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12:夫婦の告白

 典都があらかじめ手配をしていたらしく、その後まもなく他の護花隊隊員も駆けつけた。


 仁八とトンファーとティンパニーは、そのまま護花隊本部まで護送あるいは連行される。

 右腕がポッキリ折れたカンテラと、消耗の激しい典都と、ついでに深良は病院まで運ばれた。


 とはいえ首を薄っすら刺されただけの深良は、消毒だけで治療を終えた。

「他に何もされていない? 恥ずかしい、とか思わなくても大丈夫ですよ?」

 気遣う草人の看護師に、笑顔で首を振る。

「あとは太腿撫でられたぐらいなので、大丈夫です」


 あらあら、と看護師は気遣わしげな顔になったが、

「それなら後で、旦那さんに上書きしてもらえれば良いですね!」

妙案を思いついたと、いたずらっぽくウィンクした。

 さり気なく下ネタを言われた気はしたが、深良も曖昧に笑って流す。


 看護師に礼を言い、深良はそそくさと診察室を出た。むしろ自分の治療は、病院に同行する言い訳みたいなものだった。

 砂場から聞かされていた診察室まで、タイル張りの床を踏みながら進む。廃屋でうずくまったり、這いまわったりしたおかげで、全身が埃っぽい。なんだか、清潔な病院にいるのが居たたまれなかった。漂う薬品や消毒液の匂いも、罪悪感に拍車をかけた。


 だけど仕方がない、とスライド式の扉を叩き、中を覗いた。

 結晶人の男性医師と、砂場が向かい合わせで座っていた。

「おお、深良ちゃん」

 灰色の毛を揺らして、砂場が破顔する。「奥さんと呼ばれるほどの者でもない」と相談したおかげで、隊員たちからは名前で呼ばれるようになっていた。


「砂場さん、典都さんは……」

 扉に体を半分隠し、深良がもじもじと彼を見つめる。割って入るように、医師が言葉を返した。

「今は奥のベッドで、全身を冷却中です。もう少し休めば、歩けるぐらいには回復するでしょう。ただ、しばらくは無理をしないように」

「はい、分かりました」


 努めて真剣な顔を作り、コクリと頷く深良に反して、医師はなお暗い表情になった。

「……それから、一度入ってしまった皮膚のひび割れは、そうそう取れないと思ってください」

「えっ」

「熱暴走による亀裂は、体の内側から発生するので。根深い分、普通の怪我よりもひびが消え辛いんですよ」

「そんなぁ……」


 顔にもひびが走ったことを思い出し、深良はたまらず、すん、と鼻を鳴らした。

 泣き出しそうな彼女に、医師がぎこちなく笑う。不器用だが、患者を思いやる暖かさはあった。


「私たち結晶人は、ひび割れを恥じ入る習慣があります。冷静沈着を崩さないことが、種族性ですからね。だから奥さん、旦那さんを励まして差し上げてください」

「……」


 自分にそんな、大役が務まるのだろうか。深良は不安だった。

 しかし砂場からも、信頼のにじみ出る笑顔が向けられる。

 深良はうつむきながら、頷くしかなかった。

 そこで砂場が引き戸を開き、深良を招き入れた。


「あいつは、顔に似合わず情に厚い男でね」

 扉を閉めながら、砂場が笑う。

「今でこそ大人しくなったが、新人の頃はよく、被害者のために怒ってたんだ。だからあれは、あいつの勲章でもあるんだ。丸ごと受け止めてやってほしい」


 あれ、とは全身のひびのことだろう。

 柔和に笑う狼へ、深良は出来るだけ頼もしく見えるよう、一つ深呼吸して背筋を伸ばし、大きく頷いた。


 そして、水色のパーテーションで仕切られた奥へと進む。

 全身にチューブがつながれ、包帯グルグル巻きの無残な姿を想像していたが、現実はそこまで仰々しくもなかった。


 病衣服を着た典都の大きな体には、包帯の代わりに冷却材が敷き詰められている。また、点滴が一つだけ、枕元の上から吊り下げられていた。

 なんだか、おんぼろパソコンを無理やり冷ましているような光景だな、と深良はぼんやり考えた。


 うたた寝していたのか、薄く目を閉じていた典都が、ハッとしたように深良を見上げた。

「すまん、不格好だな」

 本人にも自覚はあったらしい。夏場のゲーム機みたいですね、とは言わずに首を振る。


「包帯とか、巻かなくても大丈夫なんですか?」

「巻いたところで、塞がるものでもないからな。とにかく冷まして、あとは保湿を心がけるしかない」

「そう、ですか」


 ベッド脇にあった、背もたれもない丸椅子に腰かける。そして深良はうなだれた。

「ごめんなさい」

 言いたいことは、伝えたいことは、沢山あったはずなのに。口をついて出たのは、謝罪だけだった。


「君は一切悪くない」

 典都は泰然たいぜんとした態度を崩さない。自分の体をおもんばからない姿が、余計に深良の心をチクチク突いた。

「だって、典都さんを、辛い目に遭わせて……」


 顔を上げ、少し恨みがましく彼を見つめる。

「家で、肌を見せなかったのも、体のひび割れが……嫌だからですよね?」

 かすかに、典都の顔がしかめられる。図星らしい。


 深良の目の縁に、みるみる涙がこみ上げる。

「あたしのせいで、ひび増えちゃって……顔にも、大きなのできちゃって、本当に……」

 ごめんなさい、が嗚咽に上書きされる。


 眼前で泣きだした深良を、典都はじっと見上げる。

 ややあって、落ちる冷却材にはかまけず腕を上げた。

 深良の頭に、ためらいつつも手を添える。ぎこちなくだが、ゆっくりと撫でた。


「俺が肌を見せなかったのは、君に少しでも良く思われたかったからだ」

「え」

 びっくりして、深良の顔が跳ね上がった。まじまじと典都を見返すと、どこかねたような顔だった。


「一年以上、片想いを続けているんだ。取り繕ってでも、君に振り向いて欲しかった」

「えっ、あっ、そっ……?」

 石の肌の結晶人とは違い、深良の頬はたちまち真っ赤に染まる。


「そんなっ、だって、家政婦さんが欲しいから、結婚って……」

「家政婦を雇った方が経済的だ。好きでもない相手のために、わざわざ結婚すると思うか?」

 それもそうだ。その点に、今の今まで疑問を持たなかった己を、深良は殴りたくなった。


「君が切羽詰まっていたのは、もちろん知っている。それに便乗して言いくるめたのも、今回暴走したのも、俺の浅はかさだ」

 再びうなだれた深良を慰めるように、典都は殊更淡白に続けた。


 すっかり涙は引っ込んだものの、炎で炙ったように頬が熱い。深良は結局、上を向けなかった。

「……いつから、その、あのぅ……す、好きだったんですか……?」

 か細い声で、それだけどうにか訊く。


「初めて『四十二番地』で見かけた時から」

 明日の天気でもお知らせするような、あっさりとした口調だった。


「ひ、とめ、ぼれ?」

「そうだな」

「あぅ……あたし、全然気づかなかった」

「気付いてもらおうとも思っていなかった。こんな体だから、引け目もあった」


 声に自虐めいたものが混ざる。大慌てで、深良は首を振った。両手もギュッと握りしめる。

「引け目なんて! あたし、霊人だから、結晶人の価値観を、全て理解なんてできないけど……でも、さっき、典都さんが来てくれた時、嬉しかったんです! 自分のこと、大事に想ってくれる人がいるかもって、そう思って!」


 深良にとって、それは初めての体験だった。

 物心ついた頃から、彼女は誰かにとっての「一番大切なもの」ではなかった。

 両親にとっては、愛人が一番。幼稚園へ上がる頃には、家で一人ぼっちになることも度々あった。


 そんな二人の子を、両祖父母も親戚も、手放しに可愛がれるわけがない。むしろ、どこか穢れたもののように見られ、遠ざけられていた。

 気が付けば、友人関係でも深良はいつも、半歩下がった位置から伺うようになっていた。


 だから、自分のことなど捨て置いて、全力で深良のために怒ってくれた典都の姿に、束の間夢想してしまった。

 ひょっとしたら、彼は自分を守ってくれる、特別な存在なのかもしれない、と。

 諦めきれずに残っていた、愛されたいという欲求が沸き起こったのだ。


 気持ちが昂り、また涙が浮かんでくる。深良はしゃくりを上げた。

 叫んだと思ったら泣き出した、情緒不安定な妻の頭を、典都は静かに撫でる。

 ただその手は、先ほどまでより熱かった。


「……典都さん、体温が上がってる」

 コットン生地の、ブラウスの裾で涙をぬぐいながら、深良は彼の体から転がり落ちていた冷却材を拾う。


 しかしその手を、典都に絡め取られた。

 そして頭を撫でていた手が頬へと下がり、彼の方へと引き寄せられる。

 吐息も触れ合いそうな距離に、深良は一層どぎまぎする。


「でっ……典都、さんっ?」

「結晶人の体温は、興奮や歓喜でも上がる」

「え、あ、でも……どうし、て」

「俺が来て嬉しかった、と」

「そ、れは」


 深く考えずにまくし立てた言葉を復唱され、深良はたじろぐ。

 後ろへのけぞろうとする彼女をやんわり押しとどめ、典都は顔をなお寄せる。夜闇のような真っ黒の瞳が、今は優しく見えた。


「深良、愛している」

「ぅぁっ」

 決定的な言葉に、深良は声とも音とも取れないものを絞り出した。


 慌てふためく最愛の人の姿にも、結晶人はぶれることなく淡々と続ける。

「君に愛されている可能性がある、と望みを抱いてもいいか?」

「それはっ……わ、分からなく、て……ただ、優しくされて、喜んでるだけ、かもしれないの……あたし、あの、誰かを好きになったこと、ない、から」


 止まりかけのオルゴールのように、深良の声はたどたどしい。

 一年以上も想い続けてくれている人物へ、芽が出たばかりの自分の気持ちを、恋愛感情だと誇れる自信は、まだなかった。


「それでも良い」

 典都が静かに返す。

「あ、その、でも、家では隠さないで欲しいの……」

 つ、と桃色に色づいた華奢な指が、典都の頬を──そこに走る真新しい亀裂をなぞる。


「そんなことで、典都さんを嫌いにならないよ」

「分かった」

 典都は一時、頬を撫でる感触に目を細める。


 そして目を開くと、ためらいがちに自分へ触れる深良を見上げ、笑った。精悍な笑みだった。

「俺からも、一つお願いをしてもいいか?」

「なぁ、に?」

「指輪を付けて欲しい。君は俺の伴侶なんだと、皆に見せびらかしたい」

 破裂するような勢いで、深良の顔がますます赤くなった。


「……あまり、高いものでなければ……」

 しかし深良はどうにか、ひどく小さな消え入りそうな声で、そう返すことができた。

 返すや否や、崩れ落ちるように、典都の横たわるベッドへ突っ伏した。


「おい、どうした?」

 たちまち甘さをかき消し、典都がいつもの涼やかな声に戻る。

 彼の問いかけには答えず、深良は真っ白な布団に顔をめり込ませたまま、片腕だけ上げる。


 そして、自分が入って来た方向を指し示した。


「しまった」

 彼女が言わんとしていることを察し、典都も苦々しい声音になる。

 診察室とここは、パーテーションでしか区切られていない。


 つまり、医師と砂場と、ひょっとしたら看護師にも、二人の睦言は筒抜けであった。

 それを証明するかのように。

 パーテーションの上部から、三角形の耳が見える。砂場のものだ。


 チッと、典都が舌打ちした。

「口封じをするしかないか」

「やめて」

 夫の本気の口調に、深良は赤面を跳ね上げた。

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