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5:マッチョと飲み会

 青年の名前は原野はらの 真昼まひるというらしい。典都の部下であるという。


 典都が役職付きだったことには一瞬驚いたが、すぐに納得した。

 結晶人はとかく頭の良い種族だ。記憶力が桁違いだと言われている。

 また、非常に合理的な考えの人間も多いため、高給取りの職に就いている者も多いという。優秀さと異質さと人口の少なさが、他種族全体からのやっかみと偏見を増長させているのだ、と大学の史学教授は語っていた。


 真昼によると、典都の結婚は護花隊内で大きなニュースとなっているらしい。

「総務の子が、配偶者手当のことで質問されたって驚いて、僕たち一班に教えてくれたんですよ」

 個人情報が筒抜けだが、大丈夫なのか護花隊。


「だけど班長は、何訊いてものらりくらりだし。いやー、会えてよかったです!」

「いえいえ、恐縮です」

 深良本人は典都の仕事仲間に会いたいなどと、微塵も思っていなかった。

 しかしここまで喜ばれるなら、悪い気はしない。典都が先ほどから無言なのが、少しばかり怖かったが。


 隣に座る典都を、横目に盗み見る。

 しかしばっちり気付かれ、典都がじっと見返して来た。真っ黒な黒曜石の瞳に、しばし目を奪われる。なんだかブラックホールみたいだ。


 が、すぐさまハッとして、小さく頭を下げた。

「すみません。飲み会、開いて頂いて」

 そうなのだ。

 真昼に捕まった後、典都の部下だという一斑の面々が続々やって来た。こいつら仕事はどうしたんだ、とは思ったが、屈強な男を相手に嫌味を言えず。


 曖昧な笑顔で典都の帰還を待ち望んでいると、まさかの護花隊統率者である隊長まで現れ。

「朴念仁にやっと、こんな可愛いカミさんが出来たんだ。祝わずにはいられない!」

 それが鶴の一声となり、急きょこの場が設けられた。繰り返すが、仕事はどうしたんだ。


 布おしぼりで手を拭きながら、典都は少し口角を下げた。

「こっちこそ、すまん。無理やり誘って」

「いえ、そこは気にしないで下さい。皆でわいわいご飯を食べるの、好きですから」

 それは本当だった。友人たちと安居酒屋に集まって、ささやかな飲み会を行うことはむしろ、好きの部類に入る。


 残念ながら今回は、四方を見知らぬマッチョに囲まれているが。それでも悪意を向けられることはないので、居心地はさほど悪くない。

「それにお店も、素敵な雰囲気ですね」

 和風の店内をぐるりと見渡し、深良は笑った。これも本音だ。


 護花隊本部にほど近い場所にある、小料理屋「茶ノ庵ちゃのあん」は、小ぢんまりとしているが「ここ、絶対に美味しいぞ!」オーラを漂わせていた。

 清掃の行き届いた店内に、壁に貼られたお品書きの、美麗な手書き文字。


 加えて、カウンター上に並べられたお惣菜の数々も、全て見目と香り良しだ。

 護花隊の面々にとっては行きつけの店らしく、皆勝手知ったる様子で、そのお惣菜を小皿に盛り付けている。果ては、勝手に酎ハイのサーバーまで動かしていた。自由だ。


 深良の前にも、照りのある里芋のそぼろ煮が置かれた。

「若奥さんは、苦手なものある?」

「なんでも好きです。ありがとうございます」

 配膳してくれたのは、あろうことか護花隊の隊長だ。一際体格の良い、狼の獣人である。その顔は深良も、地方紙やローカルテレビ番組で見かけたことがある。


 隊長の砂場すなば 明日太あすたは、真倉瀬島の生きる英雄と呼ばれている。なんでも彼が隊長に就任して以来、犯罪件数がガクンと減少したらしい。おかげで島の観光地化にも貢献しているそうだ。


 深良はせめてお酌だけでも、とビール瓶に手を伸ばすが、それは真昼に取り上げられる。

「主賓なんですから、座ってて下さいよ。お酒飲めますか?」

 年上に酌をしてもらうのは気恥ずかしいが、ここは遠慮なく甘えておくことにした。グラスを傾けて、差し出す。


「はい、そこそこ」

「『そこそこ』って答える人に限って、かなりの酒豪だったりするんですよね」

 にんまり、と真昼が嬉しそうに笑った。こいつも酒好きだな、と深良は判断する。ビールの注ぎ方も見事であったため、疑念は確信に変わった。


 典都も主賓──のはずなのだが、あれやこれやと周りに世話を焼いていた。カウンターのお惣菜を等分に盛り付け、他のテーブルの部下にも配っている。几帳面な性格がよく出ている。


 深良にも、茄子の煮びたしと、インゲンとササミの胡麻和えを持って来る。ついでに、花模様の和紙で作られたお品書きも。

「他にも何かあれば、好きに頼め。どうせ全員、勝手に食べて飲むだけだ」

「ありがとうございます」

 あんまりな言い草に、かえって吹き出してしまった。典都もそれを見とめ、わずかに口元を緩めた。笑った、のだろうか。


 深良の隣に座りなおした彼の前へ、ウーロン茶がなみなみ注がれたジョッキも置かれる。置いたのは真昼だった。

「班長はウーロン茶でしたよね」

「ああ」

 どちらも慣れた様子で供し、受け取っている。そういえば、典都は車通勤だったか、と深良はおぼろげな記憶を引っ張り出した。そうしながら、お品書きをぺらりとめくった。


 中も、店の壁に貼られているものと同じ、手書きの文字だった。

「字が綺麗だと、余計に食欲そそられるなぁ」

「ありがとうございます」

「ぅひゃっ」

 独り言に礼を返され、深良はビックリして後ろを仰いだ。ホカホカのだし巻き卵をお盆に載せた、純白の羽の女性が立っている。


 彼女は美の女神か天使だろうか、と深良は眩暈を覚えた。それぐらい、とんでもない美人だった。

 鳥人は美形が多いと言われているが、それにしてもこれは凄まじい。美しさでかえって、目がつぶれてしまいそうだ。淡い紫のワンピースと、これまた真っ白なエプロン姿が、清楚さに磨きをかけている。


 惚けて彼女を見つめる深良に、何故か砂場が嬉しそうに身を乗り出した。

「別嬪さんでしょ?」

「はい、びっくりしました」

 うっとりと、深良は頷く。別嬪さんは照れ臭そうに、ついと視線を落とした。その様も、絵になる。


「彼女は、ここの看板娘の優枝ゆえちゃん。店長さんの一人娘なんだよ」

 まるで自分の娘かのように、砂場はえへんと胸をそらした。

「隊長のお子さんじゃないでしょう。ところで娘さんと、仲直りしたんですか?」

 深良の感想を掬い取るように、典都が揚げ足を取る。


「うぐっ」

「娘さんのリコーダーの上に座って、真っ二つに折ったんですよね」

「何故、何故そこまで……私の家庭事情に詳しいんだ!」

 淡々と上司の恥部を語る声音に、砂場は泣きそうになっていた。


「この間隊長さんが、ここで、酔って泣きながら仰っていたじゃないですか」

 女神改め優枝が、困ったように笑いながら、注釈を入れた。そして、ほかほかだし巻き卵を深良と典都の間に置く。卵を最低四つは使っただろうと思われる、圧巻の逸品だ。


「麻生さんのお好きな品なので、奥様も是非」

「ありがとう、ございます」

 核爆弾級の美人なうえに、声も清流のようだ。へどもどと、深良はお辞儀をするしかなかった。

 同じ性別に生まれてしまったことが、ほんの少し口惜しいというか、恥ずかしくもある。


 しかしそれに気付く様子もなく、優枝は長いまつ毛に縁取られた瞳をじぃっと、深良に向けていた。

 圧倒的美で殺されるのか、と深良はのけぞる。

「あのぅ……?」

「奥様、本当に似ていますね」

 話が呑み込めず、深良は目を白黒させる。何に似ているのか。子供向けアニメに出てくる、人語を解する小動物っぽい、と言われたことはあるが。


「そうでしょう」

 だし巻き卵を半分に割りながら、典都は万事ご存じ、という風だ。半分に割ったものを更に四分割し、一つを自分の小皿に載せている。深良も香りに負け、残された半分に手を伸ばした。

「あの、似てるっていうのは……」


 卵を割りつつ、優枝と典都と、ついでにだし巻き卵を替わりばんこに眺めた。

 お盆を胸に抱き、優枝はウフフと笑った。

「一昨日お昼に来られた時、麻生さんから、奥様は幼心の君に似ているって伺っていたんです。本当にそっくりで、お可愛らしいですね」

「あぅ……」

 たまらず、深良の頬は熱を持った。危うく箸も落としそうになる。


 幼心の君は、『ネバーエンディングストーリー』という映画に出てくる、象牙の塔に住む女王様だ。古い映画ではあるが、深良もレンタルショップで糊口をしのぐ者。もちろん鑑賞済みだ。

 幼心の君は女王の地位にあるものの、見た目は名の通り、あどけない女の子。

 おまけに、かなり可愛い。儚げな、身を呈して守りたくなる可愛さの持ち主だ。


 なお、この映画には続編が二本あるのだが、基本的にそれには触れないのが、映画ファンの間ではマナーとなっている。また映画の存在自体、原作ファンからは許されていない側面もあるので、結構センシティブな作品でもある。


 それはともかく。映画に対する原作者の憤慨等々は置いておき、深良の容姿を典都が褒めていることは事実だ。

 しかも、第三者を経由して、というのが非常にこっ恥ずかしい。おかげで、見ず知らずの優枝に気を使わせ、おべっかを言わせてしまった可能性も高い。


「似てないっ、似てないですっ! 良くて竜のファルコンです!」

 赤くなった頬に手を押し当てて隠し、ぶんぶん首を振る。脳内には、白い毛の生えた犬面の竜が、テヘッと舌を出していた。

 卑屈というか屈折気味の自己評価に、優枝が口元に手を添え、小さく笑った。


「奥様、奥ゆかしいですね」

「そうなんです。そのくせ最初に会った時、『ネバーエンディングストーリー』のDVDを陳列していたので、『女王なのに手売り商法かよ』と思いました」

 ひどく生真面目な面持ちで、典都が頷く。しかし、こちらをからかっているのは明白だ。


「知りませんよ! 典都さんの個人的な感想でしょ!」

 泣きたい気持ちで、深良は少し声を荒げた。

 結晶人の記憶力を、今日ほど恨んだことはない。恥ずかしさで爆発出来るなら、彼もろとも四散したい、と深良は強く願った。


 周囲の隊員も、一様に携帯端末で何かを調べ、合点がいったという顔を深良に向けて来た。

 ついでに、ニヤニヤと生温かい眼差しも注がれる。

 何を調べていたのかなど、見なくても分かる。この店もろとも、自爆したい。


 恥ずかしさで爆発する代わりに、深良は叫んだ。

「でっ、典都さんのロリコン!」

「はぁっ?」

 ウーロン茶を飲んでいた典都が、目を剥いた。こんな驚いた表情、初めて見たかもしれない。


「何故そうなるんだ」

「だっ、だって、幼心の君、子供だもん!」

 自分の口調の方がずっと子供っぽいと、言ってから気付く。


 しかし後悔する間もなく、ドッと沸き上がった笑い声に包まれた。

 隊員たちが、のけぞって大笑いしている。優枝も上品に、しかし心底面白そうに笑い声を上げていた。

「たしかにそうだ!」

 大笑いする筆頭株主は、砂場だった。娘の件に対する、ちょっとした仕返しだろうか。


 しかし他の面々も、手を打ち鳴らして盛り上がっていた。

「班長、未成年に手を出すのは止めてくださいよー!」

「やだよ俺ー、班長に手錠かけるのやだよー」

「っていうか班長、顔怖いから! 幼女に声かけるだけで事案ものっすよ!」

「あ、奥さん! 手錠要ります?」


 ともあれ、これで幼心の君の一件は、どうにかうやむやに出来た気がする。

「ロリコンじゃない」

 不本意そうに呟く典都には申し訳ないが、深良も自爆テロを行うか否かの瀬戸際に立たされていたのだ。許してほしい。

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