことがあるようだ。ボロが出ないうちに撤収したいんだが……。

 編集者たちがお菓子で未希を餌付けしているなか、編集長が僕の脇にやってきて、小声で話しかけてきた。正直、イヤな予感しかない。

「もし、もしよろしければ、山崎先生の玉稿を賜りたく存じますが、いかがでしょうか」

「すいません、僕はラノベはよく分からないので申し訳ないのですが……」

「ファンタジーの大家の山崎先生ならきっと大丈夫ですよ」

 僕が困っていると、夕樹乃さんがすっ飛んできた。

「あらあら、引き抜きは困りますよ。山崎先生はうちの事業部の看板なんですから」

 編集長は露骨にイヤそうな顔をすると、

「どうせ色仕掛けで囲ってるんだろ」

 と僕にも聞こえるように言って、自分の席に戻っていった。

「色仕掛け、か。いくら待っても仕掛けて来なかったんですがねぇ……」

 僕も嫌味ったらしく、夕樹乃さんにだけ聞こえるように言ってやった。

 お手上げポーズの夕樹乃さん、今日はあちこちから嫌味を言われてさんざんだな。 

 それにしても、未希をこんなセクハラ編集長のいるレーベルからデビューさせるのはイヤだな。何とも悩ましい……。

 結局、女子高生とのふれあいお茶会は小一時間くらいで切り上げて、引き揚げることにした。帰りには、大量の販促グッズや試し読み小冊子、新刊何種類かをアニメ絵の紙バッグに詰め込んで、未希に土産を持たせてくれた。

 中には、未希が店に持ってきたラノベのクリアファイルやステッカーなども混ざっていたから、あれはきっと人気作品だったのだろう。

「突然押しかけて、こんなにお土産まで頂いて済みませんでした。後輩にとてもよい体験をさせてやれて、みなさんには感謝しています」

「山崎先生のお願いなら、いつでも歓迎ですよ! またいらしてください!」

 自分の肩書を使って人様に迷惑をかけることの、なんと心苦しいことか。己の父親は政治家の肩書を振り回して、やりたい放題やっていたのだろうけど。


 エレベーターでみんなと一階に降りた僕の目に、イヤなものが飛び込んできた。僕らの人生を滅茶苦茶にした、あのゴシップ誌の名前だ。そのポスターがエレベーターホール脇の掲示板に貼られていた。僕は作家になってから、あの雑誌と同じ出版社からデビューしたことを知り、ひどく歯噛みをしたものだった。でも、刃物を持ってあの男と刺し違える気にはなれなかった。僕には、護るものが出来てしまったから。――夕樹乃さんに迷惑をかけたくなかったから。だが、それも過去のこと。


「今日はありがとうございました、岬さん」

「楽しんで頂けたら何よりだわ。先生も、著者校早めに持ってきて下さって助かります」

「まあついでですし。それじゃあ、また」

 一階のロビーまで夕樹乃さんに送ってもらった僕らは、ビルの前でタクシーを拾って未希の家――僕の実家の隣家に向かった。

「未希、今日は楽しかった?」

 僕と有人の間に挟まれた未希は、ひざの上に大量のお土産の入った紙袋を抱えて、かなりご満悦だ。

「ありがと、玲央兄ちゃん! やっぱすごい人だったんだね!」

「う、うん……」

 別に僕がすごいんじゃない。あいつらが僕を「すごい人」に仕立て上げただけだ。僕は腹の中で舌打ちをした。

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