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後日談1:旦那様は呼び捨てにされたい

「班長って、深良ちゃんからなんて呼ばれてるんですか? ダーリン?」

 真昼はいつも、何気なくえげつないことを言って来る。

 ダーリンなどと言う人を、『うる星やつら』以外で見たことがない典都は、じろりと獣人の部下を見下ろした。

「そんなわけあるか。普通に、名前にさん付けだ」

「えーっ。色気ないってか、すごい他人行儀ですね。深良ちゃんって、意外に距離ある感じなんですか? シャイガール?」


 他人行儀。実際、恋愛感情抜きに始まった(少なくとも向こうは)結婚関係なので、そう言われれば納得せざるを得ないだろう。


 しかし可能なら、典都だって距離を詰めたかった。

 なにせ彼女に、一年以上も望み薄な恋愛感情を抱き続けていたのだ。引かれそうなので本人に言っていないものの、愛情の重たさには自信がある。


 以前深良に語った通り、二人の出会いはレンタルショップだった。

 「四十二番地」の新人アルバイトと、常連客。ただそれだけだった。

 しかし典都が、一目惚れしてしまった。


 断っておくが、典都は決してロリコンではない。妻からは疑われているものの、彼女が幼心の君に似ているだけで、惚れたわけではない。


 たしかに、幼少時代に『ネバー・エンディング・ストーリー』を観て、幼心の君が初恋の女性ではあったが。

 だが、本当にそれだけではないのだ。


 深良は一言でいえば、幼心の君よりも陰があった。

 営業スマイルにも、なんとなくほのかな闇があったのだ。

 そして、そこに惹かれた。典都自身、明るい性格ではないので同類に引き寄せられた、と言われればそれまでだが。


 つまりは初恋の女性の面影があり、なおかつ寂しそうな女性にコロリ、と行ったわけである。

 いい年をして単純すぎるだろう、と思わなくもない。


 きっかけはともあれ、そこから紆余曲折を経て、名実ともに夫婦となった。

 それだけで有頂天だったのだが、さらなる高みを求めてしまうのは、人の強欲さ故だろうか。


 だから典都は、深良ともっと距離を詰めたかった。

 ざっくばらんに言えば、呼び捨てで呼ばれたかったし、敬語も撤廃して欲しかった。

 が。


「そりゃ夫婦だけど、典都さんの方が年上ですし。年上の人を呼び捨てにするのは、気が引けますよ」

 食事の席であっさり、彼女から拒否された。

 少し泣きたくなった気持ちを奮い立て、しかし、と典都は抗弁する。


「俺は君と、対等なパートナーシップを築きたいと考えている。順列は付けたくないんだ」

 そう言って、じっと彼女を見る。

 あどけない顔立ちが、少し困ったように眉を垂れさせた。愛する妻にこんな表情をさせてしまっている、と考えると、また気持ちが滅入った。

「……でもあたし、尊敬できる旦那さんを『さん』付けで呼ぶの、ちょっと憧れてたんです。お互いを尊重できる関係も、素敵じゃないですか?」

 自分の両親はそんな関係じゃなかったから、と深良は笑った。ほんのりと、小さな顔を赤く染めて。


 致命打である。

 典都に限らず、結晶人は顔色が変わらない。だから他種族の、赤い頬を見ると非常に魅力的に見えてしまうのだ。


――そんな状態の深良を説得なんて、俺には不可能だ。


「典都さんっ?」

 顔を両手で覆って、大きく後方へのけ反った典都を、深良が大慌てで覗きこむ。

「どうしたの? お腹痛いの?」

 明るい茶色の瞳が、不安げに揺れていた。恨みがましく、そのきれいな瞳を見上げる。

「そういうわけじゃない。むしろ、君のせいだ」

「あたしの? どうしてです?」


 まったく身に覚えがないであろう深良は、こてん、と首をかしげる。

 そんな何気ない仕草も、今の典都にとっては毒だった。

 だから彼女の頬を、柔らかくつねる。


「うん? なに?」

「君は恐ろしく可愛すぎる」

「なっ、何言ってるんですか! ばかっ!」

 褒められ慣れていない深良は、途端に真っ赤になって唇を尖らせた。


 敬語は取っ払ってくれなかったが。

 誰に対しても距離を詰めない彼女が、典都にだけは子供っぽく怒ってくれる。

 それだって立派な愛情表現なのだ、と思うと満足感もあった。つい、彼は笑った。


「なんで笑うのよ!」

「いや、可愛いから」

「可愛くないです!」

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