瓜亜探偵事務所の柱時計は、振り子を振って時を刻む。
あと10分で、10時になる。
ソファーに腰掛けていたワタシは、手にした缶をテーブルの上に置いた。
「イザホちゃん……飲むの、早いね」
その向こう側の席に座っていたのは、刑事のクライさんだ。
テーブルの上にはブラックの缶コーヒー。ワタシと違って、まだ飲みかけみたい。
「イザホはじっくりとコーヒーを味わいたい。だから、話の前に飲んじゃうんだ……そうだよね? イザホ」
隣で缶に入ったカフェオレを飲んでいたマウが、ワタシの代わりに伝えてくれた。
そのことが合っていることを知らせるために、笑顔でうなずこう。
「そっか……やっぱり……こんな状況じゃあ……差し入れを持ってくるのは……場違いだったかな……」
クライさんの隣のソファーには、コンビニのビニール袋が置かれていた。
今日、クライさんとこの瓜亜探偵事務所の中で待ち合わせする際に、用意していたんだって。
「ハナさんが……自ら死んでしまったというのに……」
……昨日の出来事が、胸の中で再生される。
ハナさんは昨日、マンション・ヴェルケーロシニの外廊下から飛び降りた。
マウがいなくなって落ち込んでいたワタシに、元気づけてくれたハナさんが……自ら命を絶ったんだ。
クライさんによると……今のところ、ハナさんの自殺はこの事件の犯人とは関係がない。娘であるウアさんを失ったことによる精神的疲労が限界までたまり、衝動的に飛び降りてしまった……というのが、警察の見解らしい。
それでもマウは、クライさんに向かって首を振る。
「そんなことないよ。むしろ、気持ちをリセットするために大切なことだし」
「……そうだよね……今は悔やんでいる暇なんて……ないよな……」
クライさんは自分の頬をたたき、ワタシとマウにまっすぐと目を向ける。
「これから……サバトに向かう……からね……」
ワタシは、うなずいた。
頭にはハウンチング帽子、黄色のタンクトップに緑色のモッズコートという……フジマルさんを思い出す服装をした……
マウと、一緒に。
今朝、マンション・ヴェルケーロシニの管理人さんから、管理人室に来るように呼ばれた。
瓜亜探偵事務所で、会いましょう。
クライさんも……連れてきてください。
ホウリさんからの伝言だ。
管理人さんからその伝言を聞いたワタシとマウは、クライさんに電話をかけた後、フジマルさんのいない瓜亜探偵事務所へとやってきた。
「……上司は、結構いやな顔をしていたけどね」
クライさんは苦笑いをしながらブラックコーヒーの缶を口に付けていた。
「結局……警察の方はサバトのこと……知っているの?」
「一部の人間……だけはね。マウちゃんから電話がかかってくる前に……上司から瓜亜探偵事務所に向かうように指示されたんだ……このことは決して他言するな……用事が終わったらすぐに帰れ……ってね……」
そういえば、昨日……スイホさんをサバトのマネキンが確保した時……
――クライさん……あなたの上司にはちゃんと話をつけるので、ご安心を――
ホウリさんは、こう言っていた気がする。
「だけど……そう簡単には引き下がれないよ……」
クライさんは缶コーヒーを飲み干すと、テーブルに置き、静かにうなずいた。
「イザホちゃんたちと……裏側の世界でコテージを見た時から……確信している……この事件は……10年前の……あの事件だって……!!」
その組んでいる手は、冷静さを失わないように複雑な感情を押さえ込んでいるようだった。
「10年前と同じように犠牲になった人のためにも……10年前と同じように悲しむことになった人のためにも……志半ばで刑事を辞めてしまった父さんのためにも……自分は……この現代の事件を止めないと……! 止めなくちゃ……いけないんだ……!!」
ワタシとマウは、顔を合わせてうなずいた。
「……そうだよね。止めなきゃ……“あの子”を……!!」
この事件を解決しない限り……ワタシは自立できたとは言えない。
10年前と同じ結末を……繰り返してはならない。
ハナさん……テイさん……テツヤさん……イビルさん……ホウリさん……ジュンさん……スイホさんにクライさん……
そして、フジマルさん……
鳥羽差市での彼らと出会ったことが……ワタシに使命のようなものを……与えていた……!
その使命に……答えなきゃ。
みんなの思いを……
その時、柱時計から聞こえてくる秒針の音が止まった。
それとともに文字盤が小窓のように、開く。
「お待たせしました」
そこから現われたのは、黒魔術団の一員であるホウリさん……
そしてもうひとり……
「……まったく、30分前からいたような顔をしやがって」
紫色のツナギを着た……黒い毛並みの……二足歩行の猫……!!
「! シープルさん!!? 無事だったの!?」
たしか、シープルさんはマウがさらわれた日に……フジマルさんたちとともに手がかりを求めてサバトの建物に忍び込んだ際に、知能の紋章を削られて元の猫に戻ってしまったような……
マウが三日月の白目を出すと、シープルさんはあきれるように両手を上げて首を振る。
「紋章によって知能を手に入れた動物にとって、知能の紋章はあくまでも脳の補助のようなものだ。ほんの少しだけ記憶が抜けているが、おまえのマヌケ面だけは脳に記憶されているよ」
解説するシープルさんの横で、ホウリさんがさらに付け加える。
「シープルさんは知能の紋章が削れた状態で発見されましたが、傷は左胸だけで出血も止まっておりました。知能の紋章を失ったことで、本能で逃げるようになったシープルさんを捕まえるのには苦労させられましたが」
“本能で逃げる”という言葉で不機嫌になったのか、シープルさんはホウリさんをにらむ。
だけど、ホウリさんは取り乱すこともなく冷静にほほえんでいた。
「それで……ホウリちゃん……スイホちゃんからは……」
クライさんが話しかけると、ホウリさんは「こちらからたずねる手間が省けて助かります」ゆっくりとうなずいた。
スイホさんは今……サバトの黒魔術団の管理下にいるはずだ。
「スイホさんは……ほとんど話してくれました。3人には、ぜひ本人の口から聞いてもらいましょう」