「最近、テツヤさんは……よくこの病院に来ていたんです」
エレベーターを背景に、コーウィンさんはのど元の声の紋章に手を近づけた状態で話し始めた。
「最初は土曜日のお昼にやってきて、先生とよく会話をしていたんです。それでその会話を聞いていると、なんだか先生から取材のようになにかを聞き出していたみたいだったから……先生に教えてもらうまでは、記者か作家だと思ってました」
マウは鼻を動かして、「土曜日なら、テツヤさんの務める学校は休みだからね」と確認する。
「それがある日……急に行動が変わったんです。先生には会いに来ないのに……この病院には来ている……」
それって…… 「この病院内でなにかをしていたってこと?」
「はい。見かける日は違っていて……ある時はロビーを、ある時は駐車場を、ある時はトイレまで……まるで、下見をやっているような気がして……」
コーウィンさんは、一度ため息をつく。
「アタシ……なにか嫌な予感が直感で感じているんです。それで毎日、病院に来たテツヤさんの様子をうかがっていたんですけど……さっきここで、テツヤさんと一緒に歩いていた先生にバレてしまって……注意を受けました。気にしすぎだって」
一度目を閉じ、ワタシとマウに顔を向ける。
「だけど今日、アタシ見たんです。ここの駐車場で止まった車の1台で……その中でバックパックの紋章から、最終確認をするように刃物のようなものを取り出していたのを……もうひとりの誰かと、話していたのも」
……!! 「……その様子、詳しく教えてくれる?」
「はい……そのもうひとりは、アタシも見たことのない女性でした。だけど、まるで打ち合わせをしているような……聞き取ってみると、“16時”まで待つようにって……それぐらいしか聞き取れなかったんですけど」
16時……
「イザホ、その時間……テツヤさんとの約束の時間だよね?」
その通りという意味を込めて、ワタシはうなずく。
16時になったら、ワタシたちは地下駐車場に向かうことになっていた。ストーカーを突き止めるためにテツヤさんの家に向かう予定で。
「女性は車の中に乗り込んで、テツヤさんは車から離れました。その方向がちょうどアタシの方向だったのですぐに院内に戻ったのですが……」
ワタシは食道でコーウィンさんと遭遇した時を思い出した。
あの時、きっとコーウィンさんはテツヤさんを見ていたんだ。
「ねえ最後にひとつ……ジュンさんとテツヤさんが相談する場所って、わかる?」
「……今日は地下駐車場で話すと言っていました。テツヤさんの要望らしいです」
ワタシはマウとともにうなずいた。
その場所に向かい、確かめなければ!
「コーウィンさん、仕事の方はだいじょうぶなの?」
エレベーターの中で、マウは横にいるコーウィンさんに話しかけた。
「ええ。先生が危険な目に合っているかもしれないのに……仕事なんて打ち込める暇がありません。ハッキリ言って、患者とかどうでもいいです!」
「……」
マウがコメントに困っていると、エレベーターの階層を示すランプがB1と表示された。
扉が開くと、そのまま駐車場につながっている状態になっている。
「……今日はいつもに増して回りくどいな」
駐車場の中で、ジュンさんの声が響いている。
マウは長い耳を立てて「こっちのほうだよ」と指をさした方向に、ワタシたちは向かった。
柱の後ろにワタシたちは隠れて、目の前にある自動車の前に立っているふたりの人影を観察する。
自動車の窓に、人影は見えていない。
「回りくどいって、私はいつもどおりに話しているだけだよ。君とは高校時代からの親友だろ?」
テツヤさんは後部座席の扉に近い位置に立っており、落ち着いた様子だ。
「だとしても、今までそんなこと言ってなかっただろ。死んだ後の話とか、美しくみせるがどうとか、作品がどうとか……怪しいものを集めているうちに、変な宗教でも入ったのか?」
一方ジュンさんは、テツヤさんに対して気を抜いていない目つきをしている。
テツヤさんに疑惑を抱いていることを、あえて知らせるように。
「変な宗教って、人聞きの悪い……素晴らしい作品の制作にいそしむクリエイターって言ってほしいな」
「なら俺様をここに連れてきた理由はなんだ? その作品の情報を盗もうとしているストーカーを捕まえてくれとでも? どうせ目的は別にあんだろ?」
「そうだよ、目的はひとつさ。ストーカーなどはどうでもいい。あの人がなんとかしてくれるからさ」
「あの人? ならてめえ、ひとりで動いているわけじゃねえのか――」
その瞬間、自動車の扉が開かれた!
「――ッ!?」「ああ、そうだよ」
運転席で身をかがめていた人影が、ジュンさんの脇に手を伸ばす。
黒いローブを身に包んだ、仮面の人間……!
ジュンさんは抵抗するように体を揺らすが、仮面の人間の力はそれを押さえつけていた。
「……なっ……テツヤ……てめえ……ッ!!」
テツヤさんが右手のバックパックの紋章から取り出したのは、
カッターナイフだ。
「私の相談は……ジュン、君に作品の一部になってもらうことだよ」
テツヤさんはジュンさんの目に向けて、
カッターナイフを振り下ろした。
それは胸に、貫いた。
「ひぎぇっ!!?」「!?」
スタンロットの紋章によって指先に現れた、半透明の黄色い棒。
後ろに回り込んだワタシによって、それはテツヤさんの胸を貫いた。
体を震わせながらカッターナイフを投げ出し、床に崩れるテツヤさん。
その悲鳴は聞いたことがある。
裏側の世界の時計塔でワタシたちを襲った仮面の人間……その仮面の人間も、同じような悲鳴を挙げていた。
あまりの甲高い声だから、学校でテツヤさんと合った時には気がつかなかったんだ。
「ジュンさん!!」
続いてマウが柱の影から飛び出し、もうひとりの仮面の人間に向かって右手を振り下ろす。
「ぐっ!!」「はぐっ!!」
ジュンさんとともに、仮面の人間も体に電流を流され、その場に倒れ込む。
ワタシはマウとともにジュンさんを引きずり、柱の裏側まで移動させた。
「……逃げないと!!」
そう叫んだのは、地面にはいつくばっているテツヤさんだった。
隣にいるもうひとりの仮面の人物は、先に立ち上がって運転席の扉を開き……
テツヤさんを入れることもなく、扉を閉めた。
「!? そんなっ!? 待ってくれ――」
ようやく立ち上がったテツヤさんを無視して、車のエンジンがかかる。
テツヤさんがその運転席の窓に手を伸ばした時、窓が開かれた。
「……え」
その手に、なにかがぶつけられ、
車は走りだした。
テツヤさんの手には、羊の紋章が埋め込まれた、画用紙。
「――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
テツヤさんの悲鳴とともに、羊の紋章はテツヤさんの左腕を取り込んでいく。
それを見捨てるように、自動車は出口へと消えていった。
「嫌だぁ!! 作品にはなりたぐないッ!! 作品にされる側には立ちたぐないぃッ!! 作品を作る側になりだいんだあああああぁぁぁぁぁぁッ!!」
肩まで取り込まれたころ、テツヤさんはジュンさんに、まだ取り込まれていない右手を伸ばす。
「お願いだぁぁぁ!! ジュゥゥゥゥゥゥン!! 助けでぐれえエエエエェ――」
顔まで飲み込み、テツヤさんの声は消えた。
こちら側の世界では下半身だけになったテツヤさんは、
抵抗するように横に暴れ、
バランスを崩し、床に倒れた。
つま先を飲み込まれるまで、あらがうように暴れつづけているテツヤさんを、
ワタシたちは、哀れむこともできなかった。
駐車場に、1枚の画用紙が残された。
ワタシはいったん右手のスタンロットの紋章を解除すると、左の手の甲に埋め込んだ盾の紋章を起動させ、半透明の盾を展開する。
「行くんだね? イザホ」
同じように準備を始めたマウに対してうなずくと、「まて! 早まるな!!」とジュンさんが手のひらを見せてきた。
「あんたたち、まさかこの羊の紋章に触れるつもりはねえよな。上で言っていた裏側の世界に通じるんだろ? 危険だぜ」
心配するジュンさんに対して、マウは鼻を動かしていた。
ブッブッではなく、プウプウ、と。
「なんども裏側の世界に引きずり込まれているからわかるんだ。引きずり込まれるのに苦痛は感じない。ましてや、まるのみされているように叫び、暴れ回ることはしたことないんだよ。ボクたちは」
ジュンさんは「しかし……」と眉をひそめていたが、隣のコーウィンさんは確信したようにうなずいた。
「アタシの勘ですが……さきほどのテツヤさんを見ていると、なんだか、これからのことにおびえているようでした。考えられるとするならば……」
「……ッ!! “消される”って……ことか……!!」
目を見開いたジュンさんに対して、マウはうなずく。
「テツヤさんには、聞きたいことが山ほどあるんだ。どうしてこのようなことをしているのかを……そして、他の黒いローブの人間が誰なのかを……ね」
ジュンさんは迷うように目に手を当てていたけど、その答えはすぐにまとまったみたい。手を目から離し、ワタシたちを見る。
「……わかったぜ。なら俺様は……あんたたちが入った後の羊の紋章を、通報して警察が駆けつけるまで……安全な場所に移動させておくぜ。邪魔が入らないようにな」
「ジュンさんに任せて大丈夫かなぁ~」
からかうように返答するマウに対して、ジュンさんは鼻で笑った。
「テツヤが俺様を襲う場所として駐車場を選んだ理由、わかるか? 俺様の病院内は患者を守る、医療器具という名の武器を持った鉄壁の城だからだ。万全のセキュリティシステムに俺様の優秀なナースたちがいるんだからな」
テツヤさんの言葉と、隣で励ますようにガッツポーズを取るコーウィンさんを見て、
ワタシはデニムマスクの下で、笑みをうかべた。