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第20話 長い初日の終わりに





 ワタシとマウの部屋……1004号室の壁にかけていた時計は、夜の11時を差していた。




「……腹はもう、だいじょうぶなのか?」


 浴槽の脱衣所から出てくると、リビングのソファーに座っていたフジマルさんがたずねてきた。

 さきほどまでワタシは、左腕と左足、そしておなかに巻いていた、治療の紋章が埋め込まれた包帯を取っていた。もう傷も治ったからね。


「もうだいじょうぶ。中の胃袋も特に傷はなかったから」


 マウが答えると、フジマルさんは「そうか」と胸をなで下ろした。


「しかし、初日だというのにとんだ残業になってしまったな。この分の残業代は今度の給料日に出しておこう」


 部屋の時計に目を向けるフジマルさんの横に、マウと一緒に腰かける。

 ちょっと聞きたいことがあるからね。


「そういえば、フジマルさんは警察になんて言われたの?」

「君たちと同じ、ハナのことについてだ。一応、裏側の世界には足を踏み入れたからな」











 ハナさんにおなかを刺されたあの時、フジマルさんが現れた。

 ワタシたちがなかなか帰ってこないから、くじいた足を引きずりながら様子を見に来たらしい。


 フジマルさんはハナさんとともに裏側の世界から出ると、ウアさんの死体を発見したと警察に通報した。

 前とは違って、入り口となる羊の紋章が消えなかったからだ。


 駆けつけた警察の人は最初はフジマルさんの説明に苦笑いをするだけだったけど、裏側の世界に連れてくるとまじめな顔になってくれた。

 特にワタシとマウに対しては事件の様子についてたくさんのことを聞かれた。どうしてここにいたのかとか、襲ってきた死体はどのような様子だったとか……

 それを全部マウが引き受けてくれたけど……なんだか、初めて声が出ないことで申し訳ない気持ちになっちゃった。


 その後、ウアさんの死体は回収。

 ワタシとマウ、フジマルさんに対する取り調べは、明日行うことになった。


 ハナさんは今、放心状態のまま1002号室で大人しくさせている……らしい。











「そういえばさ……あの時、ハナさんがウアさんに続いて“大切な人”って叫んでいたんだよね。フジマルさん、知ってる?」


 ワタシが1番聞きたかったことをマウが代わりに話すと、フジマルさんは膝に肘をついた。


「ああ、それか……いきなり話すとイザホが戸惑うと思って、後で話そうと思っていたが……」




 フジマルさんによると、ハナさんの言っていた“あの人”は、ハナさんの夫だという。ウアさんからみたら、父親ということになるのかな。


 そしてハナさんの夫は……10年前に亡くなっていた。


 10年前のあの日、左腕だけを残して……




「それじゃあ、イザホの左腕が……」

「……ハナの夫であり、ウアの父親だった男のものだ」


 そうだったんだ……思わず左腕を見てしまう。

 ハナさんとウアさんは、10年前の事件と関わりのある人だった。それが現代の事件でウアさんは死に、ハナさんはもう話ができない状態になってしまうなんて。


 ふと、昼間のハナさんが胸の中で浮かんできた。

 あの時、ハナさんは帰る時にワタシの左腕を見ていたけど……きっとハナさんの夫に触れられているような感触がして、ワタシの正体に気がついたんだ。


「10年前、夫を失ったハナは、事件のことは気にしないように振る舞った。他の人に自分の弱いところを見せないことで、自分だけでもウアを育てることができる自信をつけるためにな」

「それで、ハナさんは昼間はあんなに冷たかったんだね……」


 ……人間って誰かを失ったら、いつもそんなふうに自分に言い聞かせているのかな?

 ワタシのお母さまは、違っていたけど……




「しかし、裏側の世界のことを写真に撮っておいたのはお手柄だぞ。この足で裏側の世界を歩くのは、ちょっと骨が折れるからな」


 フジマルさんは自身のスマホの紋章のモニターをワタシたちに見せた。

 裏側の世界で撮っていた写真をフジマルさんに送っておいたものだ。


「それについてだけどさ、この絵の人たち、フジマルさんは知ってる?」

「ああ、羊の大男を除いて、みんな顔なじみだ……この絵画の人物が、みんな狙われているとは考えたくないが……」


 確かに、殺されたウアさんの人物画も、あの部屋に飾られていた。

 部屋に飾られていた人物全員が狙われると考えるのは、ちょっと早いような気がするけど……


「フジマルさんはどう思うの? リズさんについて」

「ああ、部屋から離れた場所に放置されたっていうのが気になるな」


 フジマルさんは一度深呼吸する。


「ふたりが初めてウアの死体の姿を見たのは、喫茶店セイラムだった。その後、引きずり込まれた先の裏側の世界で見つけたホワイトボードには、慌てて書き直したような跡があった……そこから考えられることは……」


 ウアさんがあそこに訪れていたのは…… 「リズさんを狙う予定だったから?」


「ああ、その可能性がある! ウアの死体は最初はリズを狙っていたが、たまたま訪れていたイザホの姿を見て、心変わりをした。リズの絵が別の部屋に置かれていたのも、それなら納得できるだろう」


 マウは腕を組んで、まぶたを閉じた。


「問題は、なんであんなものを裏側の世界に残しているかだよね」

「ああ、犯人の行動はイマイチわからないな。ただ、ひとつだけわかっていることは……」


 フジマルさんとマウから目を向けられたワタシは、わかっているという意味を込めてうなずく。


 この事件と10年前の事件は、なんらかの関係がある。

 そして、ワタシが狙われた理由は……ワタシが10年前の事件の遺体で作られている存在だからだ。




 その時、ピンポーンと音がなった。




「こんな時間に誰?」

「このタイミングで来るとしたら……よし、私が見に行こう」


 フジマルさんが玄関に向かったあと、すぐに「ちょっと来てくれ」と呼ばれた。
















「……また来ちゃってごめんなさいね、イザホちゃんにマウくん」


 玄関にいたのは、スーツを着た女性……さっき、ワタシとマウに聞き込みに来ていた刑事だ。


「“スイホ”、聞きそびれたことがあったのか?」

「ええ、この子たちにですね」


 刑事は、外ハネボブカットに目つきはまっすぐとしており、体形はやや小柄。全体的に真面目そうな雰囲気の人だ。

 “鹿島 穗保カジマ スイホ”……確か、この人はそう自己紹介していた。


「イザホちゃんにマウくん……あなたたちは、これからもこの事件に首を突っ込むの?」


 スイホさんの質問に、ワタシとマウは思わず顔を合わせた。


「首を突っ込むって……ボクたちに手を引けって言っているの?」


 スイホさんは髪を人差し指で巻いて、しばらくして口を開いた。


「できればそうしてほしいの。だって、狙われているのはイザホちゃんなんでしょう?」


 たしかに、ワタシはこの事件の犯人に狙われているひとりだ。

 でも、安全を優先して手を引いたら、せっかく見つけようとした答えを前に引き返しそうな気がする。

 10年前の事件のことについて、なにかわかるはずなのに。


 それに、この事件はこれだけでは終わらないはず。

 裏側の世界で見た人物画の人たちは、この事件の犯人に狙われている。命を狙われるとは、困ってしまうということだ。

 困った人がいたら、手を差し伸べて上げて……お母さまにそう言われている。


「……イザホは、手を引くつもりはないみたい。だからボクも手を引かないよ」


 ワタシの表情を読み取ってくれたマウが胸を張って答えてくれた。

 スイホさんは困ったように眉をひそめて、すぐにフジマルさんに目線を向ける。


「それならフジマルさん、昔からの付き合いとして言わせてください。くれぐれも……ふたりに無理をさせないようにしてくださいね? もう依頼を終えたはずのあなたたちにはじっとしてほしいことが本音なんですけど」


 フジマルさんは「ああ! 十分に心得ているッ!」と胸を叩く。


「だがこの鳥羽差市の危機を見捨てることはできない!! ふたりのことはこの瓜亜藤丸ウリアフジマルが全力で守り抜くッッッッ!!」


 ……ここのマンション、防音設備が整って本当によかったかも。











 その後、明日は警察に来るように約束すると、スイホさんはマンションから立ち去った。今日話せなかった詳しい話を聞きたいみたい。


 それからすぐに、フジマルさんも探偵事務所に帰って行った。

 この1004号室はフジマルさん名義だから泊まっていくように提案したけれど、もう少し今日の情報をまとめたいからと断られちゃった。




「それにしても、引っ越し初日にしては長いような1日だったよね」


 お気に入りのデニムマスクを外し、寝間着に着替えてベッドに潜ると、隣でナイトキャップを被ったマウが話しかけてきた。

 たしかに、今日は昨日よりも疲れちゃったかな。


「ねえイザホ、君が考えていること、当ててあげようか?」


 へえ、マウにはワタシがどう思っているって考えているんだろう?




「君はスイホさんの顔、ずっと考えているよね」


 ……大正解。ご褒美にワタシはマウのおでこをなでた。




 スイホさんの顔を初めて見た時、ワタシの胸の中では裏側の世界で見た、あの人物画と照らし合わせていた。


 ウアさんやバフォメットとともに並べられた、6人の人物画……


 その内のひとり、外ハネボブカットのまっすぐな目をしたスーツの女性……


 スイホさんの顔とうり二つだった。


 これから狙われるかもしれない人たちのひとりにこんなにも早く会えるなんて、思いもしていなかった。




 これからも、こんな風に事件と関わる人と出会っていくのかな。


 そして……ハナさんの行動の意味も、いつかはわかるのかな?


 ワタシは悲しんでいる人は見たことはあるけど、自分が悲しいって思ったことはない。


 似たようなことならあるけど、あれは悲しいっていうよりも、苦しいほど悩んだって言った方が近い。


 人間って、悲しむとみんなハナさんみたいにあんなことをするのかな? それとも、ハナさんだけなのかな?


 困っている人は助けたいという一方で、そんな気持ちも抱いていないと言えばウソになってしまう。


 あの6人の絵画の人たち、そして10年前の事件を知っている人に会っていけば……


 いつかはわかるのかな。




「それじゃあイザホ、おやすみなさい」


 うん。おやすみなさい。




 側にあったスイッチを押して照明が消えると、すっと意識が遠のいてきた。


 ワタシの体に埋め込んだ紋章たちが、一斉に眠り始めた――





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