「ここは……一体……?」
ワタシとナルサさんが降り立った裏側の世界は……暗闇の中。
手に持っていた懐中電灯で周りを照らして見えたのは……積まれた本。
木製の床の上に、たくさんの本がワタシの身長の高さまで積まれている。
周りを見渡すと、大きな本棚がまるで道のように設置されている。
本棚には本が置かれていないけど、
その側には先ほどと同じぐらいの高さの本のタワーが、いくつも並べられていた。
間違いない。ここは学校の裏側の世界。
アンさんと、バフォメットに襲われたフジマルさんを助けるためにマウと訪れた、裏側の世界だ。
ワタシはナルサさんよりも先行し、本棚を左に曲る。
その間に、左の手の甲に埋め込まれている盾の紋章を起動させておいた。
そこにあったのは、ヒビが入った窓がついた扉。
あの時、ワタシとマウはあの扉を開き、中庭を通って、校舎の中に入ったはずだ。
その扉をくぐり、ワタシたちは中庭に出る。
「10年前の、バフォメット……」
ナルサさんは、壁に描かれた絵を見てつぶいていた。
逃げようとする女性の手首をつかむ、羊の頭の大男のシルエットの絵を。
「思えば……すべてはあの事件から……」
しばらく思いをはせるようにその絵を眺めていたナルサさんだったけど、すぐに首を振った。
「……こんなことを考えている場合じゃない。姉さんのことを……考えている場合じゃないのに……」
!!
暗闇の廊下に……光!!?
「イザホさん!?」
ワタシの足が、自然に絵とは反対側にある窓に向かって走り出す!!
窓に飛び込まないように、ワタシは自分の足に力を込めて、窓の前で立ち止まる。
その窓の向こうは、廊下。
「!!」
廊下を歩くのは……
「ス……スイちゃん!!」
スイホさんだ。
懐中電灯を持って……黒いローブを身にまとった……
スイホさんだ……
マウをさらった……スイホさんだ!!
……あの光景が、胸の中で再生される。
マウの居場所を……聞かなきゃ……
このガラスを破って!! スイホさんを拘束しなければ!!
「ちょっと待った!!」
盾の紋章が埋め込まれた左腕で窓を破壊しようとした時、その腕をナルサさんに止められた。
「イザホさん、よく見て……!!」
……スイホさんの足元をよく見てみると、ブリキのネズミが廊下の横に整列していた。
廊下を歩くスイホさんを、まるで兵士のように見つめ続けている。
もしも、ナルサさんが止めてくれないまま、このガラスを割っていたら……
ブリキのネズミたちは、ワタシたちに向かって襲いかかってきただろう。
そんな思いを胸で巡らせながら、ワタシは階段を登っていくスイホさんの後ろ姿を眺めていた。
「あ、イザホさん、向こうに扉があるよ?」
ナルサさんが指を指した方向にあったのは……扉。
その扉の前に、ワタシとナルサさんは立つ。
扉に相変わらず貼られていたのは、“立ち入り禁止”という大きな文字。
その下に書かれていた文字は……見えなかった。
くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるな
くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるな
くるなくるな【立ち入り禁止】くるなくるな
くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるな
くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるな
くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるな
くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるな
くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるな
……以前は、立ち入り禁止の下に小さな文字が書かれていたはずだった。
それを、大量の“くるな”で埋め尽くしてしまっている……
「スイちゃん……」
ナルサさんは、じっとその文字を見つめていた。
筆の流れを、一文字一文字、目で追うように。
「……イザホさん、この先に……あのネズミみたいな化け物はいると思う?」
ナルサさんの言葉に、ワタシはうなずいた。
以前マウとともに訪れた時は……廊下に入った時にブリキのネズミに襲われた。
この扉の先に、ブリキのネズミがいる可能性は高い。
だけど……この扉を通らないと、マウを助けに行けない……
「……イザホさん、オレに任せて」
ワタシの肩に手を乗せたナルサさんはそう言うと、着ているTシャツの首元に手を入れた……
すると、ナルサさんの腕が……細身になっていき……
髪も……顔も……体も……服装も……
「……他人から見るとストーカーって思われるかもしれないけど、一応スイちゃん公認だよ。部屋で遊ぶ時に、ドッペルゲンガーごっこしたことがあってね」
……スイホさんの姿へと、変わった。
服装は、落ち着いた緑色のワンピースを着ている。私服かな……?
「……オレはなんでもできる姉さんと違って、自信を持てなかった。そんな自分の姿が……いつしか自分の外見に、なにもできないというイメージを持つようになった」
スイホさんの姿へと変わったナルサさんは窓に目を向けた。
「高校の時から姿の紋章による紋章ファッションをSNSで上げるようになって……雑誌に姿が映るようになっても……姿の紋章を使わない、普通の姿で過ごしていた学生としてのオレは、自信を持てなかった……スイちゃんの前をのぞいて」
ナルサさんは、スイホさんの唇から……
白い息を吐き出した。
「スイちゃんは言っていたんだ。スイちゃんが……認めたくないけど、認めている人の話を。その人は、よく他人から影響を受けることを紋章で表わしていたんだって」
……
スイホさんが……認めたくないけど、認めている人……
「もっと……繋がっていたかった。オレはスイちゃんに頼ってばかりだったのに、スイちゃんはオレに隠し事をしていた……オレにスイちゃんという紋章を埋め込むんじゃなくて、ふたりでひとつの紋章を埋め込み合いたかった……」
一通り言葉を吐き出した、スイホさんの姿をしたナルサさんは「よし……」と両手で握り拳を作った。
「さっき見たブリキのネズミたちは、スイちゃんの姿を見ても襲いかからなかった……だから、スイちゃんの姿だったら、あいつらの目を誤魔化せるかも知れない」
ナルサさんは扉を開く。
「オレがこの先で、ロープとか上に上がれそうなものを探してくる。それで安全そうな場所から、イザホさんを上に引き上げるから……少し待ってて」
そう言い残して、懐中電灯片手に扉の奥へと入っていき、
ナルサさんの手によって、扉は閉まった……
……ナルサさんは、なかなか帰ってこなかった。
最初は、窓からナルサさんの持つ懐中電灯の光が見えていたけど……
2階に続く階段を上り始めてから、見当たらなくなった。
……
ナルサさんは……無事なの……かな……
!!
その時、どこからか扉が開かれる音が聞こえてきた!!
この中庭に入ってきた時に使った扉を……振り向いてみると……
「どろぼー」「どろぼー」「どろぼー」
ブリキのネズミが、こちらに向かって走ってきている……!!
「イザホちゃん!! こっち!!」
それとともに、後ろからナルサさんの声が聞こえてきた!!
立ち入り禁止の扉がある方を振り返ると、4階の窓からロープが垂れている!
ワタシはロープに飛びついた。
足元にブリキのネズミが集まるころに、ワタシの足は地面から離れていく。
上を見上げると、スイホさん……の顔をしたナルサさんが、ロープを引き上げてくれている。
「おまたせ……イザホちゃん」
差し伸べられた手に、ワタシは左手を伸ばした。
その左腕の手首を捕まれて、
左手に、なにかが刺さった。
ワタシの左手に、ナルサさんはシャープペンシルを突き立てた。
シャープペンシルはワタシの左の手のひらから手の甲にまで貫通している。
ちょうど、盾の紋章に重なるように。
盾の紋章で見えない壁を展開させても、守れるのは手の甲だけ。手のひらの方からは……守れない……!!
痛みを不快だと感じないワタシは、ただ自分の左手しか見ることができなかった。
そのワタシを、ナルサさんは4階の廊下へと引きずり込む。
「……ナルくんは、姿の紋章で私と同じ姿をしていたでしょう?」
見上げると……その服は私服ではなく黒いローブ。
「あれね……1日中同じ姿と……“声”で過ごしてみようっていう遊びだったの。楽しかったわあ……」
スイホさんの姿をしたナルサさん……
……いや、違う。
その首元には、青色に光る声の紋章が埋め込まれていて、
それに、その人物は手を触れる。
「ナルくんは姿の紋章で私になって、私は声の紋章でナルくんの声になって、楽しんでいたの」
……スイホさんの……声だった。
さっきまでナルサさんのフリをしていたスイホさん……本人は、
気に入らなくなった人形を見るような目で、ワタシを見ていた。