懇親パーティーの夜以降も、深良の生活に大きな差異はなかった。
典都が自室のベッドを大きなものに買い替え、彼女もそこで寝起きするようになった以外は、おおむね今まで通りだった。
「あ、そうだ。藤田くんが、独り暮らしするんだって」
向かい合って夕食を摂りながら、深良はふと思い出したことを口にした。
器用にサンマの身をはがしながら、典都も視線で続きを促す。
「布里絵さんが、アパート探しに協力してくれたんだって。孫の彼氏だから、放っておけない!って」
「そうか。あの人らしいな」
「ね」
わずかに表情の緩んだ夫に、深良も微笑む。
仁八の恋人は、布里絵の孫娘だった。灯台下暗しと言うべきか、予想外な組み合わせである。
父親が自分の友人に酔いつぶされ、あまつさえ笑いものにされたことで、彼も何かが吹っ切れたらしい。
「学費も自分で稼ぐ。もう、あんたの価値観に縛られないから」
仁八はそう、正面切って父親に啖呵を切った後、家を出たという。幸いにして、布里絵も将来の婿の支援を買って出てくれている。
懇親会での醜態が島中に広がっているためか、それとも息子がそこまで反抗するとは思わなかったのか。今のところ、藤田は大人しい。
そう、隔離政策が停滞するほどに。
一番の賛成派だった彼が沈黙することによって、反対派が盛り返しているらしい。
確かな情報筋──というか、それによって現在割を食ってる夫の弁なので、疑いようもない事実だった。
漬物を咀嚼して、典都は肩を落としてうなだれた。深良もつられて困った笑顔になる。
「この後も、お泊りですか?」
「ああ。本土の議員様が帰るまで、俺も帰れん」
地獄の底から響くような、うつろな声だ。
形勢逆転によって、反対派の議員が徒党を組み、島の視察に来ていた。典都達護花隊はその護衛のため、付きっきりで業務にあたっている。
今も束の間、着替えを取りに戻りがてらの昼食兼夕食だった。
五日ぶりに見た夫の顔は、確かに疲れていた。心なしかやつれてもいる。
だから深良も、寂しいとか、甘えた言葉は飲み込む。彼だって、好きで家を空けているわけではないのだ。
代わりに、今さら思い浮かんだ疑問を口にした。
「そういえば、典都さん」
「うん?」
典都が首をかしげて、続きを促す。
「護花隊の『花』って、何なんですか?」
「今さらだな」
少し笑った彼は、静かに言葉を続けた。
「昔、花の交易で栄えていた名残だ。真倉瀬島は生態系が独自進化を遂げていたから、珍しい花も多かったらしい」
その花の種子が貿易の目玉商品だった時代、海賊から商品を守るために組織されたのが、護花隊なのだそうだ。
「なるほど。その名残だったんですねぇ」
だが、ここまで説明して、典都は再びうなだれた。先程の比ではなく、がっくりと。
「しかし今は、花どころか脂ぎった、クソみたいなオッサン共のケツを追い回しているわけだ」
駄目だ、かなり落ち込んでいる。いつになく、口調が雑になっている。
「どうせなら、美人を守りたいですよね」
しみじみ、深良も同意すると、なぜかキリリと生真面目な顔で首を振られた。
「美人ではなく、深良がいい」
「へっ?」
「俺の花は君だ」
「はぃっ?」
破裂しかねない勢いで、深良の顔が赤くなった。
彼は時々、真顔でこっぱずかしいことを言うので、非常に困る。
へどもどする彼女を、典都は変わらず真顔で見つめた。
「いかん。このまま家でイチャイチャしたくなった」
「そういうこと、曇りのない目で言わないでください!」
たまらず深良も吠える。
「職務放棄はだめです! 真昼さんたちにも、迷惑かかるじゃないですか」
「どうせいつも、俺が迷惑を被っているんだ。たまにはいいだろう」
そう言い切った夫は、年甲斐もなくすねていた。DVD事件を、まだ引きずっているのだろうか。恐らく、そうに違いないはずだ。
「あと三日の辛抱ですから。隊長さんも、終わったら連休取っていいって、言ってくれたんでしょう?」
どっちが年上なんだか、と深良がなだめれば、不承不承と頷きがあった。
もう一押し、と彼女が畳みかける。
「あたしも、三日後はお休みになったんですよ。先生が学会に出るから、授業が潰れちゃって」
典都の死人みたいな顔に、うっすら光が戻った。
本当は一コマだけ講義が残っているのだが、
「旦那が働きづめで死にそうなんだ!」
と友人に泣きつけば、
「労ってやれ!」
と影武者出席を快諾してくれた。
代わりに馴れ初めを根掘り葉掘り聞かれたが、そういう苦労は言わないのが粋である。
「だから一緒にお休み取ろう? あたしも楽しみにしてます」
「分かった」
即答だった。駄目押しが見事に決まった。
結晶人は合理的な種族、と言われているが、典都は案外情にもろいし、目先の欲にも弱い。だが、そこが彼の良さでもある、と断言できた。
分かりづらくも優しい人だからこそ、深良も彼を好きになれたのだ。
典都の帰宅日に赤丸がされたカレンダーを見やり、深良は考えた。
年末に彼の実家へお邪魔した帰りに、墓参りもしようかと。
典都となら、両親の墓前にもまっとうな気持ちで向かい合える気がした。