今、ワタシたち3人は、クライさんの自動車に乗って喫茶店セイラムに向かっている。
「その写真の人って……喫茶店セイラムの店主の人だよね? なぜ彼が?」
隣でナルサさんが、ワタシの持っている写真をのぞき込む。
「イビルさんは……忘れっぽいことで有名……なんです……この写真だけで……思い出してくれると……いいんだけど……」
前の席で、クライさんはハンドルから手を離して、スマホの紋章で今までの情報を整理しているみたい。自動車の運転はハンドルの紋章に任せている。
「それにしても気になるのは……その写真の……裏側の文字……だよね……」
ワタシは改めて、写真を裏返した。
――私の尊敬するあの人が、尊敬していたもの――
「尊敬する人が尊敬したもの……いったい誰なんだ?」
「おそらく……テツヤさんが尊敬していたのは……この事件の黒幕ですね……その黒幕が……尊敬していた人物が……その中に……」
まさか、イビルさん……じゃないよね……?
喫茶店セイラムにたどり着いたワタシたちは、自動車から降りる。
先頭に立ったワタシは、喫茶店セイラムの入り口の扉に手をかけた……
そういえば……現代の事件。そのすべてはこの喫茶店セイラムから始まったんだっけ。
その時はマウと一緒で……今みたいにマウと離ればなれになるなんて、思っていなかったな……
「……イザホさん? どうしたの?」
ナルサさんに心配されてしまったので、首を振って扉を開こう。
喫茶店セイラムの店内に、イビルさんはいなかった。
代わりにいたのは……
「ヒッ!!」
……占い師の、ホウリさん? いや、ホウリさんで合っている。
昨日までのサバトでのイメージが強いせいで、一瞬だけホウリさんじゃないって思っちゃった。
「びっくりした……」
「あ……うん……ごめんね……邪魔しちゃって……ケガはだいじょうぶ……?」
ホウリさんは「え、ええ……」と腕に目を向ける。
たしかホウリさんは、ケガをしていたはずだ。治療の紋章が埋め込まれた包帯を巻いて1日たったから、もうだいじょうぶみたいだけど。
「あ、すみません。ここの店長さんって、今どこに?」
後ろからいきなり話しかけてきたナルサさんに対して、ホウリさんはおびえるように背伸びをする。
「あ……えっと……イビルさんは今……」
ホウリさんが戸惑いながら答えるとともに、奥の扉が開いた。
「すまん。今日再開したばっかりで、材料を向こうの部屋に置きっ放しだったもんでな……」
ソフトモヒカンに、メガネをかけていることよりもおでこが広いことが特徴的な顔。服は無地の白色Tシャツの上に黒色のジャケットを羽織っていて、カジュアルだけど清潔的……
イビルさんだ。
この前会った時は、リズさんが行方をくらました翌日。
その時は事件のこともあり、イビルさんは店を休みにするほどショックを受けていたけど……
「さっきも言ったが、今日から店を開くことにした……コーヒーを入れる腕は、鈍っていないぞ」
今日のイビルさんは、前よりも落ち着いているみたい。
決して笑顔ではないけど……
クライさんはホウリさんの隣に座りながら、心配そうにイビルさんと顔を合わせる。
「あの……イビルさん……もう……だいじょうぶですか?」
「ああ、なぜかわからんが……ふと、リズのことは心配ないと頭の中に思い浮かんだ。もしかしたら、なにか思い出したかもしれないが……」
イビルさんは自分のおでこに手のひらを置いて……
「……すまん、忘れた」
……帰って安心しちゃう。
クライさんは一瞬期待するまなざしを向けて、がっかりするようにため息をついた。
「オレ、たまにだけこの喫茶店に来ていたんですけど……あんがい面白い人なんですね」
「あ……は、はい……まあ……」
隣の席に座るナルサさんに話しかけられたホウリさんは、オドオドと目線を動かしていた。
ワタシも、ナルサさんの隣に座ろっか。
そういえば……他の人は、リズさんの行方を知らないんだね。
リズさんは、サバトの元締め……だけどその正体は、ほとんどの黒魔術団さえ伏せられている。
もともとサバトを知らないイビルさんとナルサさんはもちろん、黒魔術団の一員であるホウリさんも、彼女からサバトのことを軽く聞いたクライさんも知らないはずだ。
「……それよりも……イビルさん……少し見てもらいたいものが……」
「……?」
クライさんがワタシに向かってうなずいた。
見せなくちゃ。左手に持った写真を、イビルさんに差し出して。
「……」
イビルさんはその写真に写る自分を見ると、またおでこに手のひらを乗せた。
「……?」
「……」「……」「……」
……眉間にしわを寄せる時間が……長い。
もしかして、いいところまで思い出せているのかな……
「……イザホちゃん。よかったら、右手でその写真を持ってみてくれんか」
右手? この小さな右手で?
よくわからないけど……大きな左手に持っている写真を、小さな右手に持ち替えてみよう。
「……」
イビルさんはワタシの右手に触れて、まぶたを閉じ……
大きく目を見開き……!!
「……思い出したあァッッッッッッッ!!」
「……!?」「わっ!?」「ひいっっっ!?」
大声で、思わずワタシは席から落ちてしまった。
「私の隣に立っているこの職員……この職員は……」
なんとかカウンターに持たれて立ち上がると、イビルさんはワタシの右腕に手を添えた。
「イザホちゃん……おまえの右腕の持ち主だ」
それじゃあ、この右腕は……
お母さまの……ひとり娘が……
「イザホちゃんの右腕は……旧鳥羽差研究所……それを所有していた大学の……職員だったの……ですか……?」
「ああ。職員の中でも最年少……どころか、まだ成人していなかったような気がするがな。どうも私は、彼女と仕事をしていた記憶があった。今はいない妻との結婚の時も、駆けつけてくれたような気がする」
ホウリさんは「そこまで思い出すなんて……」と意外そうな顔をしていた。
「それじゃあイビルさん、この写真の裏にある意味は?」
ナルサさんがワタシから写真を取り上げると、裏側の文字を指さした。
「……“私の尊敬するあの人が、尊敬していたもの”……!?」
まさか!? 「知っているん……ですか……!?」「これは期待できるぞ!」「イビルさん……!!」
「たしか、彼女は……」
彼女は!? 「……!!」「ゴクリ」「がんばって……!!」
「あの研究所に……」
研究所に……!? 「研究所に……!?」「研究所に!?」「研究所……!?」
「あの研究所に……!!」
研究所に……!! 「研究所に……!!」「研究所に!!」「研究所……!!」
そこでイビルさんは、ためるように深呼吸をした。
「……すまん、忘れた」
ワタシたち4人は、一緒に席から落ちてしまった。
「……それじゃあ……あの旧鳥羽差研究所には……なにかがあるって……ことですね?」
よろよろと立ち上がりながら確認を取るクライさんに対して、イビルさんは「ああ」とうなずく。
「あの廃虚は今もあるんだったな? あの場所に向かえば……なにか思い出すかも知れない。イザホちゃんの手と写真を見たときに、思い出したようにな」
ワタシも他のふたりとともに立ち上がり、4人で互いの顔を見合った。
旧鳥羽差研究所には……たしか、現代の事件の犯人である仮面の人間たちが訪れていた形跡があったはずだ。
もしかしたら、あの場所に向かえば……
「あ、あの! アタイも行かせてください!!」
真っ先に声を出したのは、ホウリさんだった。
「い……いや、ホウリさんは……まだ安静にしたほうが……」
クライさんに声をかけられると、ホウリさんはおそるおそる立ち上がって、クライさんの肩に手を当てた。
そして、ワタシも……
ホウリさんはワタシたちを部屋のすみっこに連れてくる。
「ホウリさん……いったいなぜ……」
「あの……その……クライさん、イザホさん……」
おどおどした様子で、ホウリさんはワタシたちに顔を近づけた。
「あのお方からの命令ですから」
その言葉の時だけ、ホウリさんはサバトでの顔に戻っていた。
「話はついたか? ホウリちゃん」
カウンターからイビルさんに話しかられたホウリさんは、「ひっ!!?」と元の鳥羽差市でのホウリさんに戻った。
「そういえば、そろそろ昼時か。クライさん、本当はぐずぐずしない方がいいのかもしれませんが……一度落ち着く意味で、昼食はここで取りません?」
ナルサさんの意見に、ワタシは賛成だった。
また昨日みたいな、失敗はしたくないから……
カウンターに、4人前のカレーライスが並んだ。
イビルさんが作った、カレーライス。
この鳥羽差市に訪れて、始めて食べたカレーライス。
そのカレーライスを、ワタシは口の中に入れた。
お母さまのカレーライスよりも強い刺激が、舌の上に残った。
「あ、そうだ! イビルさん、食後にコーヒーもお願いします!!」
「あ……自分も……」「ア、アタイ……も……」
手を挙げて注文する3人に、イビルさんはもちろんだと答えるようにうなずく。
「イザホちゃんも、コーヒーだな?」
こちらを見たイビルさんに、ワタシは……
首を振った。
「イザホさん、ここのコーヒーは本当においしいよ? 遠慮する必要はないと思うけど……」
ナルサさんの誘いにも、ワタシは断った。
喫茶店セイラムのコーヒー……
今までさまざまな出来事が重なって、飲むことのできなかったコーヒー……
そのコーヒーを味わうなら、マウと一緒の方がおいしいにきまっている。