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第6話 紋章と少女


 目の前に広がる天井に付いているオレンジ色のLEDライトが、ワタシたちを照らしていた。


 雪よりも明らかに硬い床から起き上がって、周りを見渡してみる。

 ここは……見覚えがある。喫茶店セイラムだ。


「……ボクたち、戻ってこれたの?」

「ああ、そのはずだ……」


 隣でマウが起き上がり、落ちていたシルクハットを被り直している。

 その隣では、店長さんが既に立ち上がって背中の腰をたたいていた。


 足元には、あの時の画用紙が落ちていた。


 画用紙に埋め込まれていた羊の紋章は赤く点滅して、やがて力を失っていくように薄くなり、消えてしまった。




「しかし……あの時は驚いた。電話を終えて帰ってきたらあんたたちが消えていて、紋章の入った画用紙がポツンと置かれていたんだからな」


 特殊警棒を手にしたまま、店長さんはカウンターの奥へと移動する。


「そのわりには、物騒なものを持ってきたよね」

「これは護身用に持っていたものだが……あの画用紙を見た時、なぜか嫌な予感がしたのだ」


 その時、左手から着信音が聞こえてきた。


 左の手のひらに埋め込んでいるスマホの紋章が、黄色に光っている。

 フジマルさんから連絡が来たんだ。




 SNSのアプリでは、このようなメッセージが届いていた。


 イザホ、連絡ありがとう!

 連絡が遅れてすまなかった。ちょっとある依頼で忙しくて、返信を打ち込む暇がなかったのだ。

 パンクしたんだよな? 今、自動運転の車をそっちに向かわせている。30分でつくだろう。

 本当は私が迎えに行き、歓迎の言葉を直接伝えたかったのだが、本当に仕事が忙しかったのでかなわぬ願いとなってしまった。

 君とマウが乗り込んだ後は、君の住むマンションに向かうようにしている。

 今日はゆっくり休んでくれ。




 マウと一緒にフジマルさんからのメッセージを見ていると、カウンターから店長さんが話しかけてきた。


「それにしても、シャワーとか入ったほうがいいんじゃないか?」


 ……どういう意味だろう? ワタシは思わずマウと顔を合わせたけど、汚れているのは雪が付いていることぐらいだよね……?


「……あ、イザホ、髪と服だよ」


 マウに指摘されて、思わず体を見る。


 着込んでいる黒のワンピースと白のパーカーに赤い絵の具が付着したままだった。

 後ろ髪をつかんで目に見える場所まで持ってくると、確かに髪にも赤い絵の具が付いている。


「服はすぐに洗濯できないが、ここの浴槽を貸してもいい」

「……中年男性が女の子に向けて浴槽を貸してもいいって言ってもなあ」


 ややゆっくりと鼻を動かすマウに対して、店長さんは鼻で笑う。


「ここの浴槽は私だけじゃなく、娘も使っている。さっき電話がかかってきたのも娘からだ。今は友達の家に泊まりにいっていないが、特に変わらないさ」


 ……せっかくだし、フジマルさんの車が来る前にシャワーでも浴びようかな?











 店長さんに案内されて、浴槽の脱衣所にやって来た。


 店長さんが去ったあと、ワタシは脱衣所にある洗面所の前に立つ。


「イザホ、もう包帯を外して大丈夫だよ」


 後ろではマウがタキシードのボタンを外していた。

 わかってる。今から外すよ。




 頭に巻いていた包帯を取り外すと、包帯に埋め込まれていた十字の形をした紋章が赤く点滅していた。


 この十字の形をした“治療の紋章”は、物を治す力がある。

 実際に鏡を見てみると、斧が刺さっていたワタシの頭はすっかり戻っていた。

 再び包帯を見てみると、治療の紋章の赤い光が失われていき、消えていった。埋め込んでいた魔力が底をつきたんだ。




「ボクは高温多湿が苦手だから、ここでぬれタオルで体を拭くよ」


 マウはすっぽんぽんになって、白い毛並みを見せていた。そのおなかには、多数の紋章が青く光っている。

 うん。ワタシは浴槽を使わせてもらうね。

 マウにうなずいて返事をすると、浴槽へ続く扉を開けた。











 シャワーからあふれた水の音が浴槽の中で響く。


 髪の毛についた赤い絵の具をシャンプーで落としていると、ふと、鏡が気になった。


 曇った鏡をシャワーで流すと、鏡はワタシの全身を映してくれた。




 枝のように細い右腕。


 筋肉質な左腕。


 少しだけ胸の膨らみのある色黒の胴体。


 子供のものと思われる小さな右足に、


 長さをそろえるために存在する、鉄でできた右足の太もも。


 大人びた長い左足。


 そして、整えられた顔立ちの白髪の首。




 10年前の事件の被害者の遺体……




 それぞれの部位が、縫い合わされてくっついている……




 まるでフランケンシュタインの怪物のような、死体をつなげた継ぎ接ぎの体。




 色黒の胴体の胸には、保護用の包帯が巻かれている。


 体に埋め込んだ紋章たちが、包帯の上からも青く輝いて見えていた。


 左胸……

 人間でいう心臓の位置には、自立と知能と人格を与える紋章がそれぞれ集まっている。


 生き物じゃない“物”に、命を与えるために必要な紋章だ。

 脳みその形をした紋章はAI人工知能代わりの知能を、その場に立っているピクトグラムの紋章はまがい物の人格を、歩いているピクトグラムの紋章は本来動かないはずの物を動かす力を、ただの死体に与えている。




 あの時、もしもパレットナイフでこの紋章を傷つけられたら、


 形が削れた紋章は力を失い、ワタシはごく普通の死体になっていた。




 ……そこまで想像して、ワタシはひとりで笑みを浮かべた。




 まるで、この紋章のおかげで人間になっているような考え方だったから。




 ワタシは生き返った“元人間ゾンビ”じゃなくて、


 死体という名フランケンシュタイン作り物かいぶつなのに。



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