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第97話 人間と作り物



 暗闇に包まれた廊下に、スイホさんの足元に置かれた懐中電灯が光を照らす。


「ねえ、どうして中庭でネズミたちにむさぼり食わさずに、わざわざ助かる場所まで誘導したのか……わかる?」


 スイホさんはワタシの胸ぐらをつかんだまま、ワタシの左手に貫通しているシャープペンシルを抜き取る。


「……あの子から、イザホちゃんの形を崩さずに普通の死体にしてって言われているの。時計塔で、落ちそうになったイザホちゃんをテツヤさんが助けたのも、イザホちゃんが地面に打ち付けられて骨が変な方向に曲らないためだったのよ」


 スイホさんの顔は、口で無理矢理笑みを作っていた。


「まあ、部位を切り落としたりすることは許されているわ。治療の紋章で治る程度なら……ね」


 目には、光が入っていない。生きている人間なのに……光が差し込んでいない。

 まるで、自分の意思があるのに、それを他人に委ねているみたい……


「……もう、これで終わりよ。イザホちゃんも……私も」


 これで……終わり……?




 スイホさんは、ワタシにシャープペンシルを振りかざした。




 ……いや!!


 終わっていない!! 




 終わるわけには……いかない!!




 マウに会うまえに……終わるわけにはいかないの!!




「!」


 ワタシは両手で、シャープペンシルを持つスイホさんの右手を受け止める!!


「……愛する人のために死ねないような目をしないでよ。作り物のくせに」


 それでもスイホさんの手は、力を緩めなかった。




 ワタシの頬に、水滴が落ちた。


 ……スイホさんの目から落ちている。

 スイホさんの目から……涙が流れている。


「あんたのせいよ…… ナルくんがこの裏側の世界に入ってきたのも、あんたのせい……いや、あんたがこの街にこなかったら……」


 それとともに……だんだんと……力が強くなっている……!!




「あんたなんか作られなかったらよかったのよォ!! この駄作つくりものがァァッ!!」




 !!


 ワタシは壁にたたきつけられる!!


 その勢いで、シャープペンシルが進む!!



 ワタシの人格の紋章と……シャープペンシルの先は……


 もう数mmしかない!!!




「あんたが作らえないまま、そのあま葬儀で燃えてしまってたのなあ!! ナルうんに知られないあま!! それどころか誰にも知られないまあ!! 順調に進んでいたのえ!!」




 流している涙は、悲しみ?


 見開く目は、怒り?


 ろれつの回らない口調は、絶望?




 スイホさんの顔からは、もうなにを考えているのかは読み取れない。




「もうここでひね!! いあ!! 人間のえきのこない人格なんあ!! さっさときえやあええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」




 スイホさんの右腕は、その言葉とともに押し込まれた。









「スイちゃん!!」

「ッ!!!」










 そのシャープペンシルは、深く突き刺さった。









 ……ワタシは、まだ消えていなかった。









「スイちゃん……どうして!!」

「違う!! ナルくん!! これは……!!」


 右に頭を向けると、もうひとりのスイホさんが立っていた。


 ……いや、ナルサさんだ。服に首元から手を入れて、その姿を元のナルサさんの姿に戻していく。




 刺さったのは、ワタシの右胸だった。


 紋章が埋め込まれているのは、左胸だ。




「こないで……」


 スイホさんは、ナルサさんに向かって、後ずさりをし始める……




「スイちゃ――」

「こないでぇっ!!」




 !!

 捕まれていた首元が、解放される!!


 それとともにスイホさんは、反対側の壁に手を伸ばした!!




 そこにあったのは、スイッチの紋章!




「!!?」




 それとともに、上から煙が振ってきた!!


「これは……煙幕!? げほっ!!」


 おそらくスイッチの紋章で、天井に埋め込まれたバックパックの紋章を起動させたんだ!




 視界がだんだん真っ白に染まっていく……




「げほっ!! ごほごっ」


 !! ナルサさんが、苦しそうにせきをしている!

 人間は、煙を吸うと苦しくなるんだ!!


「イザホさん……スイちゃんを……!! ごほっ!!」


 煙の中、わずかにナルサさんの指が見えた。その側にはナルサさんの懐中電灯が置かれている。

 ナルサさんはしばらく動けないみたい。煙幕なら毒はないはずだから……置いていっても問題ない……




 ワタシはナルサさんの懐中電灯を持って、その指している方向に向かって走り出す!!


 ワタシなら、煙が口や鼻の中に入っても問題ない!

 人間ではなく、人格が宿った死体という名の作り物フランケンシュタインの怪物だから!!









 煙から出て、懐中電灯の明かりを付ける。


 スイホさんの姿は既に消えていたけど、階段を下りる音はしっかり聞こえる!




 階段を駆け下りて、2階の踊り場に降り立ったころ、


 下に響く階段の駆け下りる音が変わった。


 そしてすぐに、扉を開く音が聞こえてきた。




 ワタシは1階に降り立つと、近くに扉があるのを目にした。


 さっきの音からして……スイホさんはこの扉に逃げ込んだんだ。











 扉の先にあったのは……テーブル。


 テーブルの上に、ドールハウスが飾られている。

 以前、ここに訪れたワタシが……バフォメットに頭を切り落とされた部屋だ。


 スイホさんの姿は……どこにも見当たらない。

 どこかに隠れているのかもしれないけど……




 それよりも……目の前にあるドールハウスに、シーツがかかっているのが気になった。




 以前はシーツなんて、かかっていなかったのに。


 まるで、ワナのように……




 だけど、ワタシの右手はひとりでに動いていた。




 あのシーツの奥に……スイホさんの言っていた“あの子”が用意したものがある。


 その用意したものを……知りたい……




 そのシーツを取り出した先にあったのは……








 5人の、小さな人形だ。


 ドールハウスの各部屋に、人形が飾られている。




 1人目は、ポニーテールにTシャツを着た女性。

 個室の中で机に向かって楽しそうに手を動かすその姿は、紋章研究所の所長だったテイさんを思い出す。


 2人目は、オールバッグのスーツ姿の男性。

 怪しい色をしたツボを個室に飾っていて、テツヤさんみたい。


 3人目は……モッズコートの男性。

 フジマルさんだ。2階に続く螺旋階段らせんかいだんのそばで、両腕を広げて口を開いている。


 4人目……そして、5人目は……リビングのソファーに座っている。ふたりとも、顔は黒いフードに包まれていて、姿はよくわからない。

 ただ……ひとりはタキシードを、もうひとりはウェディングドレスを着ている。


 ふたりの手にあるのは……羊の頭。


 そして、ふたりは天井からぶら下げられているものを、見上げていた。




 ドールハウスの天井からぶら下げられていたのは……鳥かご。




 その中に、白い物がうずくまっていた。





 ウサギだ。


 マウだ。


 まるで、周りを恐れているように……鳥かごの隅で丸くなっている。




 それをふたりは、夜空に浮かぶ星のように、眺めていた。


 まるで、哀れんでいるように……




 ……そんなはずがない。




 この人形を配置した作り手は、たしかに哀れむように想定していたのかもしれない。




 だけどワタシには、




 おびえているマウを、あざ笑っているようにしか見えない。




 第一、マウはおびえるてばっかりじゃない。

 マウはもっと活発で……おしゃべりで……嫌いな人にははっきりと嫌いって言って……だけど、心を許した人にはその気持ちに共感できて……


 マウはかけがえのない存在だ。


 人格としてのワタシを、こんなにも感情豊かに作ってくれたのは、マウだ。




 そんなマウを、この作り手はただかわいそうな存在としか見ていない。




 もしもこの人形を他の人が見たのなら、マウはか弱い存在と認識してしまう。


 後で本当のマウを知っても、このか弱いマウのイメージに引きずられる。


 10年前の事件の犯人という冤罪えんざいを着せられた、ホウリさんの父親のように。




 もう、笑い出しそう。


 ワタシは声は出ないけど、腹筋が揺れている。


 こんなセンスのない……マウのよさをこれっぽっちも生かしてない作品のために……


 マウを連れ去ったの?


 人間たちを……殺してきたの?


 ……なんて、くだらない。


 あはは……


 ははは……


 ははは。









 ふざけないで。









 なにも知らないくせして、知ったような顔で決めつけないで。









 ふざけないで。









 マウを1番知っているのはワタシ。知ったような顔で決めつけないで。










 ふざけないで。











 ふざけるな。








 マウを返せ。










 ふざけるな。










 ふざけるな。










 ふざけるな。










 ふ










 ざ









 け










 る









 な











 。










 胸に埋め込んだ紋章の中でわき上がった感情が、ワタシの左腕を動かし、


 目の前の駄作ドールハウスに、感情をぶつけた。




「!?」




 その駄作は……そのテーブルは……あまりにもあっけなく真っ二つになった。


 この机は、簡単な作りだったんだ。

 見えないところは、こだわらなくていいっておもっているんだ。


 左腕でたたいただけで、簡単に壊れるんだから。




 そして……




「ぃあ……!!」




 後ろでは、スイホさんがマヌケな顔をワタシに向けていた。

 足元には、拳銃が落ちている。


 どうせ、部屋の隅で息を潜めていたんだろう。自身の罪をバフォメットになすりつけた上に、“あの子”という子供に依存することでしかできない、スイホさんらしい。




 そんなスイホさんは、地べたに落ちた拳銃に手を伸ばす。




 ワタシは、自分の右胸に刺さったままのシャープペンシルを抜き取り、


 スイホさんの右手の甲に、返してあげた。




「いっ」




 ほら、返してあげたよ?

 廊下でスイホさんが刺してきた分、ちゃんと返してあげたよ?


「……」


 ちゃんと、返してあげただろ?


「……ぃ……ぃ……」


 普通はちゃんと喜ぶべきだよね、そこは。




 ああ、そういうことか。




 この人間は、ワタシを化け物として見ることでしか、もう心を守れないんだ。




「……ぃたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァアアアアイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!」




 ああ、本当に、なんて弱いんだろう。人間は。


 たった腕に刺さっただけで、あんなに涙を流すなんて。








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