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第2話 忘れんぼう喫茶店店主


 カランカラーンと、心地よい鈴の音が響き渡った。


 喫茶店セイラムの店内はオレンジ色の明かりに照らされていて、中にいるだけでさっきまでの胸のモヤモヤが一気に晴れたような気分になる。


「……いらっしゃい」


 カウンターの奥で左手をじっと見つめていた男性が顔を上げ、声をかけてきた。


 その男性はソフトモヒカンの髪形だけど、メガネをかけていることよりもおでこが広いのが印象的。服は無地の白色Tシャツの上に黒色のジャケットを羽織っていて、カジュアルだけど清潔的みたい。

 ここの店長さんかな?


 マウがワタシの前に出てくれた。代わりに店長さんに聞いてくれるみたい。


「ねえ、ここって今やってる?」

「ああ、ここは午前10時に開店し、午後5時きっちりに閉店する。ゆっくりしていってくれ」


 店長さんは自信満々かつ必要以上の情報を答えると、カウンターからメニュー表を取り出して、ワタシたちに渡してきた。


 ……あれ? なにかがおかしい。

 マウも、ゆっくりと鼻を動かしながら不思議そうに店長さんを見ている。


「……顔になにかついてるか?」


 店長さんはまだ気づいていないみたい。


「ねえ、ちょっと言いたいことがあるけど、いい?」

「あ、ああ、どうした?」


 マウは遠慮がちに店長さんにたずねると、一度だけワタシの顔を見た。大丈夫。ワタシも同じこと、思っているから。


「……今、明らかに午後5時を過ぎてるよ?」


 店長さんは驚いたように目をごまにして、近くに置かれている柱時計に目を向けた。

 時計の針は長針は3、短針は8。閉店時間から3時間は過ぎている。


「い、いつのまに……」

「いつのまにって、さすがに窓の外を見れば気づくと思うんだけど……」


 マウは後ろの真っ暗な窓ガラスに指をさす。

 店長さんは面食らったように広いおでこに手を当てていたけど、すぐに気を取り直したようにうなずいた。


「まあ、私は忘れっぽいからな。一度は窓を見て疑問に思っていたが、時間を確かめるということを忘れてしまったようだ」

「いや、忘れっぽいですますかな……もしかして、閉店時間だからボクたちを追い出すなんてことはないよね?」


 追い出されるのは困る。

 外は真っ暗な上に山の中だから、ワタシたちが動けなくなる前に他の店が見つかるか自信がない。


 思わず両手を合わせようとした時、「問題無い」と店長さんは答えてくれた。


「閉店時間を過ぎていたとしても、店主である私が先ほどまで開店時間と判断していた。そこからいきなり閉店時間に切り替えるのは、私の頭では無理だ」


「小難しいこと言っているけど、ようするにボクたちが食べ終わるころが今日の閉店時間ってわけだね?」


 マウの解釈に、店長さんは「その通りだ」と答えてくれた。


 ワタシはカウンター席に座ると、隣の席によじ登って座ったマウのシルクバットを持ち上げて、額をなでた。

 店長さんに質問してくれてありがとう。その意味をこめて。




 メニュー表をマウと一緒に眺めて、マウが店長さんに注文してくれた。


 待っている間、マウは「今のうちに“フジマル”さんに連絡しておいたら?」と言ってくれた。

 よく考えてみると、確かにいい案。自動車がパンクしちゃったから、迎えに来てくれると助かる。


 “フジマル”さんはお母さまの親戚で、この鳥羽差市で探偵事務所を構えている。

 ワタシたちはそこの助手として働くことになっていて、お母さまからは、困ったことがあったらフジマルさんに連絡しなさいと、言われていた。




 左手の大きな手のひらを見ると、緑色に光る紋章があった。


 形は縦方向に長い長方形……スマートフォンの形をしているんだっけ。

 その紋章を右手の人差し指で触れると青色に変わり、そこからスマホの形をした半透明のモニターが浮かび上がった。

 モニターをスライドして、SNSのアプリを開く。

 そして、フジマルさん宛に車のパンクのことと喫茶店セイラムにいることをメッセージとして書き込み、送信した。

 返信はすぐにはこなかったけど、後で返ってくるよね。


「なあ、さっきからふたりは会話しているようだが……」


 手を休めた店長さんが、ワタシとマウを眺めて話に入ってきた。


「そっちのお嬢さんの方、しゃべっているのか?」


 ワタシとマウは互いに顔を合わせ、笑った。

 ワタシたちの会話は他の人とは違う。他人から見て不思議に思われても仕方ない。


「イザホはもともと声が出ないんだ。だから、イザホは表情やジェスチャー、場合によっては文章でコミュニケーションを取るんだよ」

「しかし、マスクをつけている相手の表情はわかりにくいんじゃないか?」


 店長さんの疑問に、マウは誇らしく鼻を動かした。


「目元の表情の違いだけでも、ボクはイザホが伝えたいことがわかるのさ。だって、ボクたちは相思相愛だもん」


 顔をこちらに向けるマウに、ワタシは笑顔でうなずく。




 相思相愛とは互いを愛すること。

 だから、ワタシとマウはとっても仲良しな友達ってことだよね。











 やがてワタシの前に出てきたのは、カレーライス……のはずだけど、なにか違う。

 ルーの色が少し濃い、それに具材の大きさも違う……なにより、チーズが乗ってない……


「そういえばイザホ、外食は初めてだったよね」


 横でマウがクロワッサンを口にしながらワタシの顔をのぞいた。

 ワタシがうなずくと、マウは鼻をピクピクと動かした。


「料理は作る人によって作り方が違うんだ。味も違ってくるから、それを楽しむことも食事の魅力だよ」


 そうなんだ……今まではお母さまが料理を作ってくれていたから、他の人が作った料理を食べたことはない。

 今、目の前に出されているカレーライスは、お母さまが作ったカレーライスではない。ここの店長さんが作ったカレーライスだ。

 どんな味がするんだろう……


 ……なんだか、刺激が強い。辛いって感じだ。

 お母さまのカレーライスでも辛いって感じたけど、それよりも辛い。でも、嫌な感じじゃない。ただ、不思議な感覚……

 具材の食感も、お母さまのものより固めだ。

 どうして似ているのに、こんなに違う食べ心地なんだろう……お母さまのカレーライスと、店長さんのカレーライス……どっちが本物のカレーライスなんだろう……




「……10年前の事件、知っているか?」




 !? 「あぐっ!?」


 店長さんがワタシの顔をじっと見つめて、真面目な顔で聞いてきた……

 マウがびっくりしちゃって喉にクロワッサンを引っかけちゃった。


「んっんっんく……急にどうしたの!?」

「あ……いや、なんでもない。ちょっと頭に思い浮かんだことを口走ってしまっただけだ」


 店長さんは頭をかきながらごまかした。

 でもさっき口に出した言葉は、聞いてしまったからには聞くべき言葉だった。


 マウと顔を合わせて、一緒にうなずく。

 大丈夫、聞きたいことは一緒だから。


「ねえ、10年前の事件……教えてよ」


「……」


 店長さんは大きくため息をつくと、右手の手のひらを頭に置いた。




「……わかった。思い出してみよう」




 ……よかった。忘れたって言うと思ってた。



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