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20:マッチョのお宅訪問

 団らんの内に、夕食は終えた。典都は運転手で、深良は病み上がり──お互い酒は一滴も飲まなかったものの、いつも友人と行う飲み会よりも朗らかな気分だった。


 家族と一緒だからだろうか、と深良は温かい気持ちのまま、車中で考える。

 そう言えば両親と揃って外食したことなど、なかった。

 と、ここで思い至る。同時に血の気も引いた。


「ああ! 典都さんのご両親に、ご挨拶してない!」

「今さらだな」

 彼の言う通り、今さら青ざめている深良の姿に、典都は口角を持ち上げる。


「俺も深良と一緒で、島外出身者だ。年末年始に、顔を見せれば問題ない」

「……ほんと?」

「結婚した旨は、電話で伝えている」

 恐々と、深良は典都を窺った。脳裏に浮かぶのは、周囲に悪罵をまき散らす藤田父の姿。


「何か……言われなかった?」

「『結婚相手は、本当に実在するのか。二次元もしくはネカマではないか』と疑われた」

 予想外の回答だ。深良は表情を見失い、ただ目を瞬く。

 実家での彼は、どんな様子だったのだろうか。

 そんな疑問が一瞬沸いたが、まあこの通りなのだろう、と両親の疑問から導き出す。


 一人で、ストンと納得して頷いた彼女を一瞥して、典都は口をへの字にした。

「どうせモテないよ、俺は」

「あ、でも、藤田くんが格好良いって言ってましたよ」

「男にモテても嬉しくない」

 心底不本意そうな典都は、なんだか子供っぽい。


「可愛い」

「……何故そうなる」

 ハンドルを生真面目に握り、正面を見据えながらも声が殺伐としていた。


「分からん。女の『可愛い』は意味が分からん」

「服や装飾品なら、自分の好みだと『可愛い』です。人とか生き物なら、母性本能をくすぐられると『可愛い』になります。あ、あと──」

 ついと視線を落とし、指をもじもじとこねる。

「その、相手にキュンとした時とか、も……」


 典都は黙ったまま、前をにらんでいる。

 露骨すぎただろうか、と深良も黙して彼を伺った。

 信号に捕まったところで、ようやく彼が振り返る。

 妙に視線に、熱がこもっていた。どきりとした深良は助手席で、たまらず身じろぎする。


「ど、うしたの?」

「深良。そういうことは、運転中に言わないでほしい」

「え?」

「その場で押し倒したくなる」

「おぶぇっ」

 思わず変な声が出た。ついでに変な汗も噴き出す。


 深良を見つめる、色気すらはらんでいた表情が、途端にいつもの無表情へ戻る。

「……今の鳴き声は一体」

「でっ、典都さんが悪いんです! おおおっ、押し倒すとか、そんなっ!」

 無意味に握りこぶしを上下させ、声にも非難を込める。あたしは悪くないもん、と。


 年の割に幼い反応に、典都も片方の口角を持ち上げる。

「一年以上、片思いを続けていたんだ。その辺は察してくれ」

「そう言えば済まされると思ってるでしょ!」

「聡いな」

 信号が青に変わる。典都は低く笑い、車を発進させた。

 ふくれっ面を作って、深良も前をにらむ。


 だが。本音を言えば、にやけを抑えるのに必死だった。

 さっき彼は、「片想いを続けていた」と言った。

 それはつまり、現在深良と想いが繋がっているというわけであり。

 彼がそう結論付けてくれていることが、深良自身も嬉しかった。面映おもはゆいので、顔にも出してやらないが。

 家でなら、押し倒してくれてもいいのに、とも勿論言わない。


 そこはかとなく柔らかな空気のまま、マンションの駐車場まで到着する。

 車を停め、エレベーターへ乗り込んだ。座っている時よりも距離の生まれた彼の顔を、じっと見上げる。


「今日はありがとうございます。でも明日は、ちゃんとお家で安静にしていてくださいね」

「分かった。家で大掃除でも済ませておく」

「大人しくしててくださいっ。あたしのDVD貸してあげるから」

「深良のおすすめ映画なら、観てみたい」


 いわく、四十二番地常連客の間で、深良がおすすめPOPを書いた作品にはずれなし、という方式が出来上がっているらしい。

 自分の仕事が、思いがけず認められていると知り、顔がほころぶ。


「それじゃあ、かるーく観られるのを貸してあげますね。ホラーコメディとか」

「普通のコメディではいけないのか」

「だって典都さん、血の気が多いから。ホラー要素でクールダウンしてください」


 そして仕事中毒気味な旦那様に、いかに休養が大切なのかを説きながら、エレベーターを出れば。

 筋肉に囲まれた。


「班長、深良ちゃん、おかえりなさーい!」

 筋肉──典都の部下たちの先頭に立っていた真昼が、両手を上げて二人を出迎える。

 その手を典都が、容赦なく叩き落とした。顔がブロッケンJr.になっている。

「何故ここにいる」


 しかし人懐っこい真昼は、めげない。単に、こういう扱いに慣れているだけかもしれないが。

「班長のお見舞いと、お宅訪問でっす!」

「素直で結構だが、帰れ」

 野太い声が、えーやだーと唱和する。さすが荒事専門、声量もすさまじい。深良は思わずのけぞった。


 そしてキョロキョロと、周囲を見渡して焦る。

 空はとっぷりと暗く、他のご家庭でも家族だんらんを楽しんでいる時間帯だ。マンションの廊下という共用部で騒ぐのも、いかがなものかと思う。


 よく見れば団員たちは皆、手土産を持っている。ワインと思しき瓶だったり、深良も大好きなケーキ屋の紙袋だったりを、銘々ぶら下げていた。お見舞いというのも、あながち嘘でないのだろう。


 だから深良はつい、と典都の袖を引っ張る。

「せっかくお見舞いに来てくれたんですし、お招きしましょうよ」

「しかし」

「あたしは大歓迎ですよ。皆さん、いい人ですし」


 近所迷惑なのでさっさと収束させたい、というのが一番の理由だが。

 彼らが嫌いではない、というのももちろん本当だった。典都をおもんばかってくれる、良い部下なんだと感じている。


「深良ちゃん、ありがとう!」

「大好きだー!」

「結婚してー!」

 調子のいいことを、団員たちが騒いだ。じろり、と典都が永久凍土の視線で黙らせる。


「三十分で帰れよ。それ以上長居すれば、ベランダからお帰り願う」

「班長、ここ五階!」

「ばか騒ぎした奴は、全裸でベランダから放り出す」

「ひえっ……」

 ハイテンションが一変して、お通夜ムードになる。ある意味、部下の扱いを心得ているようだ。


──とか言いつつ、二・三時間は許しちゃうだろうな。

 ひっそりと推測して笑いながら、鍵を開ける。

 典都の脅しが効いているらしく、団員たちは大人しく整列して、中へ入っていく。


 だが、それも靴を脱ぐまでしか持たず。

「家探しだー! ひゃっはー!」

 廊下に上がるや否や、トゲ付き肩パッド姿でジープを乗り回しかねない勢いで、どっと流れ込む。こうなることも、深良は薄々予想していた。なにせ彼らのノリは、社会人よりもむしろ、深良たち大学生に近い。なんという既視感。


「そっちは深良の部屋だ! 入ったら殺すぞ!」

 ブロッケンJr.というより鬼の顔で、典都が吠えている。

 深良としては、下着が荒らされない限り、さほど見られて困るものもない。なにせエッチな本やビデオは持っていないし、若気の至りで書いた恥ずかしいイラストやポエムの類も、大学入学時に処分済みだ。


 むしろここの先住者である夫の方が、何かと弱みを設置しているのでは、と深良が思いめぐらせているそばから、真昼ともう一人の団員が、台所のあのクッキー缶を発見していた。さすがは自警団。恐るべき嗅覚である。


 我が事ではないため、深良は菩薩のような薄ら笑いで、来るべき悲劇に備える。

 深良の部屋へ侵入しようとした団員を捕まえていた典都が、真昼の手元を見とめて固まる。


 結晶人は石の肌なので、顔色は変わり辛い。だが、真っ青になっているのが感覚で分かった。

「アァァァァーッ!」

 なにせ聞いたことも無い、見事に裏返った声で絶叫したのだから。


 そんな露骨な反応をすれば、かえって相手の思うつぼだろうに、と思ったが、時すでに遅し。

 典都が絶叫するまでもなく、クッキー缶に隠されていた秘密の花園は暴かれていた。


「きゃー! 班長ったら、やらしー!」

「不潔ー!」

 わざとらしい裏声でくねくねと、典都をはやし立てる一同。

 これ以上は典都が発火しかねない、と深良が背中をさすって彼をなだめる。


「男性ですから、観たくなりますよね」

「……止めてくれ。共感されると余計に居たたまれない」

 うなだれた典都の声も、これまた初めて耳にする弱々しいものだった。男心は繊細らしい。


 にやにやと、乳丸出しのおねえちゃんパッケージを眺めていた団員の一人が、あれ、と声を上げる。

「この女優さん、ちょっとだけ深良ちゃんに似てるな」

 びくり、と典都の肩が跳ねた。深良も団員の言葉と、彼の反応の両方に驚く。


「あー、言われてみれば。雰囲気とか」

「団長って奴は……」

「アラサーのくせして、とんだ純情だぜ」

 生温かい視線が、典都へ向けられる。深良も覗きこむようにして、彼を見た。


 だが、うなだれたまま彼は、頑なに明後日を向いていた。

「図星、なんですね……」

「……」

 沈黙が、これほどまでに雄弁だった時があるだろうか。

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