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10:奥様は囚われの身

 小太りの獣人と、その舎弟らしき草人たちによって、深良と仁八は黒塗りのバンに押し込められた。いかにも、悪しき稼業を営む人間が好みそうな車だ。窓ガラスはもちろん、マジックミラー仕様である。


 ご丁寧にアイマスクと手錠で自由を奪われた後、二人は車で運ばれる。その間、隣に座った草人の男に太腿を撫でられていたのが不愉快だった。深良は奥歯を噛み、決して声を上げてやるものか、と耐え続ける。


 それでも、仁八の恋人と間違えられた挙句にこの所業を受けている、と思うと怒りがふつふつとこみ上げて来た。

 怒りと嫌悪感でまもなく叫びそう、となったところで、ようやく車が止まった。乱暴な動きだ。典都の運転とは大違いだ、と深良は考える。


 バンの後部座席が開けられ、誰か──恐らく、太腿を撫でていた草人だろう──に腕を掴まれ、無理やり歩かされる。

 嫌悪感が引いていき、代わりに恐怖がこみ上げて来た。膝が笑う。


「大丈夫だって、命までは取りゃしねぇよ」

 草人が耳元でささやいた。命が残っても、貞操や手足が減ってはたまったもんじゃない。


「……殺す気がないなら、最初から拉致しないでください」

「いやぁ、そうもいかねぇんだ。だって藤田の坊ちゃんの恋人だろ?」

「違いますけど」

「そんな白々しいこと、よく言えるなぁ!」

 爆笑された。ちくしょう、と小さくうめく。


 その時、はい止まりやがれ、と手錠を引っ張られた。手首が痛む。

 顔をしかめると、強引にアイマスクも外された。深良がつけまつげ使用者であったなら、間違いなく大惨事になっていただろう。


 深良と仁八が連れてこられたのは、どこかの民家だった。しかし中は荒れ果てており、置かれている家具と言えば、小さなテーブルとソファ、そして鉄パイプのベッドだけ。漂う匂いも埃っぽい。廃屋のようだ。


 荒廃具合よりも恐ろしいのは、テーブルに置かれた注射針と、ジップ付きビニール袋に入れられた、白い粉。またベッドの上のマットレスには、涎とは明らかに違う赤黒い染みも付着していた。背筋が凍える。


 いつの間にか、深良たちを連れて来た草人が消えていた。これ以上の長居は無用、ということか。残されたのは小太り獣人と、廃屋の先住者。

 ソファには二人、獣人の男が座っていた。一人は眼鏡、一人は筋骨隆々の大男だ。三人とも、キツネの獣人らしい。


 尖った耳を更にピンと立て、筋肉質の男が凶悪に笑う。

「学校サボらせて悪かったな、坊ちゃんお嬢ちゃん」

「俺、というか、俺の父に……用があるんですよね?」

 これまで無言だった仁八が、震える声を出す。血の気の失せた顔は白く、眼も潤んでいた。


 眼鏡の獣人が立ち上がり、深良たちをベッドに座るよう促す。

「察しが良いな。アンタのオヤジさんへの、脅迫材料にさせてもらう」

「テメェのクソ成金オヤジは、なんだっけ……あれよ、あれ、ほら──」

「隔離政策な」

 言葉に詰まった筋肉に、眼鏡が助け船。両者ともに、見た目通りの頭の出来らしい。


「それ! 隔離政策、推してやがるだろ」

 その単語は深良も仁八も、見飽きる程に目にしている。

 現在の混沌とした真倉瀬島を、各種族で居住区を分けた、秩序だったものにしよう!という建前で提唱された再開発案だ。島を二分した挙句、攻撃的な各種ビラがばら撒かれる原因でもあった。


 また、霊人以外の人間はもちろん、霊人の間からも「ただの種族差別ではないのか」、「結晶人を弾圧した、過去の過ちを繰り返すつもりか」と批判が上がっている。

 それでも再開発による旨味は大きいらしく、現在は賛成派が優勢とのことだった。


 深良も鳥人の友人と一緒に、反対派の署名活動には協力していた。

 結婚前の行動だったので、「友達と遊ぶのが大変になりそうだから、困る」程度の認識だった。だが、今は──


 深良の思考を断ち切るように、仁八が言葉を紡ぐ。

「父への圧力なら、なおさらこの子は放してあげて下さい……ただの友人なんです、ほんとなんですっ」

 手錠で自由にならない腕を動かし、仁八は上ずった声で深良を庇った。


「嘘つくなよ! さっきイチャイチャしてたじゃん。キャンパスライフってか? いいご身分だよなぁ!」

 小太りがマスクの下で鼻をぐずつかせながら、妬み混じりにがなった。深良は思わず身をすくめる。丸い体型なのに、ちっとも愛嬌がない。


 のっそりと仁八の前に立ち、筋肉質が笑った。

「彼女だろうと、ダチだろうと、別にいいんだよ」

 眼鏡もその後ろで頷いた。

「目の前で女犯されて、ギャーギャーわめているお前を撮って、父親に送り付けるのが目的なんだよ」

 深良と仁八が同時に、ひゅっ……と喉の奥を鳴らした。


「で、次はお前の息子も掘られちゃうよって、手紙付けて。心配すんな、ちゃんと病気持ちのヤローを、見つけてるからよ」

 それは彼の父にとって、即殺害されるよりも効果的だろう。深良の震えは、膝だけではなく全身に及んでいた。頬を、涙が一筋伝う。


 静かに泣く彼女へ、筋肉質は身をかがめて顔を寄せる。そしてにたにたと、下卑た笑みを浮かべた。

「のっぺらぼうのアソコは、締まりが良いんだってな──くっ、クッセェェェェッ!」

 が、ブリッジするように、筋肉質がのけぞって絶叫した。涙もTPOも忘れて、深良は傷つく。


「くっ、臭くないです! お風呂入ってます! 口臭も、たぶん、大丈夫っ」

「そういうことじゃねぇんだよ! お前、男くせぇんだよ! 獣人様の鼻、ナメるな!」

 とうとう尻もちをついて、筋肉質は出来るだけ距離を取ろう、と後ずさった。


「藤田の息子の彼女なら、男臭くて当然じゃあ……うわっ、くっさぁ!」

 顔を近づけた眼鏡も、たまらず飛び退った。

「この匂い、アイツの匂いじゃないか!」

「おいコラッ、ティンパニィーッ! このアマ、護花隊の悪魔野郎の女だっ!」

 悪魔とはおそらく、典都のことだろう。


 筋肉質にティンパニーと呼ばれた、小太りが耳を倒して頭をかく。

「え、そうなの? 俺、花粉症で鼻詰まってて分かんなかった」

「使えねぇなぁ、マジで! ってか草人のハーフなのに、なんで花粉症になんだよ!」

「だからさぁ、トンファー。俺、前にも言ったけど、自分の花粉でアレルギーが出るんだよ」


 ぐすん、とティンパニーは鼻を鳴らした。トンファーとは、筋肉質のことか。


「ちょっと近づいただけで、あの、黒鬼野郎の匂いがプンプンしてんじゃねぇか!」

 眼鏡もがなった。典都への蔑称は、どれだけあるのだろう、と深良はぼんやり考える。

 しかしハッとなり、隣に座っている仁八を庇う様にして、体を傾けた。出来るだけ声の震えを押し殺して、三人をねめつける。


「そうです、麻生の妻です!」

 つまぁ?と、仁八が小さく驚愕したが、この際無視して続ける。

「あたしをレイプしたり、藤田くんにひどいことしたら、あなたたち、絶対に許されませんよ! 麻生は、本当に愛妻家なんですから! それに、すっごく記憶力だって良いんですよ! あなたたちのこと、絶対に忘れません!」


 ちょっと言ってて虚しい嘘だったが、こんなに堂々と「妻」と名乗れたのは、初めてだった。

 深良の怒声に少したじろぎ、三人組は顔を合わせる。


「えっ、学生結婚……?」

「しかもあの、泣く子の息の根も止めそうな、クソ人相と?」

「嘘だと思うなら、住民票でもなんでも調べなさいよ! ここの住所は? どこなの?」


 一番押しが弱いと思われるティンパニーに狙いを定め、顎をしゃくって深良はまくし立てた。

「えっ、と、東区の徒花あだばな通り……」

 たどたどしく、ティンパニーが答える。


「だったら十五番バスで、すぐ市役所に行ってきなさいよ! そうしたら分かります! ほらほら! さっさと行く!」

「でも、ここからバス停まで、結構あるし」

「どれぐらいかかるの?」

「うーん。歩いて、十五分ぐらいかなぁ」

「それぐらい歩きなさい! だから太るのよ!」


 ちがいねぇ、とトンファーが笑った。だが眼鏡は、目を細めて舌打ちする。

「ティンパニー。喋り過ぎだ。もし逃げられたらどうすんだ」

「大丈夫だって、カンテラ。手錠かけてるし」


 カンテラという通称らしき眼鏡は、苛立たしげな態度を崩さない。

「足も縛っとけよ」

「だって、犯す時に大変じゃん……あ、でも、アイツの奥さんだったら、帰した方がいいのか?」

「俺らがヤッたってバレなきゃ、問題ないだろ。中出しすんなよ」


「残念でした。護花隊には、獣人もいますよ。匂いで足、付いちゃいますよ」

 仁八の上に覆いかぶさったまま、深良が揚げ足を取る。ぐ、とカンテラとトンファーが唸った。

「……めんどくせぇ。とりあえず、口塞いで転がしとけ。薬漬けにするなり、外地に売るなり、後で考えようぜ」


 トンファーがティンパニーへそう告げ、目配せをする。お役所のような結論の先延ばしに、カンテラも渋い顔で頷いた。

「携帯ももちろん、取り上げてんだろな?」

「もちろ……ん? あれ?」


 胸を張りかけて、ティンパニーが視線を宙に彷徨わせた。ぼんやり固まったティンパニーの姿に、トンファーとカンテラが顔を再度見合わせ、そして何かを察した。


 続いて二人そろって、濁流のように深良へ殺到する。彼女の髪をひっつかみ、ぐいと仁八から引きはがし、床へ叩きつけた。

 深良が伏せていた仁八の膝から、通話状態になっている携帯端末が転げ落ちる。画面に表示されている、通話相手の名前は「典都さん」。


 三人の顔から引いていく、血の気の音が聞こえたような気がした。

「終わった」

 誰かが呟いた。

 しかしその声は、玄関の硝子戸を叩き割る金属音に、ほぼかき消された。

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