バスは、ある建物の前で止まった。
フジマルさんはまだ背骨が治っていないワタシを抱えてバスを降りる。
マウ、ホウリさん、シープルさん、そしてバフォメットも、後に続いて降りる。
「……こりゃあ、てっぺんからならサバトが見渡せそうだね」
マウは目の前の建物を見上げて、つぶやいた。
その建物は、巨大な塔。
石造りのその塔は、周りの木よりも高く、マウの口元が入り口に向けられるほど見上げる必要がある高さだ。
「あの頂上に、“あのお方”がいるの?」
「ああ、その通り……」
フジマルさんが答えていると、その前をバフォメットが通る。
「バフォメット、先に進んでどうするんだ?」
「……」
バフォメットはこちらを振り向いたけど……
なにも言わないまま、一足先に塔の入り口を開けて、ひとりで入っていった……
やがて、バフォメットはなにかを抱えて戻ってきた。
抱えていたのは……車イス。
バフォメットは無言のまま、ワタシの前に車イスを置いた。
「気が利くな! バフォメット!! これで私の腰の心配はなくなったわけだ!! 助かったぞ!!」
「……」
バフォメットはなにも答えず、入り口の前まで移動した。
その様子を不思議そうに見ていたマウは、シープルさんに顔を向ける。
「……ねえシープルさん、バフォメットって、普段からあんな感じ?」
「知らんな。俺たちだってまだ昨日しか会っていないんだ。知っているのは、彼と関わりが深いという“あのお方”だけだな」
その横で、ホウリさんは手を震わせていた。
「ええ……正直……このサバトの中にいる状態のアタイでも……バフォメットは怖いです……」
フジマルさんに車イスに乗せてもらって、ワタシたちはバフォメットとともに入り口の扉を開いた。
なんだか、自分の意思ではない、他人の意志でワタシが移動するなんて……ちょっと新鮮。
通路を通り、エレベーターに乗り込み……
最上階の、20階にたどり着いた。
「バフォメット、後は頼んだぞ」
エレベーターから降りる際、フジマルさんはワタシが座っている車イスから手を離した。
「あれ? フジマルさん、来ないの?」
「我々は“あのお方”と顔を合わせることを禁止されている。面会を許されているのは……我々の知り合いでは、このバフォメットだけだな」
バフォメットは無言でうなずくと、フジマルさんの代わりにワタシの車イスを押す……
……なんだか、早い。振り返ると、もうエレベーターが小さくなっている。
「ちょ、ちょっと待ってよ!!」
マウは慌てて、エレベーターの中から飛び出す。
エレベーターに残ったのは、フジマルさん、シープルさん、ホウリさんの3人。
扉は、ゆっくりと閉じていった。
「まったく……あのまま連れ去られちゃうかと思ったよ」
マウはブッブッと鼻を鳴らしながら、ワタシの車イスを押しながらずんずんと歩くバフォメットに必死に追いつこうとする。
「ねえバフォメット。いっておくけど、ボクのイザホになにかしたら承知しないからね! といっても、キミには既にイザホの首を切り落としたっていう前科があるんだけど」
「……」
バフォメットは、さっきから口を閉じている。
……いや、本当に口はあるのかな?
バフォメットの顔を見上げてみると、首筋に声の紋章が埋め込まれていた。マウと同じように、声の紋章で声を出していたんだ。
だけど、バフォメットの声を聞いた時……マウたちとは違った、不自然な声だった。まるで、機械で作られたような声……
よく見てみると、その声の紋章の形はどこかいびつだった。
文字を書く際に途中で字を間違えた……そんな感じ。
「ねえ! バフォメット!! ボクの話を聞いてよ!!」
「……!!」
ブッ!! とマウは飛び上がって、ワタシの車いすの肘掛けにしがみついた。
バフォメットは立ち止まって、マウをじっと見ると……
「はうっ!?」
マウの頭をわしづかみにした!!
「……」「く……苦……しい……」
すごい力……マウは頭を抑えて、じたばたと足を動かしている……!!
「!!」
ワタシは、バフォメットの片手を、小さな手で触れた。
もうやめて。その手を離して……
「……ワガ……ムスメ……コノモノ……テキ……デハナイ……?」
敵じゃない!!
マウは、ワタシの大切な存在!!
精一杯首を振っていると、バフォメットはマウをじっと見つめて、
ワタシの膝の上に、落としてくれた。
「けほっけほっ……死ぬかと……思っ――!?」
マウが咳をしていると、その頭に乗せている黒色の中折れハットがバフォメットに取り上げられる。
代わりにそのおでこを、おわびを込めるようになで始めた。
「……スマナカッタ……ワガ……ムスメ……ヨ……」
バフォメットは、マウではなくワタシに顔を向けていた。
「……なんだろう。すっごい複雑な気分なんだけど」
「……」
バフォメットは、マウに見向きをすることもなく、再び車イスを押し始めた。
やがて、ワタシたちの前に大きな扉が現われた。
「……」
バフォメットは前に来て、ノックをする。
しばらく静かな時間が立つと、鍵の外れる音が小さく聞こえてきた。
「……今から、会うんだね? “あのお方に」
「……」
バフォメットはなにも答えず、扉を開けた。
目の前に広がったのは、天井がガラス張りになっているドーム状の部屋。
空は暗闇の中に、満天の輝きを放つ星々が浮かんでいる。
その下で、赤く染まったカーペットの上に、人が倒れている。
両手をおなかに添えて、まるで死んでいるかのように動かない。
その光景を見ても、バフォメットは動こうとはしなかった。
「……サバトの星は、ずっと同じ景色を写しているの。魔女狩りから生き延びた魔女が、1番好きな景色の星……なんだって」
その人はワタシたちに足を向けたまま、語り始めた。
「ねえ、こっちにおいでよ。イザホ。横になると頭がリラックスして、もっと星は輝くよ。イザホの場合は胸の中かな?」
顔を上げることなく、右手を上に上げて、こちらに手招きをする。
それとともに、バフォメットはワタシとマウが座っている車イスを、その人の前まで移動させた。
「あ、マウも一緒に、お願いね」
「……アア」
バフォメットは声で答えると、マウをつかんでその人の隣にやさしく寝転がせた。
次にワタシの番。ワタシの体を抱きかかえて、マウの横に寝転がせてくれる。
最後に、ワタシの額をなでてくれた。
空の星は、たしかに輝いて見える。
星じゃなくて、ワタシが床に背中をつけて眺めて、なんとなくボーッとしているから。
お屋敷にいたときも、鳥羽差市に引っ越して来てからも、経験したことのない感覚だった。
「ねえイザホ、それにマウ、びっくりしないの?」
その人からの質問に、ワタシは首を振った。
その理由を、マウが説明してくれる。
「今日はびっくり続きだったからね……フジマルさんが犯人の仲間かもしれないって時に、いきなりシープルさんが本性表わして……サバトに連れてこられて……イザホの顔に化けた男に追いかけられて……フジマルさんとバフォメットに助けられて……」
マウはゆっくりと、その人に体を倒す。
「だからなのかな。ボクもイザホも、もうびっくりしなかったよ」
ワタシも一緒に、顔を夜空の星から、
大きな赤いリボンを付けた、その人に向ける。
「サバトの元締めである“あのお方”が、“リズさん”だった……なんてね」
サイドに流したロングウェーブの金髪。それに黄色のノーズリーフトップスに、緑色のワイドパンツ。
幼いころからウアさんと仲良しで、
リズさんは顔をこちらに向けて、人なつっこい笑顔を見せた。
「鳥羽差市の裏側……サバトにようこそ。イザホとマウ」