玄関の扉を開くと、朝日がワタシを照らしてくれた。
お屋敷の前には、お母さまが出かける時に使っている自動運転の車が置かれていた。
お母さまがスマホの紋章に搭載されているアプリで、予め出してくれていたんだ。
「イザホ、待ってよー」
振り返ると、マウがトコトコと玄関から飛び出してきた。
その格好は……小さなタキシードを着て、頭にシルクハットを乗せている。新生活で、張り切っているんだって。
ワタシはしゃがんで、マウの目を見つめる。
忘れ物、ない?
「だいじょうぶ! ちゃんと確認しているよ!」
胸を貼るマウに、ワタシはマウの頭を撫でてあげる。
これからは、マウとふたり暮らしを……するんだ。
それを実感した途端、いろんな感情が胸に埋め込んだ紋章の中で動き出した。
期待、成長、喜び、戸惑い、不安……
……なんだか、感情が悪い方向へと進んでいるような気がする。
一瞬だけ、胸の中でお母さまを突き飛ばしてしまった映像が再生された。
「イザホ」
その声に、ワタシは顔を上げた。
魔女を思わす、紺色のパジャマを身に包んだ……お母さまだ。
元気そうに立って笑みを浮かべているものの、顔色は青白い。
ここ最近、お母さまの体調は悪くなっていく一方だ。
「イザホのお母さん! ちゃんと寝てないとダメだよ!」
マウがワタシの代わりに、お母さまを心配してくれた。
そんな様子すら微笑ましいく思っているかのように、お母さまは口に手を当てて笑っていた。
「だいじょうぶよ……それよりも、ふたりの新たな門出を見届けですもの。自立して帰ってきた時のことを思うと……今のうち、ちゃーんとこの目に焼き付けておかなくちゃ」
お母さまは靴を履き、やや不安定な足取りで近づいて……
そっと片手でワタシの右手を握り、もう片方の手でワタシの頬に触れた。
「イザホ……ステキな作品、作り上げてね」
ワタシは思わず、大きな左手でお母さまの頬に触れる。するとお母さまに微笑み帰されて、先ほどの悪い感情も消えていった。
「心配する必要はないわ。あなたがどんな姿になっても……あなただけのオリジナリティがあるから。だから……見せてね。イザホ自身が作った、イザホを」
ワタシは、お母さまに抱きついた。
お母さまがワタシに、役目を与えてくれたあの時と同じように。
お母さまも同じように、ワタシの頭を撫でてくれた。
いつか……今度は……
ワタシがお母さまの頭を、撫でて上げたい。
車の紋章によって、自動運転で進む自動車。
ハンドルのない運転席に座ったワタシは、バックミラーに写るお屋敷を眺めていた。
「あんなに小さく、なっちゃったね」
助手席に座るマウが、青色に光る目の紋章を埋め込んだ目で、ワタシを見つめている。
「イザホと一緒なら……きっと……」
そう言って、マウはしばらく黙りこんでしまった。
そういえば、前にもマウがなにか言いたそうにしていて、別の言葉でごまかしていたことがあったような……
「ねえイザホ。鳥羽差市についたら、なにか食べたいものとかある?」
食べたいもの……そう言われても、どんなものがあるのか想像がつかない。
その意味を込めて、首をかしげる。
「たとえばさ……カレーとか?」
カレー?
カレーなら、お屋敷でも食べてたけど……
「カレーにだって、いろんな種類があるんだよ? たとえばさ……」
車の中で、マウとこれからの生活のことを話し合う。
その時に感じた、胸の高鳴り。
それがまもなくやってくるという、実感。
人間も、これからのことを思うとこんな気持ちになるのかな。
そう思っていると……胸の中に、なにか変化が起きていた。
これからのことに備えて、過去の記憶を整理しておく段取りが進化したような……
さっそくその手法を試そうと、紋章が眠るタイミングを待ちわびているような……
そのような思いを抱えて、ワタシとマウは自動車で向かう。
ふたりで暮らす、鳥羽差市に。
ワタシの存在理由を見つけるために、10年前の事件が起きた紋章の街へ……