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第5話 作品と赤い絵の具と割れた顔面と






「……イザホ……大丈夫?」


 ワタシの顔の横で、マウが心配そうに声をかける。


 顔に斧が刺さっているから首が動かせない。


 目線をマウに向けて、まばたきで答えよう。


「……頭のど真ん中で本当によかった。左胸に当たったらと思うと……本当によかった」


 マウはワタシの体の状態を見て、胸をなで下ろした。どうやら頭以外は無事みたい。


「あ、いけない。早く斧を引き抜かなきゃ」


 小さな手で斧を引き抜こうとしてくれるマウだったけど、やっぱり斧はびくともしなかった。大丈夫、ワタシがやるよ。


 左手で斧の柄をつかんで、震えるほど力を込めてゆっくりと引き抜く。


 頭蓋骨から離れたのを確認したら、それを隣に置く。


 銀色の斧はとてもよく磨かれていて、今にもぱっかりと割れそうなワタシの顔が鏡のように写し出されていた。


「イザホ、今から応急処置をするけど、体は起こせる?」


 マウはタキシードのおなかに埋め込んだバックパックの紋章から包帯を取り出して、ワタシの顔をのぞき込んだ。


「じっとしていてね……」


 体を起こすと、マウが後ろから包帯を頭に巻いてくれた。


 その間に目線を落としてみると、着込んでいる黒のワンピースと白のパーカーに赤い絵の具が付着している。

 周りを見てみると、まるで動物が大量出血したように赤い絵の具が床を染めていた。その中に、倒れたバケツがいくつかある。このバケツに入っていた絵の具が、こぼれたのかな?


「よし、もう立っていいよ」


 包帯を巻き終えてくれたので、ワタシは立ち上がって、マウのおでこをなでた。


 マウは気持ちよさそうに歯を鳴らしていたけど、なにかを思い出したように扉を振り返って、目に三日月の白目を出した。


「……イザホ、ここの住民は、本当に君を欲しがっていたみたいだね」




 扉の先には、まるでクローゼットのように狭い空間が広がっていた。


 赤い絵の具だらけの床から目線を上げると、


 壁に、赤い色で、文字が書かれていた。


【その左腕、とてもいい作品になりそう】




 ……この色、下にまけた赤い絵の具と違う。


「……この匂い、血だよ」


 マウが鼻を動かして文字の正体を知らせてくれた。それなら、なぜ血がこんなところに付着しているんだろう? そして、誰の血なんだろう?




 その文字に触れようとしたとき、どこからかノックの音が聞こえてきた。




「……」


 マウと一緒にゆっくりと玄関を見ると、玄関の扉がゆっくりと開いた。




 そこから現れたのは……黒いローブを着た人。


 喫茶店で見た時と違うのは、白い雪が肩に積もっていること、


 そして、フードを下ろして顔が見えていることだ。




「ねえ、楽しんでくれた?」




 黒髪のおさげに、死人のように白い少女の顔。そして、生き物の目ではない……まるで作り物の眼球。その眼球の中に埋め込められた紋章の青色の輝きが、ワタシたちに向けられていた。


「……君は誰?」

「ねえ、楽しんでくれた?」


 マウがローブの少女にたずねても、彼女は同じ言葉を繰り返した。


「どうしてボクたちをここに連れてきたの?」

「ねえ、楽しんでくれた?」

「君の目的はなんなの?」

「ねえ、楽しんでくれた?」

「いったい君は、何をしたいの?」

「ねえ、楽しんでくれた?」


 まったくかみ合わない会話の中で、ローブの少女はゆっくりと近づいてくる。


 その手には……鋭い刃物。パレットナイフ。




 ワタシの目の前に来た時、少女は右手に握るパレットナイフを振りかざした。


 左胸に突き刺さる寸前、ワタシは左腕で少女の右腕をつかんだ。


 少女の右腕は力を込めていて、ワタシの左手が震えている。こっちの力が少しでも緩んだら……刺される……!!




 左胸にそれが刺さることは、ワタシにとっての“死”だ!!




「それっ!!」


 突然、少女は横に倒れた。


 マウが側にあったホワイトボードを押して、少女を押し倒したんだ。


「イザホ! 早く逃げようっ!!」


 わかってる!

 ワタシは起き上がろうとしている少女をチラリと見つつも、小屋の出口に向かって走り出した。











 小屋からマウと一緒に飛び出した。


 後ろを振り返ると、少女も小屋から飛び出そうとしていた。


 雪の上を走るのは初めてだった。


 だから、なんども転けそうになった。


 だけど、転んじゃダメだ。ここで転けたら、あの少女に捕まっちゃう。


 胸にパレットナイフを突き立てられてしまう。




 とにかく、走らなきゃ。


 とにかく、走らなきゃ。


 とにかく……とにかく……




「ねえイザホ、思ったんだけど……裏側の世界の出口ってどこ!?」




 マウの言葉を聞いた瞬間、一緒に壁に激突した。


 壁……? 雪の上で尻餅をつきながらも、前を見てみる。


 ……ない。壁なんてない。


 雪は奥まで続いている。だけど、右手で触れると確かに壁がある。見えない壁がある。


「……!! イザっ――」


 隣にいたマウが、誰かに蹴っ飛ばされたように横に飛んでいった。


 後ろを振り向くと、少女が笑みを浮かべてこちらを見た。


「ねえ、楽しんでくれた?」


 ローブの少女はワタシの肩を左手でつかんで、右手のパレットナイフを空に掲げた。




 思わず目をそらした時、ドサリと、何かが倒れた。




 少女が雪の上で倒れていた。その後ろには……


「……大丈夫か!?」


 店長さんだ。店長さんが、なぜか特殊警棒を持って雪の上に立っていた。


「店長さん!? どうしてここに!?」


 おなかについた雪をはたきながら、マウが叫んだ。

 よかった。マウは大したケガを負ってなくて。


「話はあとだ。今は出口にいくぞ!」


 店長さんが差し伸べた手に、ワタシは握って立ち上がる。


 これで……助かったのかな?




 ……立ち上がった時、店長さんの足元に光るものが見えた。


 それに向けて、ローブの少女が手を伸ばしている……


 店長さんは気づいていない! このパレットナイフをなんとかしないと!


 ワタシはパレットナイフを蹴飛ばそうと、右足を出した。




 右足は、少女の頭に当たってしまった。


 少女の頭は首から離れて、


 雪の上をころころと転がって行った。


 さっきまで青く光っていた眼球の中の紋章が赤く点滅して、やがて光を失った。




「……」「……」


 店長さんとマウは、じっと見ていた。


 転がって行く頭じゃなくて、残った少女の体を見て。


 少女は頭がなくなったのに、まだ動いている。

 パレットナイフを手探りで探している。


 首の断面には、血液は一滴も出していなかった。




「……と、とにかく出口に向かうぞ!!」


 店長さんの声を聞いて、我に返る。

 そうだ。とにかく逃げなくちゃ。




 雪の上を、マウと店長さんと一緒に走る。


「店長さん、出口ってどこにあるの!?」

「この先にある!! あの子は雪の下に隠していたんだ!!」




 小屋が見えてきたころ、雪の上に緑色の光が見えた。


 右向きの羊の紋章が埋め込まれた画用紙が、雪をかき分けた土の上に置かれていた。


 その紋章に手を伸ばすまで、あのローブの少女が追いかけてきている気がしていた。


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