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第92話 紋章なき少年に埋め込まれていたもの


「イザホさん、この子は……?」


 美術室の中、ナルサさんはワタシに抱きついている小学生……アンさんを見ながらたずねてきた。

 抱きしめるアンさんを払いのけるのはよくないと考えて、ワタシはその体勢のまま、スマホの紋章に入力する。


「あ、この子が……テツヤという人が言っていた……」

「ねえイザホお姉ちゃん……マウは?」


 ナルサさんに文字を見てもらっていると、アンさんはワタシの周りをキョロキョロと見渡し始めた。


 そういえば……今まではマウがワタシの思っていることを代わりに答えてくれていたんだっけ……

 今まで、マウに頼りっきりだったかも……


「ねえ、マウは?」


 ……ワタシの胸の中で、またあの映像が再生される。

 マウは……本当に無事……なのかな……


「こら! 捜査の邪魔をしない!!」

「あ……ちょっと待ってください……」


 アンさんを引きはがそうと教師が近づくのを、クライさんが止めてくれた。

 クライさんは「彼にも……話を聞きたいので……」と告げると、こちらに近づいてきた。


「えっと……マウちゃんは……今日は忙しくて……」


 アンさんは初対面であるクライさんに対して、ワタシの後ろに避難した。


 ……しっかりしないと。今は悩んでいる暇はないから。

 心配そうにこちらを見上げるアンさんに対して、目元だけでもうなずいて安心させてあげよう。


「それじゃあ……イザホちゃん……テツヤさんの宝物を……探そうか……」


 ワタシはうなずくと、アンさんの頭を軽く触れて離れてもらった。




 テツヤさんがツボを取り出したのは……


 たしか、生徒が書いた水彩画が飾られている場所を背にして、前方の教卓……

 その教卓の付近の机だ。あの机のはずだ。




「この机の中には……なにもないね……」


 クライさんの言葉が信じられなくて、思わずワタシは中身をのぞいた。

 たしかに、机の中にはなにも入っていなかった。


「クライさん……やっぱり、別の場所に運ばれたんでしょうか?」

「そうだとしたら……まずい……当てがない……」


 心配するテツヤさんに対して、クライさんは机の上に腕を置いた。


 その机の近くに、アンさんが近づいてきた。




「もしかして……テツヤ先生のツボだったら……僕、知っているよ?」




 本当!?

 ワタシが驚く感情を表情で出すと、アンさんは「こっちの方だよ」と近くにあった扉に近づき、その扉を開いた。









 その扉の先は、さまざまな道具が置かれた部屋。


 キャンパス、人の上半身の人形、積まれた段ボール……


 どれも、絵を描くのに使われそうな道具ばかりだった。

 ナルサさんによると、ここは“美術準備室”という部屋らしい。




「テツヤ先生、僕にだけこっそり教えていたんだ。ひみつの引き出し」


 アンさんは上半身の人形が置かれている机の隣にある、棚の引き出しに手を伸ばした。

 ナルサさんはその様子を隣で見ながら、話しかけやすいように顔を下げる。


「その中身とかは、教えてもらったかい?」

「ううん。ナイショだって。だけど、先生は開いているところを僕に見せてくれたんだ」


 アンさんはその引き出しの……2段目を開ける。




 引き出しの中は、空っぽだった。




「なにもない……みたい……だけど……」

「このあと、先生は上の段を開けたんだ」


 言葉通りに、上の段を開けるアンさん。




 その上の段の底を、アンさんは思いっきりたたいた。




 ガタンと、なにかが落ちる音が聞こえてきた。




 再び2段目を開くと、中に入っていたのは……金属製の丸いコースター。


 そのコースターには、二重丸の形……スイッチの紋章が埋め込まれていた。




「金属……」「この金属が、磁石でくっついていたわけか!」


 クライさんは腕を組んで、ナルサさんは引き出しをのぞきこんで、関心するようにつぶやいていた。


「あとは、このスイッチの紋章に触れると……」




 どこかで、物音がした。










 アンさんに連れられて美術室に戻ると、アンさんは教卓の後ろに回り込む。


「ほら、ここ」


 教卓の下をのぞきこんで、アンさんの指さす方向を見てみると、箱のようなものが落ちていた。

 教卓の下は影になっているため、指をさしてくれないとわからなかった……


「なるほど……横の方にバックパックの紋章が埋め込まれていて……スイッチの紋章で……箱が落ちてきた……」


 紋章を隠すための茶色のシールを拾ったクライさんの声に、アンさんは振り返った。


「テツヤ先生、言ってたんだ。もしもテツヤ先生になにかあったら、あのスイッチの紋章を押していいって……」

「……? でもそれなら……バックパックの紋章だけのほうがいいんじゃあ……」


 首をかしげるクライさんに、隣で見ていたナルサさんが首を振る。


「クライさん、バックパックの紋章は持ち主の指紋でしか反応しないんですよ。テツヤさんがアンさん自身に取り出させるのなら、バックパックの紋章に触れたとしても反応はありません」

「あ、そっか……」


 ワタシはふたりの会話を聞いている暇はなかった。


 その箱を取り出す。


「あ、イザホお姉ちゃん。僕が開ける!! 先生は僕に向けてこの箱を用意してくれたから!」


 ワタシの代わりに、アンさんはフタに手を添える。




「先生がこの箱のことを教えてくれたのは……イザホお姉ちゃんが来た次の日だった。まるで慌てているみたいで……わざわざ持って帰っていたという宝物を……戻しに来ていて……その次の日から、まったく先生がこなくなって……だからきっと……テツヤ先生は……」




 アンさんは、死んでいたことや正体はわからずとも、テツヤさんの身になにかがあったのだと考えていたんだ。

 テツヤさんがここに戻ってきたのは……自身がインパーソナルにされると思っていたからかな。


 そのことが、フタを開ける時の震えから……読み取れた。




 その箱の中身にあったのは……




 ツボでは、なかった。




 入っていたのは、1枚の写真。





 ……昔の写真だ。


 どこかで見た建物の前で……白衣を着た人たちが整列している。




 ……今は廃虚となっている、旧紋章研究所。


 ……10年前、女の子……幼いウアさんが、死体とともに発見された場所。




 建物も奇麗であることをのぞけば、あの廃虚とそっくりだ。





「……なぜ?」


 クライさんは、その写真のある人物を見て、眼球を震わせていた。




 ……ワタシも、その人物には見覚えがあった。


 他の人とは違って、ひとりだけ無地の白色Tシャツの上に黒色のジャケット……





「どうして……イビルさん……が……!?」




 今は喫茶店セイラムの店主で、とっても忘れっぽい……イビルさん。




 イビルさんは、隣の白衣を着たショートヘアーの……背の低い女性の側で、親のようにほほえんでいた。









 案内してくれた教師に別れを告げて、ワタシたち3人は瑠渡絵小中一貫校の校舎から立ち去った。




 駐車場で再びクライさんの自動車に乗り込もう……




「待ってよお!!」




 後ろから、誰かに抱きつかれた。

 ……アンさんだ。


「ねえ、リズお姉ちゃんは……!? テツヤ先生は……!? 無事だよね……!!?」

「……」「……」


 クライさんとナルサさんは、暗い顔……悲しそうな表情をしていた。


 そっか……まだふたりは、リズさんが無事であることを知らないんだ……それに、テツヤさんが死んでいることは、もうわかっているから……


「ねえ、黙っていないでよ!! マウも本当は……大変なことになっているんだよね!? イザホお姉ちゃん……あの時……悲しそうな顔をしていた!!」


 ……


「ねえイザホお姉ちゃん……リズお姉ちゃんと……テツヤ先生……マウ……みんな、無事だよね……?」

「アンくん。実は……」




 目線を合わせようとかがんだナルサさんに対して、ワタシは小さな右手で遮った。


 そして、スマホの紋章に文字を入力した。




“テツヤさんは、旅に出た。作品を作りたいって情熱が、抑えきれなくなったから”




「……」


 まばたきを繰り返すアンさんに対して、ワタシはさらに文字を追加する。




“リズさんはもう出会った。犯人から狙われているから、隠れている”




“マウは迷子になっちゃったけど……アンさんのおかげで、すぐに見つかりそう”




「……それじゃあ」


 アンさんの眼球は、ワタシの義眼と向き合った。




「リズお姉ちゃんの方は……本当にだいじょうぶなんだね? マウも……見つけるんだよね!」

「ああ、君のおかげだよ」「……」


 ナルサさんは白い歯を見せて、クライさんは黙ったまま笑顔でうなずいた。




「……絶対に、悪いやつを捕まえてね!! 僕、待ってるから!!!」









 クライさんの自動車の中で、ワタシは後ろを振り返って、小さくなっていく瑠渡絵小中一貫校を眺めていた。


「……バレていたみたいだな。テツヤさんのことは」


 隣のナルサさんの言葉に思わず顔を向けて、ワタシは首をかしげた。

 そういえば、アンさんは“リズお姉ちゃん”と言っていた。テツヤさんのことはもういないって理解しているみたいに。

 ……うまく書けたと思ったのになあ。




「でも……アンさんは受け止めたみたい……それでいいと……思うよ……」




 バックミラーに写るクライさんの目元は、とても晴れ晴れとしていた。



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