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13:沽券にひび割れ事案

 点滴が終了したところで、典都の帰宅が許された。護花隊の本部へ戻る彼に、深良も同行することにした。誘拐事件の被害者でもあるので、一応は事情聴取が必要らしい。


 しかし典都の着替えを待っている間も、深良は診察室の壁にぴったり寄り添うようにして、俯き続けていた。出来るだけ、気配を殺して。

 先ほどのことが恥ずかしくて、顔を上げられずにいた。なんだか周囲の人間から、ニヤニヤと笑われている気がする。二人の会話について、一切触れて来ない優しさがまた、むずがゆい。


 一方の典都は涼しい顔を崩さないまま身支度を整え、医師からのお言葉をたまわっている。

 医師もさすがは結晶人。深良がちらりと見た限りでは、下卑た匂いなど感じさせない穏やかな顔だった。


「分かっているとは思うけれど、三、四日は安静に。激しい運動をすると、ひびが広がる可能性もあります。だからこれを使うのは、しばらく我慢するように」

 だが、その顔のまま手渡されたものには、典都の真っ直ぐな眉も歪んだ。


 未開封の避妊具一箱が、保湿用の軟膏と一緒に、紙袋へ入れられたのだ。

 ギョッとなって深良が顔を上げると、一瞬だがニヤリ、と医師が笑っていた。


「嬉しいからって、あんまり頑張り過ぎるなよー、男の『沽券こけん』にもひび入っちゃうかもよー」

 おまけに砂場からも、割とド直球な下ネタが贈られた。

 先ほど典都を止めず、口封じに加担すれば良かった、と深良は考えてしまった。


 しかし『安静に』と言われたそばから、典都がげんこつで砂場をゴツンとしてくれたので、少し溜飲は降りた。

 だから典都が、医師から押し付けられたもの全てをちゃっかり受け取っていたことは、見なかったことに決めた。


 二人で揃って診察室を出る。隊服である黒いコートは、深良が持った。ギュッと両腕で抱える。典都がそれに手を伸ばしたが、ひらりとかわした。

「荷物ぐらい持ちますよ。安静にするようにって、お医者さんも言ってたじゃないですか」

 コートの上からいつも留めている、ポーチや警棒がぶら下がったベルトもかざして見せた。


 典都の現在の手荷物と言えば、医師から渡された薬+αのみ。そしてシャツにズボンという、身軽な服装の彼は小さく笑った。

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 無意識だろう。首筋を流れるひび跡を撫でた。


「あ、肌は隠せた方がいい、ですか?」

 余計なお世話だっただろうか、と深良は少し落ち込む。八の字眉になった彼女の頭を、典都は一つ撫でた。

「君が嫌でないなら、別に構わない」

「ん」

 自分を判断基準にされて、深良はほんのり赤らんだ頬で頷いた。


「実のところ、このコートはまだ暑い。毎年、熱中症で倒れそうになる」

 ずっしりと重いコートを抱きかかえていると、その暑苦しさの片鱗を感じ取れた。

「あー……隊員さん、夏場でもこの恰好ですもんね……」


 傍から見ている分には、隊員の真っ黒なコート姿は格好良いし、絵になる。

 だがそれを、夏場に着たいかと問われたら、全力で「NO!」だろう。

 労わる気持ちを込めて、典都を見上げる。


「お家でぐらい、薄着で過ごして下さいね」

「そうする」

 神妙な顔で、典都は首肯した。

 そして病院入り口に停車していたタクシーへ、二人で乗り込む。砂場は治療中のカンテラの聴取を行うため、まだ病院に残っていた。


 また典都があの廃屋へ向かった際、現場に乗り捨てて来たバイクは、他の隊員が回収済みとのことだった。

 二人で並んで後部座席に乗ると、少し手狭に感じた。

 縦方向にすくすく育っている上、年中体を鍛えている典都は脇を締めて精一杯、ドア側へと身を寄せている。


「窮屈な思いをさせて、すまん」

 むしろ一番窮屈そうにしているのは、彼であり──中でも長い足が、一番居心地悪そうに折りたたまれている。背も丸まっていた。

 背が高いと、それはそれで不便なんだな、と深良は苦笑いを浮かべた。そう言えば彼の乗用車も、車高が高い。


「いえいえ。典都さんこそ、もうちょっと伸びて下さい」

「しかし」

「怪我人──でもないけど、体調悪いんですから。ほら」

 自分も出来る限り反対側に傾き、わずかに出来た隙間を軽く手で叩く。


 じっと目でも訴えれば、渋い顔でしばらくそれに耐えたものの、典都もようやく背中をシートへ預けた。

「すまん」

「いえいえ」

 少し体温の低い体が、深良に触れている。それに居心地の悪さは覚えない。彼女は笑顔で答えた。


 後部座席で肩を寄せ合う姿が、バックミラーにも映っているのだろう。運転手の男性も、申し訳なさそうに声をかけた。

「すみませんね、お客さん。狭いですよね?」

「いえ、慣れていますので」


 静かに返した典都と鏡越しに視線を重ね、あれ、と運転手は声を出した。

「お客さん、護花隊の人ですよね?」

 典都が真顔のまま一つ頷けば、


「あらー! コート着てないから、分かりませんでした! 私、ほら! この前、強盗事件でお世話になった!」

「強盗……」

 朗らかに発せられた物騒な単語に、深良は顔をこわばらせる。運転手は次いで、深良へ笑いかけた。


「はい。運賃を踏み倒された挙句、売上金を盗まれそうになりまして。あ、安心してください。犯人は隊員さんに、捕まえていただきましたから」

 車中でナイフを突きつけられながらも、泣いて抵抗していた運転手を見かけ、典都が現行犯で逮捕したとのことだった。


「いやー、もう、颯爽として格好良かったのなんの!」

 淀みのないハンドルさばきと語り口調で、運転手は続ける。

「お客さんとして乗せられて、嬉しいですね。運賃サービスしたいぐらいです!」

「そこは請求して下さい。経費で落としますので」

「はは、隊員さんはきっちりされてる! 彼女さんも、頼り甲斐のある恋人で、良かったですね」


 突然話を振られ、深良は思わず視線を左右に揺らした。

「あ、いえ、えっと、あの……あたし、妻でして……」

 自分で訂正しながら、頬が熱くなる。


 少々わざとらしいぐらいに、運転手は目を剥いた。

「ええっ! 奥さんっ? あらー……いやね、お若く見えるので、まだ高校生ぐらいかなーって」

「相手が高校生では、俺が逮捕されます」

 生真面目過ぎる典都の受け答えに、運転手は噴き出した。


「ははっ、それもそうですね! いやぁ、若くて可愛い奥さん……羨ましいです。ウチのと交換しませんか?」

 後半の声音が、冗談以上に哀愁を漂わせているのは何故なのか。

「これでも愛妻家なので、勘弁してください」

 失礼しました、と運転手はまた笑った。


 なんだか余計なことを言ってしまっただろうか、と深良は二人のやり取りを無言で見守っていたが。

 車が角を曲がるたびに、密着する典都の腕の温度が、先ほどよりも温かい。

 嬉しいのかな、とほのかに考え、安堵する。


 細く息を吐いた後、深良は自分が巻き込まれた事件へと思考を伸ばした。ついでに首も伸ばし、典都へと顔を寄せた。

「あの時、来てくれるの早かったですね。助かりました。ありがとうございます」

 声量を下げ、ささやき声で。無関係の運転手の前で、こういった話をするのは良くないかも、という配慮だった。


「運が良かっただけだ」

 照れる、あるいは得意げになるかと思いきや。むしろ仏頂面で、典都は首を振った。

 前を見据えたまま、彼も小さな声で続ける。

「偶然、近くを警らしていたことと、君がおおよその住所を聞き出してくれたのが幸いした」


 複数人を拉致監禁できるような場所=両隣も無人の住居であると判断でき、見つけるのは案外簡単だったらしい。

 場数を踏んでいるだけあり、その辺の思考はさすがである。

「相手がうっかり屋さんで、ほんとに良かったです」


 誘導尋問しながら、深良自身も「なんて単純なんだ!」と驚いたのは事実だ。

「そういう浅はかな考えだから、犯罪に走るんだろう」

 もっともな意見に、深良はつい噴き出した。

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