マウと再会したワタシは、クライさんとともに裏側の世界を後にした。
マウはスマホの紋章を削り取られていただけで、あとは傷ひとつもついていなかった。水も食事も、ちゃんと与えてくれたみたい……マウは、「きっとスイホさんたちは殺すつもりはなかったかも」って言っていた。
裏側の世界から出た場所は、廃虚ではなく喫茶店セイラムの中だった。
店にいた店主のイビルさんによると、ブリキのネズミが部屋に入ってくる直前に黒いローブの人影が現われ、助けてくれたという。
イビルさんはわかっていないと思うけど、きっと黒魔術団のマネキンたちだ。
裏側の世界へ続く本も、マネキンたちが移動させてくれたんだ。
もっとも、ホウリさんは元の鳥羽差市でのホウリさんに戻っていたみたいで、ワタシたちが急に現われて驚いていたけど……
あと、すっぽんぽんになっていたマウを見て、イビルさんは動物用のレインコートを貸してくれた。昔、バイトしていた知能を持った動物のおさがりなんだって。
着ていたはずの服は、マウによるとスイホさんに没収されたみたい。理由は聞かれなかったけど……それを聞いたクライさんは、服に発信器などがついている恐れがあるために服を没収した可能性があると考えてくれた。
その後、クライさんの車で送ってもらって、ワタシたちの削れてしまったスマホの紋章と盾の紋章を埋め直してもらうために阿比咲クレストコーポレーションの紋章研究所に向かった。
アグスさんはマウが戻ってきたことに心から喜んでくれて、ワタシの紋章を埋め終えてくれると、すぐにスマホの紋章である人に電話をかけてくれた。
そのある人は、医者のジュンさん。
ジュンさんに声を聞かせたマウは、なぜかワタシの方を見て頬を赤らめていた。またジュンさんに、ワタシとの関係のことを応援されちゃったのかな。
阿比咲クレストコーポレーションの本社にある駐車場で、クライさんの車にワタシたちは乗り込む。
外はもう、夕焼けになっていた。
「あとは……ふたりをマンションに……送るだけだね……」
車を発進させようとしたクライさんに、「あ、ちょっと待って」と黄色いレインコート姿のマウが手を挙げる。
「あのさ、もしよかったら……先に瓜亜探偵事務所に向かってくれる? そっからは、イザホとふたりで帰るからさ……」
クライさんが目を丸くしている間に、マウはワタシに顔を向ける。
「イザホ……たしか、フジマルさんからカギをもらっていたよね。そこでちょっと……休憩しようよ」
クライさんに商店街近くの雑居ビルの前で下ろしてもらったワタシたちは、2階に上がり、瓜亜探偵事務所の前に立った。
この事務所で最後にフジマルさんと会話した時……フジマルさんに渡されたカギをバックパックの紋章から取り出す。
「……あの時、フジマルさんを引き留めていれば……」
? マウ?
「ん? ううん! なんでもない……」
なんだかマウ、まだ元気がないみたい……
瓜亜探偵事務所に入ったワタシとマウは、ソファーに腰掛けて一息ついた。
「……」
マウはじっと、向こう側のソファーを眺めていた。
まるで、そこに見えない誰かがいるように……
「やっぱり、不謹慎かな……フジマルさんが……もういないっていうのに……こんなところに呼び出したりしちゃって」
マウ……どうしたの?
ワタシが首をかしげると、「えっとね……」ともじもじし始めた。
「イザホ……“あの子”の作品の……ボク……見てくれた?」
それって……あのドールハウスのこと?
正直、ワタシはあのドールハウスのことは好きじゃない。
マウのことをなにもわかっていない……あのドールハウスは……
「あの作品……ボクも見たよ。しっかり再現できていたよ」
……ワタシはつい、マウに驚いた表情を見せてしまった。
「……姿を見せなかった“あの子”は、声だけをボクに聞かせて、質問をしてきたんだ。作品を作るために、参考にしてほしいって……」
緊張をほぐすためか、マウは顔をこする。
「なんというか……寝取ろうとした相手に、抵抗せずに受け入れてしまったかのような……屈辱だったよ。“あの子”の声は……どこかで聞いたことがあって……だけど、よく聞くとボクの話を真剣に聞いてくれそうな……声で……」
……ヒゲを震わしている。
まるで……当時のことを思い出して……悔しがっているみたい。
「ねえ、イザホ」
マウは、まっすぐワタシの義眼に、目を向けた。
「……イザホにも、言っておかなきゃ。ボクが今まで言わなかった……イザホと出会う前のことを」
マウは……ワタシと出会う前のことを、話してくれた。
生まれたばかりのマウは、すぐに母親から離され、ペットショップに売られた。
そこである夫婦がマウを目にして、その夫婦に飼われることになった。
子供のいない夫婦が、寂しさを紛らわせるために……
知能の紋章と声の紋章など、マウに埋め込まれている紋章は、引き取られた後すぐに埋め込まれたという。
「……だけど、ボクを飼ったのは……ふたりをつなぎ止める道具として使うためだった」
その夫婦は、毎日叫び会っていた。
互いを嫌う、感情を乗せて。
ふたりとも、自分の意見が通らないと気が済まない性格だった。
毎日、毎日、マウは聞かされていた。
ふたりの言い争いを。手を使わない、言葉の暴力のぶつかり合いを。何度もマウに飛び火したこともあった。
そして、言い負かされた方は翌日、もう片方がいない時にマウとふたりきりになって、湿っぽい愚痴を聞かされる。
もちろん、マウは否定できなかった。否定をすると、暴言がマウに飛んできていたから。
「それでも、ふたりは離婚なんてしなかった。ある程度時期が立つと、急に謝って、簡単に仲良くなるんだ……それで、時間が立つとまたケンカして……その繰り返し」
その繰り返しの中、ずっと過ごしてきたマウ。
結局、その夫婦はマウを残して死んでしまった。
買い物帰り、駅のホームで言い争いになって……周りの人並に押されて線路に落ちたところに電車が来て……はねられた。
「……その後、ボクは夫婦の知り合い……イザホのお母さんに、引き取られたんだ。その時のボクは、もう人間なんて信じられないって思ってた……」
マウはそこまで言うと、ちょっとだけ頬を桃色にしてワタシを見た。
「……イザホに……会うまでは」
マウとワタシが初めて出会ったのは……満月の夜だった。
その時のワタシは、火葬の件でお母さまを傷つけようとしてしまったことに悩んで……人格の紋章を削ろうとした時だ。
「あの時のイザホを見ていると……なんだか、オリの中に入れられているように見えていた……昔の……ボクみたいに……あとでイザホのお母さんから、イザホのことを聞いて……余計にその気持ちが強くなって……ボクに、
マウは目に手を当てて「でもね」と頬の桃色をさらに濃くさせる。
「一緒に話しているうちに……不思議な気持ちになったんだ。共感以上の……なんというか……本当に愛せるって。ずっと……永遠に……一緒にいたいって、思ったんだ」
……あの時から、マウはワタシのことを……愛せるって思ったんだ。
その時から……ワタシよりも先に……気づいたんだ……
「人間に寄り添おうとしているイザホと一緒なら……きっと変われる……そう、思っていたけど」
マウはゆっくりと、まぶたを閉じる。
「……なにも変わっていなかった。さっきのボクはずっと、ウサギ小屋の隅で頭を抱えながら……隣の部屋で……物音が出て……スイホさんの言葉から、ナルサさんが殺されたことをしっても……ただのウサギのように、おびえることしかできなかった……」
ゆっくりとマウは顔を上げて、向こう側の窓に写る暗闇……そして、街の明かりに目を向けた。
太陽は、もう消えていた。
「まるで……紋章みたい。過去に囚われていて……それを気にしないフリをしたって……結局は、変わらない。心の中で……しっかりと、埋め込まれている……」
……
ワタシは、マウの肩をたたいた。
「……? イザ――」
逃がさないように、ワタシは振り向いたマウの顔を手で固定する。
「……!?」
驚いたマウが、口を開く。
ワタシは自分のデニムマスクを外すと、その口に近づいて、
「――…………ッッッッッッッッッ!!!!!?????」
マウの小さな口の中に、
やさしく、
ワタシの舌を入れた。
「…………!!!???」
……
「…………???」
……
「……?」
……
「……」
……
ゆっくりと、マウの口からワタシの唇を離す。
「イザ……ホ……?」
マウはほっぺをサクランボ色にしながら、ワタシにまばたきを繰り返す。
マウ……ワタシの目を見て。
「……」
小さな右手で、ワタシはマウのおでこをなでる。
「……どうしちゃったの? イザホ」
どうしたんだろうね?
「なんだか……前よりも……色っぽくなったっていうか……積極的っていうか……」
マウも、積極的だったよね。今まで、ずっと……
「……」
ワタシは、頬角を上げて首をかしげる。
マウ、言いたいことがあるでしょ?
マウ、言おうとして恥ずかしがって……言えてなかったよね。
ワタシ……ようやくわかったよ。
マウが消えてしまうかもしれないって……思って……ようやく……!!
相思相愛の……本当の意味……
「ねえ、イザホ……」
勇気を振り絞って、マウは声を出す。
「あ、あのさ……この……事件が……終わったら……さ……」
その声の、ひとつひとつに……心臓のないワタシの胸がリズムを刻む。
「……けっこ……ん……」
……!!
「……結婚……しよう!!」
ワタシは、うなずいた。
笑顔なんて、作らなくても自然にあふれていた。
「……! ほ、本当!?」
ワタシと同じ感情を表わしたマウの顔を、逃さないように……
ワタシは、マウを抱きしめた!
「本当に……いいの……!? ボクと一緒にいて……いいの……!!?」
いいに決まっている。
ワタシとマウは、相思相愛。
紋章によって作られた
もう誰にも削られることのない……
その個性を縛ろうとする
その個性を削り取ろうとする
ワタシがソイツを、たたきつぶしてやるから。
だからマウ……
ワタシたちは……
「ボクたちは……」
永遠に…… 「一緒……なんだね!!」
ワタシは事務所の中で、踊った。
マウを抱きしめて……この胸からあふれる喜びを……表現した。
この気持ちは、瓜亜探偵事務所を後にしても……
ずっと……ずっと続いた。
マンション・ヴェルケーロシニの前で、クライさんと顔を合わせるまで……
「あ……イザホちゃん……マウちゃん……だいじょうぶだった?」
「……ああ……なんでパトカーがいっぱい止まっている……って……?」
「……1003号室に住んでいる……最初に殺されたウアちゃんの……お母さんの……ハナさんが……」
「外廊下から……飛び降りたんだ……」
「なぜか……すごい幸せそうな……表情だったらしい……」
「誰かに……殺された可能性は……低いみたい……」
「ハナさんの手から……遺書が……落ちていた……から……」
「……自分も……読んでみたよ……そこに書かれたのは……たった一文……」
【 ウアを、止めてください 】
――ACT9 END――