典都は考え事をする時、こめかみのひび跡をなぞる癖があった。
おそらくは、完全なる無意識であろう。
久しぶりの、二人揃っての休日。
そんな時にリビングのソファに並んで座り、こめかみに節くれだった指を這わせる夫を、深良は見上げていた。
典都のもう片方の手には、推理小説がある。
脳内では、犯人探しを真剣に行っているのかもしれない。
「傷跡、気になるんですか?」
邪魔しちゃうだろうか、と気にしつつも、以前から訊きたかった問いを口にした。
本から顔を上げて、典都は深良を見つめた。相変わらず、深く黒いまっすぐな瞳だ。
「ん? ああ、いや、そういうわけでもないんだが」
ひび跡の上を往復していた指を見つめ、典都が微苦笑する。
「ただ、なんとなく――少し皮膚が突っ張る感覚があるから、つい触ってしまうんだ」
「……痛いんですか?」
彼が顔にもひびを負う羽目になったのは、深良のせいでもあった。
だからつい、しおれた声になってしまう。
沈んだ妻の頭を、彼が優しく撫でる。
「痛くはない」
ほんのりと温かい、大きな手の感触と静かな声音に、深良の弱気も励まされる。
「それじゃあ……触ってもいい?」
だから、これまたずっと思っていた願望も、つい口をついて出た。
もじもじ典都を見つめると、案外幼く彼は笑った。深良の大好きな笑顔だ。
「唐突だな。いいよ」
「ありがとうございます!」
ソファの上で膝立ちになり、彼の顔へと身を寄せる。
そして深良の細い人差し指が、つい、とこめかみをなぞった。
陶器のようなつるりとした皮膚なのに、ひびの部分だけが不自然に凸凹していた。
自分が友人のトラブルに巻き込まれ、危ない目に遭ったから、彼は激怒した。
そしてその結果、このひび跡が出来た。
しかし一方で、あの一件があったからこそ、深良は典都の真意を知ることが出来た。
深良のことを、ずっと深く想ってくれていたのだ、と。
そう考えると、痛ましいもののように思っていたひび跡も、とても愛しいものに思えた。
「……深良?」
無言の彼女が突然、首に抱き着いて来たので、典都が少し戸惑ったような声を上げる。
彼の問いかけには答えず。
深良は典都のこめかみに、そっと口づけを落とした。
途端、典都が石化したように固まった。
「なによ、そのリアクション」
切れ長の瞳をまん丸に見開いている夫を見上げて、深良はくすぐったそうにはにかんだ。頬もわずかに熱い。
ややあって、典都は我に返った。
そして頬が赤らむわけでもないのに、手で口元を覆って視線を逸らす。
自分よりも年上なのに、要所要所で見受けられる初心な反応に、つい深良は悪戯心を刺激された。
そっぽを向いたままの彼の脇腹を、つんつんと突く。
「どこ見てるんですか」
「いや、だって……初めてだろ」
「何が?」
「君から、キスしてくれたのが」
そうだっただろうか。
いや、言われてみればそうなのかもしれない。
朝起きた際や、夜寝る前、はたまた睦言の最中も、口づけをしてくれるのは彼からだった。
そのことを自覚した途端、悪戯心も照れに照れ、深良は耳まで真っ赤になった。ついとうつむく。
うなだれた彼女の方へと座りなおして、典都が真っ赤な顔を覗きこんだ。
「深良」
「だめ、見ないで。顔真っ赤だから」
「残念ながら、君のそういう顔も好きだ」
我が夫は度々、真顔でとんでもなく甘い言葉を吐くので、油断ならない。
うらめしげに、上目に彼をにらむと、やはり予想通りの真顔があった。
「深良。可能であれば、もう一回キスしてほしい」
次はここに、と言う代わりに。典都が自分の薄い唇を一つ撫でる。
調子に乗りすぎではないか。そして要求のハードルが高い。
「典都さんって、ドスケベ……?」
「俺に限らず、たいていの男はそうだ。気を付けるように」
「……今からどう、気を付けろって言うのよ」
「それもそうだな」
笑ったが、解放してくれる心づもりはないらしい。
諦めて、深良は一つ深呼吸。
そして再度夫の首に腕を絡め、嬉しそうに口角の持ち上がった唇に、自分のものを重ねた。