ワタシたちは、運動場の倉庫の前まで来た。
辺りを見渡しても、フジマルさん、アンさんの姿が見当たらない。
黒猫のシープルさんも、すでに移動したのかその場にはいなかった。
「イザホ! あれ!」
マウが指をさしたのは、倉庫の前。
本が空を向いて開かれており、羊の紋章が輝いていた。
羊の紋章を前にして、ワタシとマウは無線の紋章に触れて最後の確認を行う。
「……フジマルさん、やっぱり出てこないよ」
マウと一緒にうなずく。
このままでは、フジマルさん……そしてアンさんの命が危ない。
ワタシとマウは、それぞれの左の手の甲に埋め込んだ盾の紋章に触れた。
緑色から青色に変わるとともに、半透明の小さな壁のようなものが手首まで展開される。
次に、スマホの紋章を捜査してカメラを起動し、録画を開始する。
今、ワタシの義眼に埋め込んでいる目の紋章の視界が、スマホの紋章に動画として記録されている。
ワタシはマウと手をつないで、自ら羊の紋章に触れ、
裏側の世界へと向かった。
出てきたのは、暗闇に包まれた建物の中。
羊の紋章から出てきたワタシは、バックパックの紋章から懐中電灯を取り出し、近くにあるものを照らす。
そこにあったのは、積まれた本。
木製の床の上に、たくさんの本がワタシの身長の高さまで積まれている。
まるで、本で出来たタワーのように。
周りを見渡すと、大きな本棚がまるで道のように設置されている。
本棚には本が置かれていないけど、
その側には先ほどと同じぐらいの高さの本のタワーが、いくつも並べられていた。
「まるで図書館みたいだね……」
後ろに帰るための羊の紋章が壁に埋め込まれているのを確認すると、マウがこの裏側の世界の景色についてつぶやいた。
懐中電灯を向けると、マウは足元に落ちていた本を拾い上げていた。
「……やっぱり白紙だ。この裏側の世界って、どういう意図があるんだろう」
たしかに、この裏側の世界はよくわからない。
初めて裏側の世界に引きずり込まれた時の段ボール箱、古城のような裏側の世界の人物画、時計塔の裏側の世界にあったビデオの紋章……
まるで、誰かに見てもらうことを想定しているような気がする……
でも、なんのために……?
その時、どこからか本が崩れる音が聞こえてきた。
「……あっちの方かな?」
ワタシはマウとともに、音の聞こえてきた方角に歩き始めた。
暗闇の中を、懐中電灯の光が揺れる。
横に向けても、ただ本のタワーと空の本棚があるだけ。
木製の床がきしむ音だけが、この部屋に響く。
だんだんと、本のタワーが乱れ始めてきた。
いくつかの本のタワーは倒され、床に本が散らばっている。
先に進むと、本のタワーの代わりに床に散乱した本しか見えなくなり……
やがて、光は壁を照らした。
それでも行き止まりではない。
本棚を左に曲ると、奥に扉が見えた……
「うわっ!?」
その時、ワタシの膝元を、本が通り抜けていった。
マウは横にぴょんと避ける。
すぐに後ろを振り返ると、誰かが立っている……!
「……キミは……アンさん?」
懐中電灯に照らされた男の子……アンさんは、ワタシを見て固まっていた。
なにかにおびえているように、でも、逃げようともしていない。
ただ、ワタシを見て、体を震わせている。
ふと、マウがおなかのバックパックの紋章から、ミカンを取り出した。
いつの間に入れてたの。
「ねー、みてみてー」
マウは頭に被っている学生帽にミカンを載せてその場でしゃがみ、手足を隠して丸まった。
「かがみもちばんちょー」
……かわいい。
面白いかはわからないけど、丸まった体に自信満々に目を細める顔。かわいい。
「……ぁ」
ふっと、アンさんは力が抜けたように、その場に崩れ落ちた。
まるで、緊張の糸がほぐれたように。
すごい満足そうな顔をしながら立ち上がると、マウはミカンを持った状態でアンさんに近づく。
ワタシも、怖がらせないように目線を下げてあげよう。
「えっとね……ボクたちはリズさんに頼まれてキミに近づいたんだ。だからだいじょうぶ。これでもリズさんから信頼されているんだよ?」
……あれ?
アンさん、ちょっといやそうな顔をしたような……
だけどすぐにマウに顔を向けて、口を開く。
「僕の“秘密基地”に……化け物が……」
アンさんは、この裏側の世界のことについて話してくれた。
黒い本からつながる裏側の世界のことを、アンさんは“秘密基地”と呼んでいるらしい。
マウは「どこで秘密基地につながる本を手に入れたの?」と聞いても、まったく答えてくれなかった。話したくない理由があるのかな。
いつもアンさんは、休み時間になると秘密基地に来ていた。
そこで本を読んだり……ただボーッと過ごしたり……昼休みなどの時間が取れるときは、勉強もしていたみたい。
それが今日、秘密基地に来ると何者かに荒らされた形跡があった。
嫌な予感がしながらも、奥に向かった先にいたのは……
「化け物……なんだね?」
マウが確認すると、アンさんはうなずいた。
「その化け物、どんな姿をしていたの?」
「よく覚えてない。その化け物は光るものを持っていて……怖くて……その時、さっきのおじさんが助けに来てくれたけど……」
そこまで言って、アンさんは泣き始めた。
さっきのおじさん……フジマルさんのことだ。
きっとアンさんを逃がすために、おとりになったんだ。
「僕……どうすればいいの……おじさん……殺されちゃうよお……」
「だいじょうぶ! 助けるために、ボクたちが来たんだから――」
その時、ガラスが割れたような音が聞こえてきた。
音が聞こえてきた方向に懐中電灯を向けても、あったのは扉だけ。
ただ……よく見るとその扉は窓がついており、
なにかが刺さっているように、ヒビが入っている。
「……」
驚いて泣き止んだアンさんに対して、マウはアンさんの手を握る。
「ボクたちが見に行ってくる。ここから動かないこと……いいね?」
ちらりとアンさんの手のひらを見るマウ。
「……」
アンさんは何も言わずにうなずいたのを確認すると、ワタシとマウはヒビの入った扉の前に向かった。
扉の先にあったのは、中庭のような場所。
公園にありそうな街灯が地面の雪を、
ぼろぼろな建物を、
そして、壁に描かれた絵を照らしていた。
逃げようとする女性の手首をつかむ、羊の頭の大男のシルエットをした絵を、
照らしていた。
その時、左側の扉が勢いよく開かれた。
「フジマルさん!」「!! イザホ! マウ――」
扉から出てきたフジマルさんはワタシたちの姿を見ると、こちらに駆け寄る……
「――!!」
……ことはできずに、誰かに引きずり込まれるように扉の中へと吸い込まれていった。
ワタシたちがなにも出来ないまま、暗闇へと消えていくフジマルさん。
ゆっくりと、“立ち入り禁止”と書かれた扉は閉まっていった。