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第60話 地下室の監獄にて



 羊の紋章に触れて、裏側の世界に降り立つ。


 辺りは明かりがひとつもないため、ワタシはバックパックの紋章から懐中電灯を取り出し、辺りを照らした。


「また廃虚? でも、昨日のよりも建物自体はしっかりしてそうだね」


 コンクリートむき出しの壁や床。


 まばたきをすると、目にホコリが入って義眼が汚れてしまった。

 別に視界がふさがれているわけではないので、洗うのは後でいいよね。


 前方は受付のカウンター……というより、ワタシたちがいるのはカウンターの中だ。カウンターの向こうには、開かれた扉から入ってくる雪に、待つためのソファー。

 ここも病院……なのかな。


 後ろを振り返り、羊の紋章が壁に埋め込まれているのを確認する。

 昨日は羊の紋章が消えて、出られなくなる事態になってしまったけど、今回は大丈夫そう。ジュンさんたちが羊の紋章が埋め込まれた画用紙を保管してくれている証拠だ。


「ねえイザホ! これを見て!」


マウが床を指さして叫んだ。


 床はススだらけ……というより、ホコリだらけ。

 旧紋章研究所の廃虚は黒っぽいススだったけど、ここは白っぽいホコリ。建物の中で使っていたものが違っているからかな?


 ……よく見てみると、ホコリが消えている部分がある。

 まるでそこになにかが落ちて、その状態のまま引きずられていったような跡だ。


 その引きずられた跡は、カウンターの外へと続いていた。


「きっとテツヤさんだよ」


 マウは跡を追いかけて、カウンターの出口の扉の前まで移動する。

 その扉も開かれており、曲がり角で右に曲ったようだ。




 カウンターから出て通路を照らすと、その跡は目の前の廃棄ダクトまで続いていた。

 このダクト……ホフク前身すればワタシでも入れそうな大きさだ。


「このダクトの中へ、テツヤさんは入っていったのかなあ……」


 だけどその通気口は、フタがされてあった。




「えーい! マウキィーック!!」


 マウはフタに向かって跳び蹴りを放った!!




 ……結果は、マウが右足を押さえてうめき声を出すだけで終わった。


 ワタシも盾の紋章が起動された状態で、筋肉質の大きな左腕で思いっきりたたいてみたけど……振動が手に伝わるだけだ。


「ううっ……いたい……ん?」


 マウが右足をぺろぺろとなめていると、通路の奥を見て固まった。


「ねえイザホ……奥に開いている扉があるよ」


 通路の奥に懐中電灯を向けてみると、たしかに扉が開いている。




 扉の前までマウとともに移動して、奥を懐中電灯で照らす。


 そこは下に向かう階段……


 壁、そして階段は、受付の場所と比べてよりホコリが宙を舞っている。


「明らかに誘導されているけど、テツヤさんはこの先にいるはずだよね」


 マウの推測に、ワタシはうなずく。

 そして一緒に、階段に足を踏み入れる。





 1歩ずつ、




 1歩ずつ、降りていく。




 天井はクモの巣で飾られていて、




 足元の隅にはカビらしき黒いもの。




 まるで浸食されていくように、景色は汚くなっていく。




 その先に、うっすらと扉のようなものが見えた。











 木製の扉に立ち、クモの巣がついたノブに手をかけ、扉を開いた。




 その先に広がっていたのは、5枚の扉がある部屋。




 右の壁には2枚の扉が設置されている。左の壁も同じ枚数……そしてワタシの立っている入り口と反対側にも、1枚ある。


「……これじゃあ病院というより、牢獄ろうごくだね」


 右の手前の扉を見上げて、マウがつぶやいた。

 扉にはフタがされているのぞき穴がある。開けてみる前に扉に触れてみると、ひんやりしている。この扉は鉄でできているのかな。


「ねえイザホ、そののぞき穴から、なにか見えない?」


 背伸びをしているマウに変わって、のぞいてみよう。




 ダクトのフタと違って、のぞき穴のフタは簡単に開いた。


 中にあったのは、ローブを着た人形。

 パイプイスに座って、手に持っているものをじっと見ている。


 黒く光るそれは……拳銃……?




「……なんだか、意味深だね。個室でイスに座って拳銃だなんて」


 眼球に埋め込んだ目の紋章からの視界を写真に収め、スマホの紋章を使ってマウに見せてみた。

 マウは目を細くして、写真を見つめている。


「イザホ、扉は開けれる?」


 ためしにドアノブを握ってみたけど、まったく動かない。

 中に入って調べることはできなさそうだ。他の扉もそうだろう。


 ひとまずワタシは、次の扉を見てみることにした。




 右の壁の奥側の扉の中にも、ローブを着た人形がイスに座っていた。

 違うのはポーズ。その人形は左手を耳に当てていて、右手で目元を隠している。


 まるで、見たくないものを見てしまい、それでもなお誰かに知らせているように。




 その反対側……入り口から見て、左側の奥の扉。

 中は同じく、黒いローブを来た人形がイスに座っている。


 違う点は、こっち側に向いていた今までの人形とは違って、奥の壁に向いているからだ。

 どんなポーズをしているのかは見えづらいけど、わずかに見える肘から、なにか作業をしていることはわかるけど……




ガンッ!!




 !? 「!?」


 まだのぞいていない、入り口からみて左の手前の扉。

 そこから、まるで扉になにかをたたきつけたような音が聞こえてきた……




 ワタシはその扉ののぞき穴のフタを、開けてみた。


 中にいたのは……


 黒いローブを身に包み、フードを下ろした……テツヤさんだった。




「私はただ、これから来たるべき日のために、行動をしていた」




 顔をうつむいたまま、テツヤさんは口を開いた。




「私はみんなが言うようなオカルトと呼ばれるものが好きだった。その世界を表現するため、一度は芸術家を志したことがある」




 その直後、テツヤさんの後ろの壁に、文字が浮かび上がった。


 無理。できるわけない。現実を見ろ。


 まるで罵倒のような言葉が、テツヤさんの背景に並べられた。




「だけど……周囲からかけられた言葉が、私の見えない紋章となってしまったんだ。自分はできるはずがない。そう思い込み、夢を投げ捨てた」




 すぐに壁の文字が消え、また別の文字が浮かび上がった。


 お金持ちって、いい身分なのね。




「他人の声から生まれた紋章は、本当に身勝手だ。周りの意見でもない、ただの自分の決めつけだ。なのに、2、3人同じことを言われると、それが世間の声であるという強い暗示を持っている……厄介だよ。他人の声という紋章は」




 背景の文字が消え、次に現われたのは……


 黒いシルエット。本当にシルエットだけで、ローブも着ていないのに誰なのかがわからない。かろうじて手が細い女性の体形であることがわかるぐらいだ。

 そのシルエットがテツヤさんの前まで移動すると、テツヤさんはそのシルエットに手を伸ばした。




「だけど、あなたは違った……周りからどんなことを言われても、動じることもなく、自分の世界を持ち続けた……」




 シルエットを見つめるテツヤさんは、笑みを浮かべていた。




「私の夢は、あなたとともに作品を作り上げること。そして、私と同じように他人の紋章で苦しんでいる少年に、見せてあげることです……それが実現できるのなら、なんだってやりましょう」




 シルエットはうなずくと、横の壁に消えていった。


 そしてテツヤさんは……満面の笑みをうかべ、ワタシを見つめた。




「ああ……待っててくれよな。アンくん」




 小学生のアンさんの名前を呼んで、テツヤさんは満足そうだった。




 その後ろの壁から、なにかが伸びてきた。




 あれは……ギロチン?




 ギロチンはテツヤさんの首を通過し……










 ワタシの目の視界がビデオのように固まり、消えた。











「……ふう、抜けたよ。あとちょっとまってね。今スペアの義眼を出すから」


 暗闇の中で、刃物が床に落ちる音とマウの声が聞こえる。

 のぞき穴から飛び出してきたギロチンはワタシの目元に刺さり、義眼が潰れたらしい。首ではないので、まだ聴覚は失われていない。


 やがて、まぶたから義眼の残骸が抜かれる感覚がして、別の義眼を入れられた。

 義眼に埋め込んだ目の紋章が起動をし始めて、徐々に映像がワタシの知能の紋章の中に浮かび上がってくる。

 目の前に、バンソウコウを取り出すマウが立っていた。


「治療の紋章を埋め込んだバンソウコウがいいかな。包帯だと、目隠しすることになるからね……ん?」


 扉の鍵が開く音がした。

 テツヤさんがいた部屋の扉だ。




 中に入ってみたワタシとマウは、テツヤさんが座っていたイスに近づいてみた。


 そのイスには、光を失った、ビデオの紋章が埋め込まれていた跡がある。

 この紋章は映像をホログラムで出すことができる紋章。さっきのテツヤさんはビデオの紋章から出ていたホログラムだったんだ。


 そしてイスの下には、絵画のようなものがあった。




 その絵画は、羊の頭を被った大男の絵。


 だけど、ワタシの見たバフォメットとは違う。こんなに筋肉質じゃないし、そもそも上半身を露出していない。それに……この頭の羊、愛嬌のある、丸々と太った羊だ。筋肉質な体と対象的で、そのギャップを狙った作品みたい。

 どちらかというと、事件とは関係がないような……知らずに書いたと思われる絵だ。


 裏を返してみると、“初作品”と書かれていた。




 その文字の下には赤文字で、“不謹慎”と付け出されている。




「イザホ!? 部屋が……!?」




 マウの言葉に、ワタシは顔を上げた。




 イスの周りから、文字が次々と浮かび上がり……部屋を埋め尽くした。




 最初に文字が浮かび上がったイスの周りの言葉は、



 “被害者の身にもなってみろ” “それを書く神経が考えられない”




 10年前の事件を思い起こすような言葉が多い。




 それが、出口付記の言葉になると、




 “紙の無駄” “才能ないだけだから”




 単純な罵倒になっていった……




「最初の作品が事件を思い浮かべるから、周りの人が不快になった……時が立つにつれて、事件のイメージがなくなって……ただその人の書いた絵は不快になるというイメージが残った……」




 マウはつぶやきながら、天井に埋め込まれていた青色に輝くもうひとつのビデオの紋章を見上げた。




「そういうことなの? テツヤさん」




 また別の鍵が開いた音。それが返答なのかな。








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