ビデオの紋章によって映し出される、ホログラムのスイホさんと色黒の女性。
ふたりは、互いに向かい合っていた。
ビデオの紋章からは、なにも声が聞こえない。
だけど、セーラー服を着た……学生時代と思われるスイホさんは、色黒の女性……ワタシの胴体の持ち主だった、弁護士に向かって叫んでいる。
手は握り拳をつくって……目は弁護士をにらんでいた。
もしかして、買収された大学のことでもめているのかな……
だけど、弁護士はまるで手慣れたように受け流していた。
ただうっとうしそうに、腕を組んで時計を見るように目をそらしていた。
やがて、弁護士は口を開いた。
その口から発しているであろう言葉を聞いたセーラー服のスイホさんは、
体を震わせていた。
それとともに、ふたりの間にテーブルが現われた。
テーブルの上に置かれた、リンゴの乗った皿。
そして……くだものナイフ。
セーラー服姿のスイホさんは、まるでその場の衝動に引っ張られるように、
果物ナイフに手を伸ばし、
弁護士の首筋に、突き刺した。
スイホさんがナイフを引き抜くと、
首筋から真っ赤な血を流して、目を見開いた弁護士は仰向けに倒れた。
ぼうぜんと果物ナイフを眺める、スイホさん。
その体は、足先から体全体に黒い何かに包まれ、
ローブとなった。
裏側の世界の学校で見た、ドールハウス。
裏側の世界のログハウスで見た、人形の部屋。
その中で見た光景と同じものが、今、氷の川の上で再現された。
弁護士……ワタシの胴体の持ち主を殺したのは、バフォメットではなくて、
スイホさんだった。
刑事のスイホさんはワタシの側で、ただ川を眺めていた。
「……」
そのスイホさんの背中は、震えている。
「……スイホ……ちゃん?」
「……違う……違う!」
スイホさんは頭を抱えて、おでこを雪に乗せた。
「違う……違う……あれは私じゃない……あれは私じゃない……」
その震え声は、
「あれは私じゃない……私があの子に話した内容を……映像で再現した……だけ……アハハハ……」
笑い声へと、変わった。
「ずっと……ずっと……握られていた……あの時は小学生の……ガキだったのに……アハ……誰にも言わないって……言ってたのに……ハハハ……言わないはずがないわよね……ハハハフフ……フフ……フフ アハ ハハ ハ ハ 」
スイホさんの顔が上がり、
「 アハ! アハ! アハ! 」
ボロボロと、涙のように雪が顔から落ちていく。
「アハ! アハ! 言わないはずが ないの よ! アハ! ハハ! アハ! 消え るはずな んて な い の よ ! アハ! 5人の 死体を、見つけ て! そ れに! 便 乗 し て ! フフ! フフ! アハ! 一 度でも 犯した 罪は! アハ! ア ハ ハ ! アハハ! そう! 紋章の よ うに! も ん し ょ う の! ように!! べっとりと埋め込まれて永遠とみんなに犯罪者と指を指されて死ぬまで死んだ後まで永遠と語り疲れていくのよォォォォォォォァァァァァアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……アハハハ……アハハ……アハァ……」
ぐったりと、ホウリさんは力なく頭を下に向けた。
人間の声が、あんなに途切れ途切れになるのは初めてだった。
ワタシとは違って、しっかり繋がっているはずの人間が、
ワタシとは違って、ひとつの体で存在している人間が、
まるでツギハギのように、途切れ途切れに言葉を漏らしていた。
「ねえ……イザホ……ちゃん……」
ゆっくりと顔を上げるスイホさんに、ワタシは右足を1歩動かした。
そばにいる、マウの横に。
ワタシの小さな足を、抱きしめてほしかった。
胸の中でわき上がる、正体不明の感情……
炎を見た時とは違う、恐ろしさを抑えたかった。
「私は……私はね……あの時のことを……」
くるりと、ワタシに顔を向けた。
「それでも知られたくないのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!!」
ホウリさんはこちらに拳銃を向けた!!
「!!」「イザホッ!! 危ないッ!!」
ワタシは、左腕に埋め込んだ盾の紋章で、
紋章の埋め込んでいる左腕を、守れなかった。
クライさんがとっさにスイホさんを突き飛ばす前に、
引き金は引かれていた。
氷の上に倒れたスイホさんの狙いは、非常に正確だった。
ワタシの左胸……それも、人格の紋章がある位置に向かって、
ワタシが盾の紋章で守る前に、銃弾が飛んできていた。
それを、マウの体が受け止めた。
盾の紋章ではなく、自らの体で。
その右手からは、赤い血液が舞っていた。
マウはどさりと、雪の上に……
マウ……? マウ……!?
近づかなきゃ。
マウに近づかなきゃ!!
「……イ……ザホ……」
マウ!! しっかりして!!
「だいじょうぶ……だよ……とっても……動かせないほど……手が……痛い……けど……」
まだ……生きていた……
マウはまだ……死んでいなかった……
「きゃふっ!!」
その隣に、誰かが振ってきた。
「ホウリちゃん……ッ!!」
クライさんは、氷の川に目を向けた。
氷の川の上で倒れているスイホさんの向こう側にいる……人影に目を向けた。
先ほどまでホウリさんがいた場所に、誰かが立っていた。
黒いローブを着た人影……顔は、フードで隠れてわからない。
足元の雪は乱れていて、複数のナイフが雪の上に散らばっていた。
まるでもみ合ったみたいに……
その黒いローブの人影は雪の上から、氷の川に刃物を突き立てた。
それとともに、氷の川にヒビが入り、
ガラスのように割れた。
その下は、底の見えない崖となっていく……
「!!」
突然、スイホさんが起き上がり、マウに手を伸ばした!!
「……イ……ザホ……?」
ワタシは、崖の底へ落ちようとしたマウの左手を、つかむことができた。
そのマウの胴体をつかんでいるのは、スイホさん。
暗闇に顔を向けて、ただブツブツと、壊れた人形のように聞き取れない言葉を発している。
「……手を離してよ……このままじゃ……イザホも……落ちちゃう……」
ワタシは、右手でマウの左手を無理やりつかんだ。
離すわけにはいかない。
マウは……ワタシの大切な……友達……
そんな言葉じゃあ、言い表せない。
さっき、ようやくわかったような……気がしたんだ。
あの言葉の意味が。
今まで言っていた、相思相愛の意味が。
さっき、なぜかその言葉が胸の中に浮かび上がったんだ。
その意味を、伝えたい。
表情だけでは伝えられない言葉を、伝えたい。
マウに読み取ってもらうんじゃなくて、ワタシの手で、伝えたい。
だから、渡せない。
ワタシのマウは、渡せない。
お願いスイホさん、離して。
その手を離して。
スイホさん、その手を離して。
スイホさん、その手を離して。
スイホさん、その手を離せ。
「さすがはイザホだ!!」
その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あ……ああ……!」
動揺するホウリさんの声が漏れる。
「……遅かった……間に合わなかった……なんて……」
クライさんが雪にひざまつく音が聞こえてきた。
崖の向こうに立っていた……黒いローブの人影。
そのフードが下ろされようとしていた。
下ろさないで……
でも……もう……遅かった。
「私は……この鳥羽差市を愛しているッ!!」
フジマルさんだ。
インパーソナルの……フジマルさんだ。
血相のない白い顔に、存在感のある左耳。
存在感を引き立たせているのは、かつて右耳があった場所が欠けていることだ。
その左腕は、銀色に輝いていた。
「私は……この鳥羽差市を愛しているッ!!」
フジマルさんは飛び上がり、崖の下へと……
スイホさんの足をつかんだ。
マウの胴体にしがみついて宙づりになっている、スイホさんの足をつかんだ!!
「……!! イザホ!!」
ワタシの両手から……マウのぬくもりが消えた。
崖はもう、なにも写していなかった。
飛び出して……落ちようとして……
逆さ吊りになったワタシの……埋め込んだ義眼には……
誰の姿も映さなかった。
「イザホちゃん……!」
クライさんの声とともに、ワタシは崖の暗闇から遠ざかっていく。
いや……いや……
「頼むから……じっとしてて……!!」
いや……だ……
いやだ……
いやだ!!
落ちていったマウを! 助けなきゃ!!
「イザホちゃん! しっかりして!!」
離して!! クライさん!!
スイホさんとともに落ちていったマウを……助けなきゃ!!
撃たれてケガを負っているマウを……助けなきゃ!!
「クライさん、あっちの方に出口があるはずです!! イザホさんたちが来た方向です!!」
「ホウリちゃん……動ける? 悪いけど……できれば手伝って……!」
やめて!! クライさん!! ホウリさん!!
こんなに腕を動かしているのに、
こんなに足を動かしているのに、
どうして伝わらないの!?
「イザホちゃん……気持ちはわかるけど……ここはいったん退くしかない!」
気持ちなんて、わかるはずがない!!
フジマルさんの命が……人格が……存在が……消滅して……
マウが……マウが……
ワタシの目の前から……消えるなんて……
この気持ちは……しぐさでも……表情でも……文字でも……表現できない……
どうして、お母さまは声の紋章を埋めてくれなかったのだろう。
ああ……マウが……マウが……離れていく……
いやだ……
ひとりに……
しないで……
マウ……