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第2話 愛しの担当さん

 従妹の女子高生、未希が帰ったあと、僕はカウンター下に潜伏していた情報漏洩の主犯、僕の叔父を確保すると、早速尋問を開始した。

 どうやら新年の酒宴の席で、うっかり口を滑らせたらしい。僕が帰国して何年も経つので油断していたようだ。幸い、漏洩先は未希と兄の有人、そしてその両親の四人のみ。あとで兄の方にも口止めをしなければ。


 こってり叔父を絞ったあと、未希が大量に置いていったラノベを消化することにした僕は、普段使っている店内奥の専用席からカウンターに文庫本の山を移動させた。

 カウンター上の山から一冊手に取り、僕は叔父に蘊蓄を語った。

「昔はラノベなんてカテゴリーはなくて、そこに当たるのがジュブナイルとか、若年向けのSFだったり、ヤングアダルトと呼ばれる――」

 叔父相手にこんな事を語っても分からないとは思っている。


 つい誰に講釈するでもなく蘊蓄を垂れてしまうのは僕の悪い癖だ。しかし、これは自分の知識を整理するためでもあるので実に悩ましい限りだ。

 こうした僕の言いぐさのせいで、他人からの印象は正直あまり良くはない。都合よくフォローを入れてくれる親友も可愛い幼馴染みもいるわけがなく、有り体に言ってしまえば、僕はKYで激しくめんどくさい奴、ということになる。

 いつも、うんうんと熱心に僕の話を聞いてくれるのは僕の愛しい担当さんだけ。それにしたって仕事の一環なのだろうから、内心は面倒な奴だと思っているだろう。


 好物のウォールナッツを囓りながら、手元のラノベのページをめくっていく。ある意味難解な文章にときおりつまずくので、ページを行ったり戻ったりする。

「お前さんの本は、アートっぽい表紙が多いが、ラノベってのはみんなマンガみてぇな絵がついてるんだな」

 叔父はカウンターに積み上げたラノベを数冊手に取って、ふーん、とか、へー、とか言いながら表紙を見比べている。

「まぁ、読者層が中学から高校の男の子、ということになっているからね。それ相応の体裁ということなんでしょう」


 ラノベの表紙には、もれなく可愛い女の子が描かれている。中身もおおむね、無個性なハイティーンの男の主人公が魅力的な女性キャラクターに囲まれて、キャッキャウフフする、という読者の夢を投影したものばかりに思える。

 僕としては、同年代よりは年上のお姉さんとキャッキャウフフする内容が好ましいのだが、彼女が持ってきた中にはあまりそういう趣向の物がないのが淋しい。もし僕がラノベを書くなら、絶対に姉萌えだ。とにかく異論は認めない。


 僕の本の話だけど、ギリシャ神である主人公とその姉の恋愛が主なストーリーだ。ギリシャ神話時代の神々の日常や恋愛などの心理描写が、多くの女性に受け入れられているようだ。

 普段の僕はそんな甘々ドロドロな小説を書き散らかしているのに、どうにもリアルの恋愛に関しては経験不足も甚だしい。女性経験は姉しかないし。

 そう、僕と姉は恋人同士だった。だから、僕の留学中を狙ったように、父によって実行された政略結婚で、姉を奪われた際に激高した僕は……。


「ダメな兄貴だな」

 自嘲気味に呟くと、僕はマスター自慢のブレンドをぐっと飲む。このままでは、久しぶりに会いに来た妹分の役に立てる気がしない。なんとかしないと。

 ふいに、店のドアに取り付けられたカウベルが、カランコロンと金属質で牧歌的な音を立てた。

「こんばんは、玲央先生」

 声のする方に振り返ると、僕のデビュー当時からの担当編集者、そして僕の大好きな岬夕樹乃みさきゆきのさんがいた。もちろんラブの意味で。はっきり言ってドストライクだ。

 僕は最初こそ姉に向けて小説を書いていたのだが、今では売り上げを出して、少しでも夕樹乃さんの立場を良くしようと執筆をする日々だ。

「あ、夕樹乃さん。今日は用事なかったのでは?」


 女性にしては背が高くすらっとしていて、黒のパンツスーツに身を包み、長く茶色いウェーブヘアの夕樹乃さんは、三十路とは思えない若々しさと、キャリアウーマン然とした知的さを併せ持った、僕がずっと想いを寄せる女性だ。


 もちろん、想いを寄せてるだけじゃなく、彼女へのアプローチなら四年前からやっている。食事に誘ったり、季節イベントや誕生日にプレゼントをしたり、直接好意を伝えたことが何度もあるが、いずれもスルーされてしまう。受け取ってくれたのは、コーヒーカップだけ。

 かといって脈が全くないわけでもなさそうなのが始末悪い。四年間ずっと、のらくら思わせぶりな態度を取り続ける彼女相手に、僕もそろそろ疲れてきていて……。


 だからもうヤケクソだ。

 これでダメなら諦めるつもりで、近日発行の新作『コーヒーミル』に夕樹乃さんへの想いをブチ込んだ。

 いま書いてるとはいっても、最終章を残してすでに原稿は受け渡してある。草稿も出してるから、彼女はちゃんと内容を知ってるはず。でも彼女は普段とまったく変わらない様子だ。

 この調子では、彼女へのラブレターだって気が付いてないんだろうなあ。あそこまで露骨なら普通は気づくと思うんだが……。


「〆切直前だから大丈夫かなーとおもって玲央先生の様子を見に来ました」

 そう言うと、夕樹乃さんはカウンターでブレンドを注文した。

 叔父はブレンドね、と復唱すると彼女専用のカップを戸棚から取り出した。

 このカップこそ僕がプレゼントしたものなのだけど、何年も飽きもせず使ってくれているのが嬉しい。……まあ実質、店の備品の一つでしかないのだけど。

 あ、やばい。

 僕は慌ててラノベの山を隣の椅子に移し、背中で隠した。

「玲央先生! いま何か隠さなかった?」

「別に……や、や、やましい事なんかしてませんよ?」

 明らかに僕は挙動不審で職務質問されるレベルだ。

 今は刃物も銃も白い粉も持ってはいないのだが。

「何隠したんです? 玲央先生~」

 夕樹乃さんが僕の肩に手を掛けて、肩越しに背中の方を覗き込む。

 ふと香るコロンに、僕は切なさで胸が苦しくなる。

「ゆ、夕樹乃さん、何でもないですよ、何でも」

 だめだ、このままではアレを見られる。

 なんかえらい誤解をされても困るぞ。

「絶対、後に何かある~」

 夕樹乃さんは体を密着させ、う~とれない~、とか言いながら僕の脇から手を突っ込んで、ラノベの山から一冊引き抜いた。

 わざとだったら怒りますよ、夕樹乃さん。

 ……ほらね。

 だから言ったでしょ?

 僕の気持ちに答えてくれないくせに、こうやってからかったり思わせぶりなことばかりして、しょっちゅう僕を苦しめる。しかも四年間もずっと。最早拷問に近い。

 彼女の本心が全くわからない。

 この調子じゃ可愛さ余って憎さ百倍にもなろうというものだ。

 いや実際なってるけど。僕の心は擦り傷切り傷打ち身捻挫火傷に凍傷……とにかく日常的にダメージを負ってるわけ。こんなことなら好きになんてならなければよかった、と後悔する五秒前。

「これラノベじゃない! そういう趣味だったんですか? ……どうせ読むなら、せめてうちの社のにしてくださいよ~」

「違いますよ。……従妹の女の子がラノベを書きたいと言い出したんです。僕がラノベを読んだことがないと言ったら、こんなに置いてったという次第で……」

 僕はため息をついて、肩をすくめて見せた。叔父も一緒にうなずいている。

「あらまあ」

「というわけで、目下僕はラノベの勉強中……なのですよ」

 苦笑しながら夕樹乃さんをちらりと見た。

 姉以外には見せたことのないような、柔らかい視線で。

 そんな僕の視線を、時に嬉しそうに受け取ったり不愉快そうに見返したり。一体どっちなのやら。さすがにそろそろ病みそうだよ。正直しんどい。

「ところで玲央先生、原稿の方は?」

「うっ……聞かないで下さい。今日は花粉と従妹のせいでさんざんです」

 僕は頭を掻きながら、夕樹乃さんに苦い顔をして見せる。

 別にそんな顔をする必要はないのだけどね。でもつい。だって好きなんだもん。

「そうそう、これ」と、彼女は薬屋の小さな紙袋をカウンターに置いた。「アレルギー用の目薬ですよ」

「わぁ……、ありがとうございます。すごく助かります!」

 日本に帰ってきてから僕は花粉症になってしまったんだ。高校卒業までは大丈夫だったんだけど……。

 彼女が僕のこと考えていてくれたなんて、と思うとちょっと涙が出てくる。せめてもうちょっとだけ鈍いのが治れば……というのは、やっぱり贅沢なんだろうか。

「ところで、その従妹のお嬢さん、どんな物を書いてらっしゃるんですか?」

 夕樹乃さんまでラノベの山を物色し始めた。どうも自社作品を慎重に山から引き抜いているようだ。

「それが、駒場の高校に進学して早々、今日いきなり僕のところに『書き方を教えろ』って押しかけてきたので、書いたものは全く見ていないんですよ。僕としては一時の熱であってくれればいい、と思ってるのですがね」

 僕は隠し立てする必要がなくなったので、再びカウンターの椅子に腰掛けた。

「女の子でラノベ書きたいっていう子は、ある意味貴重ですよ」

「そうなんですか?」それは僕には意外な言葉だった。

「ええ。恋愛系の需要はあるものの、そっち方面でヒットを出すのはやはり女性の作家さんが多いので、もしそういう物を書くのなら……」

「いやいや、だってまだ高校一年ですよ? しかも入学したての」

 されど高校一年。さっき見たばかりじゃないか。

「わかっていませんねぇ、玲央先生。それが売れっ子作家の台詞ですか? 少女漫画でしたら中学生のプロだっているんですよ?」

 そう言いながら、彼女はさっき山から引き抜いたラノベを巻数順に並べ替えている。

「それはそれ、これはこれじゃないですか」

 僕は夕樹乃さんにむくれてみせた。

「あ、ちょっと失礼」

 携帯が鳴って、夕樹乃さんは電話コーナーに去って行った。

「しかし……僕が弟子を取ることになるなんて、何かの冗談じゃないかと」

 誰に言うでもなく、呟いてしまった。

 正直自分の文章に自信はない。

 大学在学中に望まず作家になった僕が、卒業までのあいだで帰国したのは出版社の授賞式に参加した一度きり。

 デビュー直後はまだアメリカ住まいだったから、参考になりそうな本や辞書を入手することもままならず、唯一の帰国時はほとんど書籍の購入時間に充てられたものだった。今思えば、頻繁に訪米する担当さんに頼めば良かったんだが。

 すると叔父さんが、

「まあそう言ってやりなさんなって。玲央兄ちゃん恋しさでやってるんだからよ」

「それが困るっての」


 そもそもどうして政治家の息子の僕が作家になってしまったのかというと、米国留学中、愛しい人を失った傷心の僕が手慰みに書いていたものを、知人の勧めで冷やかし半分に新人賞に応募したところ、僕の経歴に欲をかいた出版社が賞を与えてしまったから。――海外有名大学に留学中の現役大学生という経歴が、新聞や帯に書きやすかったんだろうさ。

 作家デビューした僕を出版社はやたらとメディア露出させたがったが、米国在住なのもあり、在学中はなんとか逃げ続けた。事情があって表に出たくはなかったから。

 だが卒業が迫る中、担当さんに恋した僕は、彼女の業績に繋がるのなら、と帰国後は渋々に従った。

 出版社に求められるまま、在学中の陰気なイメージを払拭し、明るく知的てスマートな都会の文化人『山崎玲央』というキャラクターを僕は演じ続けてきた。

 神崎玲央としての自分を隠してきた僕が、メディア露出をひんぱんに行っても大丈夫な理由は、この大幅なイメチェンによるものだ。


 電話コーナーでなにやら言い争いをしたあと、涼しい顔で夕樹乃さんが戻ってきた。また会社の人とでもモメてたのかな。時々そういうことがある。

「そういえば玲央先生って、ちっとも浮いた話ありませんよね」

 夕樹乃さんは、とって付けたように僕に尋ねてきた。

 貴女が構ってくれないから、僕に浮いた話がないんだが。

 わざとだったら怒りますよ。本気で。

「は? あるわけないでしょう。毎日家とこことの往復なんだから」

 僕はわざと少し怖い目で睨んだ。

 あんた、僕の本よんだろ? 何言ってんだ? と凄んでみせる度胸もない僕は、これが精いっぱいの抵抗だった。

「ふ~ん……そうなんですか」

 なにやら意味深な目で僕を見る夕樹乃さん。

 え、なに? もしかして未希のこと疑ってるのか?

「じゃあ……夕樹乃さんは、どうなんですか?」思い切って尋ねてみる。

「気になる人はいますけど……これといって……ですね。玲央先生は気になる方って?」

「いないこともないけど……全く構ってもらえないんでスネてますが」

 露骨に目を逸らす夕樹乃さん。

 分かってないはずがないんだから、そういうつまらない冗談やめて欲しいんだが。

 いい加減イラっときますよ。

「からかってるなら怒りますよ、夕樹乃さん」

「ごめんなさい、そんなつもりじゃ」

 最近かなり疑わしいと思ってる。僕は彼女にからかわれてるのでは、と。

「ならたまには食事おごらせてくださいよ」

「ええ、そのうちに。じゃあ、原稿がんばってくださいね」

「はーい」

 夕樹乃さんは手をひらひらさせて帰っていった。

 なにがそのうちに、だよ。おごらせてくれたことなんて一度もないのに。

 なんなんだよ、ったく。


 はあ……。


 なんかもう。


 なんかもう、いいや。


 僕はもう疲れました。夕樹乃さん。


 貴女を想い続けることに。疲れてしまいました。




 ……姉さん。

 僕は、貴女を吹っ切りそびれてしまったみたいだ。

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