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後日談2:奥様とキス

 典都は考え事をする時、こめかみのひび跡をなぞる癖があった。

 おそらくは、完全なる無意識であろう。


 久しぶりの、二人揃っての休日。

 そんな時にリビングのソファに並んで座り、こめかみに節くれだった指を這わせる夫を、深良は見上げていた。

 典都のもう片方の手には、推理小説がある。

 脳内では、犯人探しを真剣に行っているのかもしれない。


「傷跡、気になるんですか?」

 邪魔しちゃうだろうか、と気にしつつも、以前から訊きたかった問いを口にした。

 本から顔を上げて、典都は深良を見つめた。相変わらず、深く黒いまっすぐな瞳だ。


「ん? ああ、いや、そういうわけでもないんだが」

 ひび跡の上を往復していた指を見つめ、典都が微苦笑する。

「ただ、なんとなく――少し皮膚が突っ張る感覚があるから、つい触ってしまうんだ」

「……痛いんですか?」


 彼が顔にもひびを負う羽目になったのは、深良のせいでもあった。

 だからつい、しおれた声になってしまう。

 沈んだ妻の頭を、彼が優しく撫でる。


「痛くはない」

 ほんのりと温かい、大きな手の感触と静かな声音に、深良の弱気も励まされる。

「それじゃあ……触ってもいい?」

 だから、これまたずっと思っていた願望も、つい口をついて出た。

 もじもじ典都を見つめると、案外幼く彼は笑った。深良の大好きな笑顔だ。

「唐突だな。いいよ」


「ありがとうございます!」

 ソファの上で膝立ちになり、彼の顔へと身を寄せる。

 そして深良の細い人差し指が、つい、とこめかみをなぞった。

 陶器のようなつるりとした皮膚なのに、ひびの部分だけが不自然に凸凹していた。


 自分が友人のトラブルに巻き込まれ、危ない目に遭ったから、彼は激怒した。

 そしてその結果、このひび跡が出来た。

 しかし一方で、あの一件があったからこそ、深良は典都の真意を知ることが出来た。


 深良のことを、ずっと深く想ってくれていたのだ、と。


 そう考えると、痛ましいもののように思っていたひび跡も、とても愛しいものに思えた。

「……深良?」

 無言の彼女が突然、首に抱き着いて来たので、典都が少し戸惑ったような声を上げる。

 彼の問いかけには答えず。

 深良は典都のこめかみに、そっと口づけを落とした。


 途端、典都が石化したように固まった。

「なによ、そのリアクション」

 切れ長の瞳をまん丸に見開いている夫を見上げて、深良はくすぐったそうにはにかんだ。頬もわずかに熱い。


 ややあって、典都は我に返った。

 そして頬が赤らむわけでもないのに、手で口元を覆って視線を逸らす。

 自分よりも年上なのに、要所要所で見受けられる初心な反応に、つい深良は悪戯心を刺激された。

 そっぽを向いたままの彼の脇腹を、つんつんと突く。

「どこ見てるんですか」

「いや、だって……初めてだろ」

「何が?」

「君から、キスしてくれたのが」


 そうだっただろうか。

 いや、言われてみればそうなのかもしれない。

 朝起きた際や、夜寝る前、はたまた睦言の最中も、口づけをしてくれるのは彼からだった。


 そのことを自覚した途端、悪戯心も照れに照れ、深良は耳まで真っ赤になった。ついとうつむく。

 うなだれた彼女の方へと座りなおして、典都が真っ赤な顔を覗きこんだ。


「深良」

「だめ、見ないで。顔真っ赤だから」

「残念ながら、君のそういう顔も好きだ」

 我が夫は度々、真顔でとんでもなく甘い言葉を吐くので、油断ならない。

 うらめしげに、上目に彼をにらむと、やはり予想通りの真顔があった。


「深良。可能であれば、もう一回キスしてほしい」

 次はここに、と言う代わりに。典都が自分の薄い唇を一つ撫でる。

 調子に乗りすぎではないか。そして要求のハードルが高い。

「典都さんって、ドスケベ……?」

「俺に限らず、たいていの男はそうだ。気を付けるように」

「……今からどう、気を付けろって言うのよ」

「それもそうだな」


 笑ったが、解放してくれる心づもりはないらしい。

 諦めて、深良は一つ深呼吸。

 そして再度夫の首に腕を絡め、嬉しそうに口角の持ち上がった唇に、自分のものを重ねた。

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