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8:夫の秘密

 どうやら典都は近所のコンビニエンスストアまで、朝も早くから駆け込んでくれたらしい。

 冷蔵庫の中には、冷え冷えのスポーツドリンクとプリンもあった。


「あ、固めだ」

 プリンのパッケージを眺め、深良は顔をほころばせる。なめらか、絹ごし、と表現されるとろとろプリンが、あまり好みではなかった。

 卵の風味も食べ応えも十分の、素朴な味わいのプリンが好きであるため、典都の選択は最良のものだった。


 またお粥には、野菜と鶏もも肉も混ぜ込まれていた。

 野菜は小さく細切れにされ、鶏肉も細かく裂かれていた。どうやら鶏肉は一度茹で、繊維に沿って裂いた後で、再び鍋に戻したようだ。芸が細かい。


 味付けは塩だけだったが、それらの出汁のおかげで、物足りなさはない。

 おまけに鶏の灰汁まで、丁寧に掬い取られている。


「……家政婦、要るのかな?」

 自分用の茶碗によそったお粥を食べつつ、深良は眉をひっそり寄せた。


 そうなのだ。実のところ同居して以来、その点が気になっていたのだ。

 必要最低限の物しか置かれていないことも手伝い、室内はどこも、小ざっぱりとしている。

 深良が引越しして来る前から、食器棚には来客用の食器一式も揃っていた。


 そしてこの、お粥から漂う几帳面さ。

 家政婦を必要とするような人間が、生米からお粥を作れるだろうか? おそらく、無理だろう。だからこそ、人の手を求めているのだ。

 ひょっとして、深良に好意を持っているため、結婚を持ち掛けたのだろうか、とも考えたことはある。


 だが、それも少し、無理があるように思えた。

 彼には肉体関係を求められるどころか、昨夜まで触られたことすらない。

 それも額に手を当てただけで、謝罪までされている。

「分かんない」

 お茶を一口飲んで、ぼやく。


 恋愛関係に関する経験値が、深良は圧倒的に足りない。友人関係に対しても、広く浅くがモットーであるため、親友と呼べる人物すら皆無なのに。

 性別も年齢も種族も違う人物の、心を推し量るのは難しかった。

 考えても、推論すら浮かぶ気がしない。


「もういいや」

 更に一言ぼやいて、考えを打ち切った。

 同時にお粥を食べ終わり、お椀に箸を乗せる。手を合わせ、小さく

「ごちそうさまでした」

と呟く。


 そして食器を両手で持ち、流しに向かう。水を張った洗い桶に、箸とお椀を沈めた。

 空になったグラスには、少し行儀が悪いが、蛇口直送の水道水を入れる。そして、市販の風邪薬を口に放り込み、カルキの香りがする水で流し込んだ。

 風邪薬には「どの種族の方も、ご利用いただけます」と書かれているが、ドラッグストアで一番安い薬でもあったので、今一つ信用できない。


「プラシーボ効果もあるし、良くなると信じよう。プリンをご褒美に、ちょっと寝よう」

 言い聞かせるよう声に出し、大きく頷く。


 が、部屋へ方向転換しようとして、足が止まった。

 コンロに置かれたままになっていた、鍋を覗きこむ。

 とても美味しかったので、お粥は半分ほど、ぺろりと平らげていた。

 残り半分なら、鍋に入れたままよりも、茶碗に移しておいた方が良い気もした。冷蔵庫にも入れやすい。


 深良は手早く、先ほど使った茶碗と箸を洗い、茶碗の水気を拭い取る。そこへ、残ったお粥を流し込む。幸い、粗熱は取れていた。

 冷蔵庫に入れても構わないだろう、と判断し、ラップのある調味料棚に手を伸ばした。


「あ、しまった」

 深良の頭の位置にある棚を覗き、顔をしかめる。そうだった、ラップを切らしていたのだ。

「昨日買おうと思ってたのに……なんで忘れちゃったんだろう」

 あーあー、あたしの馬鹿、と天を仰ぐ。独り暮らしが長いと、どうにも独り言が多くなるものだ。


 そこで、気付いた。

 シンクの上部に備え付けられた調味料棚には、そういえば上段もあったのだ。小柄故、天井を見るまで気にしたこともなかった。


 何か代わりになるものがあるかも、と椅子を引きずって来て、その上に立つ。

 気を利かせたつもりが、なんだか余計に手間を掛けてしまっているような、と薄っすら考えながら、観音開きの棚を開いた。


 中には非常食らしき缶詰と、それから、奥には缶入りクッキーもあった。

 缶詰はともかく、おばあちゃんの家にありそうなクッキーを、典都が食べている姿は想像できない。


 意外性に驚き、つい、クッキーに手を伸ばした。丸い蓋を、ぱかりと開けてしまう。

「ひぇっ」

 そして、光の速さで閉じた。

 中に入っていたものは、子供が喜ぶお菓子ではなく、男が喜ぶ映像の類だった。


「……自分の部屋に隠してよ、あの巨神兵!」

 その上背から密かに連想していたあだ名を、つい口走ってしまう。

 典都もまさか、椅子に登った深良に見られるとは思っていないだろうから、仕方ないのだが。むしろ、普段は気にも留めない、見ようとも思わない場所なので、隠し上手と言えば隠し上手だ。


 それでも不意打ちで見てしまった、名も知らぬ女優のあられもない姿に、変な汗をかいてしまった。一瞬だったが、どピンクかつ恐ろしく丈の短いナース服を着ていた気がする。乳丸出しだったので、少し自信はないが。


 棚の取っ手を握りしめたまま、うなだれて息を吐く。本当に、余計な気を回すんじゃなかった。

 しかし、どうやら。

 以前勘ぐってしまったが、典都は同性愛者ではないようだ。カモフラージュで置いているとしたら、それこそ自室の分かりやすい場所に隠すはずだ。


 そのことに、深良は少しばかりホッとしてしまった。

「ひょっとして……あたしは好きなのかな」

 彼のことを。

 安堵する自分を見つめ、つぶやきを漏らす。なんだかそれは、不本意過ぎる結論でもあった。


 優しくされてすぐ好きになるなんて、自分が疎み続けていた両親のようじゃないか。

 考えるや否や、深良の内側に悔しさが沸き上がる。自分への怒りも。

 驚いたし悔しいし腹立たしいしで、クッキーの蓋を少し開けたままにしておく。


 知っているぞ、という小さな示威行為だ。

 なおラップの代わりとして、アルミホイルを使った。

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