目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
6:夜の帰り道

 その後はつつがなく、飲み会が続いた。

 二人のなれそめは典都が、「レンタルショップ店の店員と客だった」と、当たり障りのない事実だけをさらりと告げた。

 最大級に照れてブチ切れたのが功を奏したのか、あまり新婚生活について、つつかれることはなかった。いや、これはモヒカン集団の時同様、典都の眼力によるものかもしれないが。


 その後は優枝の大ファンだという真昼が、典都の食べるだし巻き卵を羨んだり。

 そして彼女の給仕を期待して、秋鮭の蒸し焼きを注文するも、持って来たのが店主で落胆したりと、色々あったが。


 おおむね、楽しい飲み会だった。料理も全て、手間も時間も惜しまない、丁寧な味わいのものだった。

 つまりは大満足、というわけで。


 全員の飲食代を負担してくれた砂場には、重ねて礼をしつつ、徒歩で帰る夫の同僚たちと笑顔で別れた。

「大半が独身だから、どうせこのまま二次会に行くんだろう」

 すっかり出来上がっている部下──およびそれに同伴する所帯持ちの上司に、典都は少し呆れた視線を送っていた。


 意外に感情豊かな人だな、と深良は彼を見上げていた。表情の振り幅が小さいので、ひどく分かり辛いけれども。

 感心する代わりに、深良は微笑む。


「自分だって、ついこの間まで独身だったじゃないですか」

「そう言えばそうだな」

 納得したように深く一度頷いて、典都は視線だけこちらに向ける。


「車は本部に停めたままだが、歩けるか?」

「乗せてもらえるんですか?」

「乗せてもらえないつもりだったのか?」

 心外そうに、目が少し細められた。


 茶ノ庵から本部まで、十分程度だ。歩きやすさ重視の靴を選ぶ深良にとって、苦もない距離だ。

「それじゃあ、ありがとうございます」

 深良は素直に頭を下げた。


 それを見とめ、典都が先だって歩き出す。無言だが、歩調は心なしかゆっくりだった。

 三歩下がって……という程ではないが、深良も一と半歩ほど後ろを歩く。


 雑多に種族が入り乱れるこの街には、当然夜行性の人々も大勢生活している。

 だから真倉瀬島は年がら年中朝から晩まで、どこかで明かりが灯っていた。

 星空だけは、一生満足に楽しめない島だろう。

 しかし色とりどりのライトが彩る、夜の街も深良は好きだった。

 獣人風、草人風、鳥人風……建築物も、各種族の文化が混在している。結晶人だけは、総数も少ないので、あまり風味が見当たらない。少し残念だった。


 深良はきょろきょろと、目を丸くして辺りを見る。

 ふ、と典都が振り返って小さく笑った。

「どうしました?」

「顔が」

「はい?」

 彼が歩を止めたので、深良も立ち止まる。背筋もぐっと伸ばした。短身と長身の凹凸コンビであるため、顔を合わせるのも一苦労だ。


 小鳥のように首をかしげる深良の顔を、典都は指さした。

「顔が、まるでおのぼりさんだな」

「えっ」

「興味津々、と書いてあった」

 ここに、と典都は自分の頬に指を当てる。


 大きく慌てて、深良は頬を押さえた。

「だって、この辺り、普段は出歩かないから……」

 くつくつと、喉を鳴らして笑う彼へ、へどもどと弁解した。

「それに、夜はあまり一人歩きしない方がいいって、地元の友達も言ってたし」

「そうしてもらえると、俺も助かる。決して治安の良い街ではないからな」


 たちまち表情が消え、典都の声音は業務的なものになる。そのことを少しばかり、深良は残念に思ってしまった。

 賑やかだった飲み会の名残が、そんな気持ちを想起させたのだろうか。


 だからつい、何てことない、他愛のない話題を繋いだ。

「優枝さん、でしたっけ。店員さん、とっても綺麗でしたね」

「ああ、ウチにもファンが多いな」


 典都は藍色の空を、ぼんやり見上げた。

「あいつ──真昼が特に、熱を上げてるな」

「でしたねぇ」

 再び歩き出しながら、深良も思い出し笑いをする。


 猫の獣人であるはずなのに、どぎまぎと優枝の一挙一動を追いかける姿は、遊び盛りの子犬に近しかった。

 うつむいてクスクス笑っていた深良だったが、何かを思い出して顔を上げる。そして典都との距離を詰め、彼の顔を覗きこんだ。


「典都さんは、どうなんですか?」

 彼の鋭い眼光が、驚きで薄らぐ。

「どうと言われても。俺は既婚者だが」

 ぱちくりと、深良は瞬きをした。

「……あ、そうか」

 全くもってその通りだ。建前上の結婚とはいえ、深良は彼の伴侶なのだ。


「酷い奥さんだ」

 なんだか居たたまれなくなり、深良はついとうつむく。頬も熱い。

 いや、熱いのは頬だけではなかった。頭も熱に包まれ、かすかではあるが鈍痛もする。

 気付いた途端、喉を、粘り気のある痰がふさいだ。

 背を丸め、深良は痛々しい咳を大きく繰り返す。


「おいっ、大丈夫か?」

 病的なその音に、典都も腰をかがめて深良の様子を見つめる。

 咳が収まらないため、深良は頷く素振りだけを繰り返す。

「だいじょう、ぶ。ちょっと、風邪気味で」

「熱は……熱いな!」

 遠慮がちに深良の額に触れた典都が、びっくりするぐらい大きな声を出した。なんだこれ、と繰り返して、彼女の顔をペタペタペタペタ触る。


 されるがままの深良はむしろ、典都の手の冷たさにびっくりしていた。それから、頬越しに伝わるツルリとした感触にも。


 結晶人は、石の肌を持つとは聞いていた。

 それは陶器のようなのに、命を持つ者特有の柔らかさも、たしかにあった。とんでもなく心地の良い肌触りであることは、間違いない。


 こんなベッドがあればいいのに、と思いつつ、控えめに彼の手を引きはがした。

「あたしは多分、微熱ぐらいだと思います……典都さんこそ、冷え性ですか?」

「いや、俺は別に」

 かすかに困惑する典都を見上げ、はたと気付く。距離が、ずいぶんと近かった。


 闇色の目が、街灯の淡いオレンジの光を灯している。

 男性と、ここまで近づいたのは初めてだ。

 そのことに思考が及び、深良の身が縮こまった。彼女の緊張に気付き、典都も一歩距離を取った。そして目をそらす。


「すまん」

「いえ、そんな、あたしは」

 言葉が続かなかった。

 もう一度、深良はうつむく。どうしても他人なんだ、と思い知った気がした。


 典都も遠くをにらんで黙りこくったが、何かに気付いて眉を持ち上げた。

「そうか、平熱が違うのか」

「えっ?」

 再び、二人の視線がかち合う。


「君たち動物由来の人間と、俺たち物質由来の人間とでは、体温に差があったはずだ」

 結晶人の平熱は、霊人と比べると二、三度低いという。初耳であった。


 ようやく深良は、毎夜毎夜のうすら寒い浴室の謎が解けた。

「もっと早く、言っておけば良かっ──へくっ」

 深い悔恨のつぶやきは、語尾をくしゃみでかき消された。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?