夕焼けの砂漠の部屋。
部屋の隅でしゃがんでいたスイホさんに向かって、鉄パイプを振り上げていたワタシの左手を……ナルサさんはつかんでいた。
思わずワタシが鉄パイプを下ろすと、ナルサさんは黙って笑みを浮かべて、スイホさんの前でしゃがむ。
「スイちゃん、教えて」
スイホさんはナルサさんの顔を見て一瞬安心したように表情を緩めたけど、質問を聞くとすぐに目線を逸らした。
「……言えない」
スイホさんは……10年前、ナルサさんの姉を殺している。
そのことを隠し続けて……この事件の犯人に、弱みを握られたまま……スイホさんは、この事件に加担してきた。
「やっぱり……どうしても……?」
「……」
スイホさんは黙ったまま、うなずく。
「隠し事ってさ……スイちゃん、昔から苦手だったよね」
「え?」
ナルサさんは、じっとスイホさんの髪の毛を見ていた。
「ほら、スイちゃんさ……いつも髪の毛いじるだろ? なにか隠している時ってさ」
「……!!!」
巻き付けた髪から指を離し、頬を赤らめるスイホさん。それを見ていると、ワタシの胸の中で今までのスイホさんの行動が再生された。
スイホさんは、今までも髪の毛に人差し指を巻き付けるクセを見せていた。
ワタシの正体を知っていたのにもかかわらず、紋章研究所で初めて知ったような反応をしていた時も……
廃虚となった旧紋章研究所のことについて説明する時も……
フジマルさんの耳がナルサさんの元に届けられたことについてマウに聞かれて、知らないと答えていた時も……
今思えば、仮面の人間としての自分と関わることを隠していたタイミングで、スイホさんは髪に人差し指を巻いていた……!
「それじゃあ……スイちゃん……自分自身となら……」
ナルサさんは、着ているTシャツの首元に手を入れる……
目の前には、スイホさんがふたり、向き合っていた。
「オレはキミだよ。これなら……言える?」
ナルサさん……私服を着たスイホさんが、黒いローブ姿のスイホさんの左手を持ち上げて、手のひらを重ね合う。
「……」
ローブ姿のスイホさんは、鏡のように自分を見つめてくる私服姿のスイホさんを見て、胸を押さえた。
「ほんっとうに……昔からそうだった……」
スイホさんの声が、漏れ出す。
「ナルくん……昔から……いっつも……空回りって……気づいていない……」
黒いローブのスイホさんが涙を流すのは、何度目なんだろう。
「姿を変えたって……声は……ナルくんのままじゃない……声を変えたって……私には……なれないの……!!」
だけど、その涙はどこか……違っていた。
「昔から……空回り……ばっかり……だけど……それに気づかず……純粋に……自分に自信が持ててないって……言っているくせに……」
恐怖ではなく……嬉しいという感情と、だからこそ苦しんでいるような……
「だから……余計に言えないの……いずれわかるのに……知られたくない……ナルくんを……不幸にしたくない……いずれそうなるって……わかっているのに……」
うつむくローブのスイホさんに、
私服のスイホさんは、ただほほえむだけだった。
「安心して、いいよ」
!! 「!?」「え!?」
部屋の中に声が聞こえて、ワタシたち3人は部屋を見渡した。
さっきの言葉は……スイホさんでも、ナルサさんのものでもない。
ワタシは、この声を聞いたことがある。
それも……この鳥羽差市にやって来て間もないころに……聞いた声……
「約束は、ちゃんと守るからね」
再び聞こえてきた声に、ワタシは振り返った。
壁の空は暗闇となっていて、
水彩画で描かれた、人物画が写っていた。
それは……黒髪のおさげの少女……!!
そして、部屋の明かりが消え、周りが消えた。
「がっ……」「!!!!」
それとともに、なにかがぶつかったような音と、大きな鐘の音が鳴り響いた。
部屋を包む暗闇に、
天井から、細い光が現われた。
ゴーン……ゴーン……と、祝福するかのような鐘の音が鳴り響く。
音とともに、細い光は徐々にスポットライトの形に広がっていく。
そのスポットライトに、照らされていたのは……
口を開いているスイホさん。
そして、頭部が巨大な黄金の鐘となった、ナルサさんだった。
「……え?」
スイホさんは、その光景を受け入れていないように声をあげ、一瞬だけ体を揺らした。
それとともに、スイホさんの体にひっついていたナルサさんは、床の砂にその身を投げ出す。
頭部の鐘は、砂を赤く染めながら転がっていき、
「……」
ナルサさんの、つぶれた頭部が現われた。
「……たし……かに」
姿の紋章が効果を失い、元の姿となったナルサさんの……死体。
「これで……ナルくんには……知られない……」
部屋全体の明かりが元に戻るとともに、その足元にある砂が沈んでいき、
ナルサさんの死体を、隠してしまった。
「ナルくんが……私がナルくんのお姉さんを殺したのも……知ることはない……」
死体が沈んでいった場所を、スイホさんは小さく口を動かしながらじっと見つめて、
「だけど……」
勢いよく、目から涙を吐き出した。
「こんなのわたしがのぞんだ結末じゃないぃっ!!!」
スイホさんは、右手の手のひらに刺さったボールペンを引き抜くと、
それを首元に、向けた!
「……ッ!!!」
後ろの扉が開かれ、誰かが部屋に入ってきた!!
首元の
「離して!!! お願いだから離してっ!! クライ先輩ッ!!!」
「……!!」
この部屋に入ってきた人物……クライさんは、スイホさんのシャープペンシルを持つ左手をつかみ、
そのシャープペンシルを、取り上げた。
「ああっ!!」
スイホさんはバランスを崩して、ワタシの方へと倒れた。
「……ねえ……わたしを……」
……ワタシの足を、スイホさんはつかむ。
「ころして……」
ぐしゃぐしゃになった顔を、わたしに見せてくる。
「その……もっているもので……なぐって……わたしのかおが……みえなくなる……まで……」
だけど、ワタシは持っている鉄パイプを再び振り上げることは、できなかった。
「どうして……? うらんでいるんでしょ……? まうくんをさらった……わたしを……」
……なぜだか、その気持ちはもう、わき上がってこなかった。
恋人を失ったスイホさんに、同情しているのかな?
人を殺してそれを隠したくせに、自分の恋人が殺された時にはすがりついてくるスイホさんに……
あきれているのかな?
「はやく……なぐってよ……」
違う。
わからないんだ。
ワタシは、マウがいなくなった時に、自分で悲しみを理解したつもりだった。
だけど……悲しみは、ワタシにとっての悲しみしかわかっていない。
他人が感じる悲しみなんて……本当はわからないものなんだ。わかったつもりになるものなんだ。
悲しみを、わかっているのなら……
殴るなり……ふりほどくなり……抱きしめてあげるなり……
言葉がなくても行動で、答えることができるはずだから。
スイホさんの悲しみを理解できなかったワタシは、
思わず、クライさんに顔を向ける。
「……イザホちゃん……それでいいよ……少なくとも……キミの行動は……それでいい……」
そういってクライさんは、ワタシとともに、
途切れることのない涙を流し続けるスイホさんを、眺め始めた。
その時、入り口の扉からまた別の人物が入ってきた。
「……お取り込み中のところ、すみません。クライさん」
占い師の、ホウリさんだった。
旧紋章研究所の廃虚でのおびえようがウソのように、冷静だ。
黒魔術団の一員としての、ホウリさんだ。
「ホウリちゃん……イビルさんは……?」
「彼はアタイの仲間が、安全な場所に移動しています。そこはご安心ください」
……たしか、クライさんとホウリさん、そしてイビルさんは、ブリキのネズミが部屋に入ってこないために扉をふさいでいたんだっけ。
ふたりがこっちにやって来たのは……ホウリさんの仲間がなんとかしてくれたおかげなのかな。
「それよりも、スイホさんのことですが……」
ホウリさんがスイホさんに顔を向けるとともに、部屋にもうふたり、人影が入ってくる。
黒いローブを身にまとった……黒魔術団のマネキンだ。
「スイホさんの身柄は……警察の前に、アタイたち黒魔術団が確保します」
その言葉に、クライさんは不服そうに眉をひそめる。
「ホウリちゃん……自分は……黒魔術団のことはおとといいきなり聞かされて……あまりよくわかっていないんだ……スイホちゃんは……ちゃんと取り調べができる状態で……返してくれるね……?」
「もちろん、努力はします。スイホさんの返答次第ですが」
2体のマネキンが、スイホさんの首元をつかみ、引きずって部屋を後にする。
スイホさんは、一切の抵抗を見せなかった。
「あと、ひとつだけ」
ホウリさんは、クライさんに向かって人差し指を立てる。
「クライさん……あなたの上司にはちゃんと話をつけるので、ご安心を」
「? それって……」
理解できないように首をかしげるクライさんに、ホウリさんは「責任を取らなくていいってことです」とほほ笑んだ。
「そして……イザホさん」
ホウリさんは、ワタシに顔を向けて、
手のひらで壁を指した。
「お探しの方は、きっとあちらにいると思いますが……先に行かれますか?」
!!
ホウリさんが指した方向には……入り口とは別の、扉があった!!
ワタシの胸の中が……今すぐ会いたい存在で埋め尽くされる!!!
もう、じっとしていられなかった。
鉄パイプを放り投げて、ワタシはその扉へと飛び込んだ。
その部屋も、砂場だ。
小さな月の明かりで照らされていた。
壁際には、物置のように物が散乱している。
置かれている物がどんなものなのか、それを観察している暇はない。
部屋の中心にあったのは……シーツをかぶせられた、ペット用のゲージ。
ワタシはそのシーツをつかみ、ゆっくりと持ち上げていく……
中にいたのは……床に胴体をつけた……まぶたを閉じた白いウサギ……
服は着ていなくて、すっぽんぽんで……
地面に体をつけている姿は……知能をもたない、ただの4足歩行のウサギ……
いや、違う……ただのウサギなんかじゃない。
わずかに……胸が青く光っている……
知能の紋章が……光っている……
そのまぶたが開かれて……目の奥に埋め込まれた目の紋章が、青色に輝く……!!
「……イ……ザホ……?」
マウ!!
ワタシはすぐに、ゲージの扉を開こうとした!!
「来てくれた……の……?」
南京錠が邪魔だったから、近くに散らかっている物の山から、石を拾う!!
それを打ち付けて……南京錠を壊す!!
「……」
やった!! 開いた!!
「……夢じゃ……ないよね……?」
もちろん……!
思えば……
マウがさらわれて……マウがいなくなったばかりのころのワタシは……
この瞬間のことを、想像することができなかった……
「もう……」
会えないかと思ってた。「会えないかと思ってた」
ゲージを開けると、マウはワタシの胸に飛び込んだ。
それをワタシは、しっかりと受け止めた。
マウのぬくもりが……手から伝わって……
ワタシに埋め込まれている紋章すべてに、伝わっていった。