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第62話 待つ人無き死体


 インパーソナルとなったテツヤさんは、じっとこちらを見ている。


 床に手足を付けたまま……

 正確には、両手と左足を床につけたままで。


 右足がないから、立ち上がれないんだ……




「!! イザホ!! 来るよっ!!」




 マウの言葉に、ワタシは身構えた。


 次の瞬間、テツヤさんのインパーソナルは全身を使って、こちらに飛びかかってきた。


 その手には、しっかりカッターナイフが握られている!

 狙いも正確だ! ワタシの左胸に向けられている!


 ワタシは盾の紋章で、カッターナイフを受け流す。


 バランスを崩し、ワタシの体が横に倒れる。

 だけど、これは予測できている。ウアさんの時みたいに、馬乗りにされる必要はない。


 再び覆いかぶさろうとしたインパーソナルに対して、ワタシは右手の人差し指を天井に向けて、横に転がって回避する。


 スタンロットの紋章によって人差し指から出てきている黄色い棒が、インパーソナルが持っているカッターナイフに触れ、


 体を震わせながら、地面に激突した。


 しかしインパーソナルは、すぐに体を起こした。


 時計塔の時とは違う。人間ではないのだ。

 紋章によって動いており、それ以外の血液など体の内部機能が死んでいるため、電流を流された後の回復が早い。そして、痛みは感じていない。


 死体という名フランケンシュタイン作り物かいぶつであるワタシと同じように。


 ワタシと違うのは、人格の紋章を埋め込まれていない操り人形……人格なき死体インパーソナルであることだ!




 再び跳躍しようとする前に、ワタシは床に落ちたフタを手にした。


 インパーソナルが入っていた引き出しのフタ……鉄版と言っていいよね。

 その鉄版は金属製でできており、力を込めて角を当てたら、肉に食い込みそう。




「イザホ! 足っ!!」




 マウの叫びとともに、右の足首を捕まれる!


「待っててくれよな。アンくん」


 インパーソナルは歯をカチカチと鳴らす。

 まるで、空中で揺れる縄になんども手でつかもうとするようだ。


 その歯でかまれないように、ふりほどこうとするように、


 ワタシはなんども鉄版を振り下ろすけど、


 インパーソナルは左右に揺れることでかわしていく。




 インパーソナルは、ワタシの足をかみ千切り、足が使えないという同じ土俵に持ち込もうとしている!


 ワタシの右足……ジュンさんの子供の右足は、細い。

 かみ千切る場所としてはここが効果的だ。




 スタンロットの紋章でもう一度しびれさせられれば、インパーソナルに隙を与えられる。


 だけどインパーソナルに捕まれている今、ワタシもひるんでしまう恐れがある。

 この場所で倒れ込んでしまったら、インパーソナルにとって有利な状況になってしまう……!!




「イザホ! それを貸して!!」




 床に落ちたカッターナイフのそばで、マウが両手を挙げた。




 ワタシはすぐに、手に持っている鉄版をマウに投げる。




 マウはそれを受け取ると、バランスを崩して片足たちになった。




 ワタシの右足に、歯が当たった。













「――っっっっっっっけええええええええ!!」












 マウはバランスを崩した体制を直すどころか、受け止めた際の遠心力で回転する。




 そのままインパーソナルに近づき……




 顔にかけていたメガネとともに、義眼に突き刺した。




 インパーソナルはその勢いでワタシの右足から手を離し、仰向けになった。




「待っててくれよな。アンくん」

「待っててくれよな。アンくん」

「待っててくれよな。アンくん」




 のど元の声の紋章からは、意味のない言葉が立て続けに並べられる。


 目の紋章が埋め込まれた義眼が使えなくなったインパーソナルは、


 ただ手探りで、宙に手を伸ばしていた。




 ワタシはすぐにインパーソナルに覆いかぶさり、手足を拘束する。


 そして、インパーソナルの左胸が見えるように、体の位置を調節する。




「待っててくれよな。アンくん」


「もうキミに待つ人なんていないよ。罪という見えない紋章は取り消せない。死人に口なしだからね」




 マウはカッターナイフを、インパーソナルの左胸に突き刺した。




 胸に埋め込まれている、知能の紋章に。




「待ってェテク……レェェ……ェェェ……ヨ……オ……ォ……」




 インパーソナルの首元の紋章が点滅して……消えて……




 ただの動かない、死体になった。














「ねえイザホ、ボク、今思い出したけどさ」




 メモを取り終えると、テツヤさんの死体の顔をのぞき込んでいたマウがこちらに顔を向けた。


「テツヤさんも、人物画の6人に含まれていたよね」


 言われてみれば、たしかにそうだ。

 マンション・ヴェルケーロシニの1002号室、そこで引きずり込まれた裏側の世界に、6人の人物画が飾られていた。


 今までワタシたちは、そのうちの5人と出会っている。

 刑事のスイホさんにクライさん、紋章研究所の所長であるテイさん、医者のジュンさん、そして、テツヤさん。

 このうちテイさんとテツヤさんは、殺されてインパーソナルにされた。そしてジュンさんも、危うくインパーソナルにされるところだった。


 人物画の6人と、3人の仮面の人間。


 もしかしたら、あとふたりの仮面の人間も、人物画の6人に含まれているのかな。




 その時、どこからか物音が聞こえてきた。


 なにか鍵のようなものが落ちたような……




「……扉がたくさんあった部屋からだね」




 マウのピンと立った両耳は、入り口の扉に向けられていた。












 細長い道を、元来た道を、引き返す。




 なるべく急ぎながら、だけど、足を立てないように。




 さっきの音を出したのが人だったら、




 ワタシたちの足音で逃げてしまうから。









「――!!」「!?」




 5枚の扉がある部屋に戻ってきた……


 鉄の扉にいたのは……黒いローブを着て、フードを被っている……


 だけど仮面はつけてなかった……


 作業をしやすくするためなのか……地面にいったん置いていたみたい……


 その手には……金属の細い棒……これで扉をこじ開けようとしていたのかな……


 そして……フードの隙間から……見える顔は……




「イザホ……マウ……休めと……言っただろう?」











「……どうしてなの。“フジマル”さん」











 ローブを着たフジマルさんは、奥の木製の扉へと逃げ出した!




「待って!!」




 ワタシとマウは、フジマルさんを追いかける!




 開かれた木製の扉を通過し、




 階段を駆け上がって、駆け上がって、




 ただフジマルさんの後ろを、追いかける……












 玄関から雪の入ってくる、受付。


 そこまでたどり着いて、マウは膝をついた。




「……フジマル……さん……?」




 フジマルさんの姿は、どこにもなかった。




 正確には、フジマルさんが階段を登り切った後から、姿が見えていない。




 窓から入ってくる雪の音が、


 ここにはワタシとマウしか存在していないという事実を突き立てているようだ。











 フジマルさんは、消えてしまった。




 仮面の人間のひとりであるのか、なぜあの場所にいたのか、




 なにも、教えてくれないまま……


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