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11:旦那様は悪鬼で悪魔

 騒音の主は、見なくたって分かった。散乱したガラスを踏みしめているらしい、重い足音に、三人組は身を寄せ合った。

 先ほどまでの深良のように、ガクガクと青ざめて震えている。実際のところは、体毛のせいで顔色は分からないのだが。


 真っ黒なロングコートをひるがえして現れた典都の姿は、たしかに悪魔と評されても仕方がない威圧感だ。

 ちらり、と彼は深良と仁八に視線を落とす。


「大丈夫か?」

 低く静かな彼の声に、深良はほっとした。思わずこぼれ落ちた涙には気にも留めず、こくこくと何度も首肯する。


 典都も小さく笑って一つ頷き、三人組に目を移した。やはり、背が高い。

「俺の妻に、何の用だ」

 声色と表情が一変し、凍えつくようなものになる。話しかけるだけで、相手をくびり殺せそうな圧力だった。黒曜石の双眸にも、殺意の火が灯っている。


「知らなかったんだよぉ! 藤田のドラむすっ……いえ、お子さんの彼女だと思ったんだよぉ!」

 先ほどまで威張り散らしていたトンファーが、涙目になっていた。痛快を通り越し、少し哀れですらある。


 そうか、と典都は何でもないように頷く。大の筋肉男が眼前で、おもらし寸前まで怯えているのに、この鷹揚とした態度は何なのか。

「やはり、結婚指輪ぐらいは買っておくべきだったな」

 言いながら、典都はかすかに笑う。つられて三人組も、乾燥しきった愛想笑いを浮かべる。


「えへへっ、そうですね、ペアリングなんて良いですよね……」

 さして意味のない言葉でつなぎつつ、カンテラは素早く身を屈めた。

 床に落ちていた、むき出しのナイフをかすめ取る。そのまま伸び上がる動きで、息を素早く吐き出しながら、ベッド下に転がる深良めがけて突進した。


 あ、と彼女が悲鳴を吐くよりも早く、深良を羽交い絞めにして、ナイフを首筋へ突きつける。柔らかな深良の白い肌へ、錆の浮く刃先がわずかに沈んだ。幸い、痛みを感じる余裕はない。


「調子こいてんじゃねぇぞ! クズ石野郎ォッ!」

 口角に泡を浮かせて、カンテラがかさついた声でがなる。ガクガク震える腕が必要以上に深良の体を拘束し、息苦しさを与えた。

「動くんじゃねぇぞ! 動いたら、テメェの女房の首をかっ切──」


 脅し文句は、最後まで言えなかった。瞬きする間もなく、典都は大きく前へ踏み込み、そのまま左足を横へ凪いだ。寸分たがわず、分厚い靴先がカンテラの手首へ打ち付けられる。

 彼の腕もろとも、ナイフが外側へ弾き飛ばされた。


 その勢いで横倒しになりながら、彼は絶叫、というよりも断末魔の叫びを上げた。

 彼に後ろから抱き着かれていた深良は、太くて丈夫な何かの折れる音を、間近で聞いてしまっていた。恐らくカンテラの腕の骨、だろう。ひょっとしたら肩かもしれないが。


 それと同時に鼻先を、髪の毛を焼いたような、ねちっこい悪臭がかすめた。

 なんだろう、と視線だけを四方に巡らせる。

 そこで気付いた。典都に蹴られたカンテラの手首から、煙が出ていた。力なく垂れさがる腕に生えた、黄色い体毛が黒く焦げている。


 匂いの原因は分かったが、何故焦げているのかが、皆目見当もつかない。首筋から流れ始めた血を、無意識にぬぐいながら、深良は困惑に眉を寄せる。

 何かを乞うように典都を見上げ、大きな瞳を更に大きくした。


 無表情に戻った、彼の周りが揺らいでいた。蜃気楼のように、周囲の景色が歪む。同時に、むせ返るような熱波も発せられた。

 思わず顔をそむけながら、それでも深良はちらりと見た。

 典都の腕から、胴から、そして頬の輪郭から、赤く透き通った帯が浮かび上がった。ひらひらと揺らめくそれが、炎であると気付くのに、しばしの時間を要した。


 彼の内面に燻る、殺意や怒りが噴き出して燃え上がっているのだろうか、と深良は詮無いことを考えた。

「俺が護花隊隊員で良かったな」

 腕を押さえて泣きわめくカンテラと、抱き合って縮こまる残り二人を見比べながら、典都が口を開いた。


 炎を纏っていても、典都の声は冷ややかだ。永久凍土のようだ。

「さもなければ妻に手を出したお前らを、この場で殺しているところだ」

「手なんてっ! ちょっとだけっ……ちょっとだけ、脅すつもりだったんですぅ!」

 砂ぼこりで汚れた床に土下座しながら、ティンパニーが裏返った声で弁明する。


 だが返されたのは、更に殺意の強まった視線。

「犯す時に大変だから、足を縛らなかったそうだな?」

「ひっ、あっ……き、聞こえて、たんですね……」

 真っ青な顔でいっそ、引きつり笑いを浮かべるティンパニー。その頭を、余計なこと言うな、とトンファーが力なくはたく。


「薬漬けにするなり外地に売るなり、とも言っていたな」 

 彼にも真っ黒な眼差しと熱波が向けられ、びくり!と体が固まった。


 典都は炎ではためく黒髪越しに、自分のこめかみを指で示す。

「記憶力は良い方でな、携帯越しに聞いた会話は、一言一句覚えている。ついでに録音済みだ、安心しろ」

 何を安心できるというのか。完全なる死刑宣告である。


「あ、れは、つい、言っただけなんです………ちょっと、脅かそう、と思って……っ」

「いいか、お前ら」

 とぎれとぎれの釈明を、鋭い言葉が打ち切る。トンファーとティンパニーが息を飲む。


 カンテラも涙と鼻水と涎で汚れた顔を、恐々と典都へ向けた。

 彼らをねめつける典都の眼差しは、まるでゴミでも眺めているかのようだ。


「今後一切、俺の妻に触れるな。姿を見せるな。声もかけるな。一度でも近寄れば、死なせてほしい、と神に祈る日々を送ることになると思え」

 そこで一旦口を閉じ、典都は笑った。にやり、という表現がぴったり合う笑みだった。

「その時、祈るための手が残っているかどうかは、俺も知らんがな」


 三人は口をパクパクと動かし、「はい、誓います!」と答えた。残念ながら、かすれた呼吸音しか出ていなかったが。

 すっかり戦意を失った彼らへ、呆れたように息を一つ吐いて。


 典都のまとっていた炎が、ゆっくりと薄れていき、そして消えた。同時に、深良の体にもわずかだが力が戻る。

「でっ、んとさん!」

 三人組のことを笑えない、弱々しいことこの上ない声を出し、人体発火現象に見舞われた夫へ手を伸ばすが。


「来るな!」

 鋭い彼の声で、それを制された。深良の目に、再び涙の膜が張る。

 怯える妻の表情に、典都の表情から険しさが消えた。

「いや、違うんだ。温度が上がっているから、触ると、危険だ」

 言いながら、ずるずると、典都が壁に背を預ける。腰も落ちた。


「やだっ、大丈夫……?」

 その場から、少しだけ腰を浮かせて、深良は身を乗り出す。

「過度の発熱で、少しバテたようだ」

 疲れた声音で言うも、すぐさま悪鬼の視線を、抱き合う三人組へ投げつける。


「だからと言って、逃げられると思うなよ」

 真っ赤に熱せられたままの警棒を握った彼にこう凄まれては、三人組は呼吸すらとぎれとぎれになっていた。


 半開きになった口から、カチカチと歯を打ち鳴らしている彼らの姿に、深良も危険性はないと感じた。同じく震える足をひきずり、膝立ちで、少しずつ典都へと近づいた。

「触らないから、でも、傍にいさせてください」

 じっと見上げれば、典都はためらう様に瞳を左右に動かした後、小さく頷いた。


 ほっとして、深良は膝と掌が汚れるのも構わず近づく。

「あの……燃えてたのは……」

「体質だな、結晶人の」

 かすかに典都が笑った。自嘲めいたものだったが、三人組に向けたものよりもずっと柔らかだ。


 その表情に、深良は少し安堵した。両腕に力を込めて体を起こし、小首をかしげた。

「たい、しつ?」

「結晶人の体温は、感情と連動している。冷静さを失う程に激怒すれば、体温も高まり熱暴走が起き、最悪発火する」


 そのまま典都は、億劫そうに腕を持ち上げ、コートに縫い付けられた銀ボタンをはずす──どうやら制服は、耐熱・防火性を備えたこしらえのようだ。

 コートのボタンを二つ外すと、首元がむき出しになった。

 顔と同じく、石の肌は均質で人形めいた色をしていたが、そこには無数の亀裂があった。


「ただ、発火は肉体にも負担が大きく、特に肌は──」

 肩を落とし、典都は諦念を帯びた口調で続けた。

「熱変化によって、ひび割れが起きてしまうこともある」


 驚きで固まる深良へ、典都は再び苦く笑う。

 彼の左のこめかみから頬にかけ、また一つ、稲妻形の歪な亀裂が生まれた。

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