井戸の底で、ワタシたちは【 章紋のトバサ 】をその目で目撃した。
開かれたカーテンの先にあったのは……額縁。
その額縁の向こうには、星空が地面に並んでいた。
奥に小さく、キャンパスボードが見える。
その前に置かれた、小さなイスに腰掛ける黒いローブの人影……
「さあ、入ってきてよ」
ローブの人影が足元に手を伸ばすと、額縁から足場が生えてきた。
…… 「……」「……」
ワタシはマウ、クライさんと頷いて、足場を渡り、
額縁の中へと、足を踏み入れた。
額縁の先は空間となっており、
足元には星空が、
天井には、森の葉と朝日が差し込んでいた。
「ねえ、楽しんでくれた?」
人影が、静かにイスから立ち上がる。
その声は本物の声帯ではないけれども、決して録音した声ではなく、たしかにその人影が言っていた。
「ウアちゃん……」
クライさんは、静かに腰に手を回す。
いつでも、拳銃を取り出せるように。
「初めてキミを実際にこの目で見た時、わたしは衝撃を受けた。まるで、10年前の
人影は、キャンパスボードを手に抱えると、こちらを振り向いた。
「わたしはキミに影響を受けていた。10年前の事件で作られたと聞いたころから、まだこの目で見ていないころから」
そのキャンパスボードに写っていたのは、
ワタシ。
そのワタシの胴体は服を着ておらず、胸に巻かれた包帯の下から紋章たちが輝いている。
以前、裏側の世界で見た、色のついていないワタシの人物画。
今、ここにある人物画は――
「ちゃんと、仕上げたからね。キミもでしょ?」
――ウアが書いたとわかるほど、写真のように本物そっくりに、色がつけられていた。
「仕上げたのは……イザホちゃんのこと……?」
クライさんが揺さぶりをかけるように、ローブの人物に声をかける。
それに対して、ローブの人物は笑みを浮かべながら、ワタシの絵画を静かにキャンパスボードに戻す。
「そうじゃない? だってイザホ……キミは
こちらに近づいてきながら、無邪気に、ワタシが被っている羊の頭を指さしてくる。
……左胸に渦巻いていたものが、
それをワタシの小さな右手で、抑える。
「イザホをおまえみたいな模倣殺人者と一緒にするな! イザホは……ボクの婚約者だ!!」
渦巻いていたものを代弁するように、マウが叫ぶ。
「わたし個人としては、違うと思うなあ。模倣というか……
そういって、ローブの人影は止めているボタンに手を回した。
その手は……左右で大きさが違う……!!
「イザホも、オマージュしているでしょ?
ローブが脱がれて、その姿が露わになった。
左足は、若い女性の足。
右足は、男性の痩せた足。
胴体は、穴だらけの小柄な女性の胴体。
右腕は、非力そうな男性の腕。
左腕は、細く筋肉のついた長い男性の腕。
「テイさん……テツヤさん……スイホちゃん……ナルサさん……フジマルさん……」
クライさんは、その姿を見て……
元となっている人物たちの名前を静かに呼ぶ。
それに答えるように……
スイホさんの胴体の上で……
ウアの頭部は、静かにまぶたを開いた。
「わたしは、10年前の事件に
青いスカートに、裸体の胴体、胸に巻かれた包帯。
その包帯から輝く、2つの紋章……
動作の紋章と、記憶の紋章。
ワタシが死体をつなぎ合わされて“作られた”のなら、
目の前で誇らしげに胸を張っているのは、
死体をつなぎ合わされて“作り直された”ウアだ。
「ただ、ちょっと失敗したみたい」
ウアは、左腕でワタシに手を差し伸べた。
「そっちの左腕の方が、こっちよりももっといい」
……!!
マスクの下で、ワタシは口を動かしていた。
「だいじょうぶだよ。余ったのは、2体目に残しておくから」
……今、フジマルさんのことを……
まるで物のように、言った。
いらない物のように、言った……
人間だったフジマルさんを……おまけに使う物のように言った……!!
「それが……ウアの作りたかった作品? 10年前の悲劇を繰り返すことが、おまえが作りたかった作品なの?」
マウの問いかけに、ウアはまっすぐな瞳で左胸に手を添える。
「悲劇よりも、もっと悲しくて、恐ろしいことがあるよ? イザホ、キミなら知っているでしょ?」
ワタシは、バックパックの紋章から、オノを取り出した。
おまえの言い分なんて……聞きたくない。
「それはね……忘れられることなの。誰も、その人のことを思い出せないこと。その人の存在がいたという……紋章が……奇麗さっぱり消えちゃうことなの」
……
ワタシは、ただウアに向かって歩き始める。
「キミだってそうだよね? マウを借りた時、聞いたよ」
マウを借りた?
ワタシのマウをさらったこと?
マウは借り物なんかじゃない。
左胸に渦巻いた怒りは、ワタシの体を前に倒し、ウアの目の前まで迫る!
「キミの言っている“お母さま”から離れて、自立したんでしょ?」
ウアは、抵抗する素振りも見せずに……笑ってる……!!
ワタシは、ウアの左胸に目掛けて、
オノを振りかざした……
「イザホ!! 様子がおかしいよ!!」
マウの言葉に、ワタシはウアの手に注目した。
ウアは、スカートの裾を右手でつかんて、手を伸ばしている……!!
「キミがひとりで生きることができるようになれば……お母さまが死んでも、ずっとキミの記憶に残り続けることが、できるよね?」
その膝にあったのは、スイッチの紋章……!!
「紋章を埋め込まれて、わたしたちは作られる……それは物も、一緒だよ?」
スイッチの紋章に触れた瞬間、
左右の壁が開き、勢いよくが入ってきた……!!
「この勢い!! みんな!!! 流されてしまうよォッッ!!!」
マウの声とともに、ワタシの体は水流によって地面から離れた。