船を降り、小さなキャリーケースをコロコロ転がし、深良は中心街から少し離れた「レンタルショップ 四十二番地」に向かった。
途中で、極彩色のチラシの束が壁面を埋め尽くしていた。
「あ、再開発のか」
無意識にぽつりと呟く。島は現在、再開発に関して意見が二分している、少々剣呑な雰囲気を漂わせていた。
しかしただの大学生に出来ることなど、たかが知れており。そして今出来ることは、攻撃的なチラシの文章に、肩をすくめて先に進むことだけだった。
ものの数分で、目的地の「四十二番地」が見える。
ちなみに店名に反して、店の住所は四十二番地にない。布里絵のことは慕っているものの、このネーミングセンスはどうなのだろう、と深良は考えなくもなかった。
キャリーケースを片手で握ったまま、そっと扉を開けて中を覗く。
幸いにして、人はまばら。レジの前にも客はなし。
眼鏡をかけて店番と読書をこなしていた布里絵が、ひょいと眼鏡を持ち上げて深良を見つける。そして、にんまりと破顔した。
「おやおや、深良ちゃん。ずいぶんと早かったじゃないか。もっと実家で、ゆっくりしても良かったんだよ?」
レジの前までキャリーケースを転がし、深良は一度、ぺこりと頭を下げる。
「ただいまです、布里絵さん。諸々ゴチャゴチャしてたので、叔母さんたちに任せました。あたしがいても役に立たないですし……それにこっちの方が、落ち着けますから」
猫っ毛のボブカットを揺らし、深良ははにかむ。
深良の帰省の事情は、布里絵も知っている。そんなものかね、と彼女も控えめに笑った。
「私としては正直、あんたがいてくれると助かるよ。そうだ。家に戻る時は、お清めの塩だけは忘れないように……あ、でも、私には振りかけないでくれよ」
植物から進化した草人は、塩分に触れると肌荒れを起こす。小さな広葉の生える白い綿毛頭を撫で、布里絵はわざとらしくしかめっ面になった。
「布里絵さんにはかけませんって。もちろん玄関中には、目いっぱいばらまきますよ。借金をこさえられた上、家にまで入られたんじゃ、たまったもんじゃないですから」
さらりと不穏なことを言われ、布里絵は小さくむせた。そして、気遣わしげに深良を見つめる。
「……借金かい」
「はい。どちらも相当な額を、年下の愛人に貢いでたみたいです」
頭髪と同じ、真っ白な眉がきつく中央に寄せられる。
「なんという親だ。理解に苦しむ」
「ですよね。我が親ながら、頭が痛くなりました。で、そんなわけで、次の授業料すら払える目途が立ってないんですよ。いやぁ、困った」
憤慨やるかたなし、といった布里絵とは対照的に、深良はいっそ爽やかな口調だった。肩もわざとらしくすくめ、あは、と乾いた笑みすら浮かべる。
あまりにも嫌なことが立て続けに起こり、不幸に対する感覚が麻痺しているのかもしれない。
学資保険すら解約されていた、という事実がとどめになったのだろう、と自ら分析する。
それはつまり、二人にとって実子よりも愛人が大事だった、ということなのだから。
せめて金持ちと付き合って、貢いでもらえよ、と思わなくもなかった。
いささか変わり者だがお人好しの布里絵も、深良の晴れ晴れとした顔を痛ましげに見つめる。が、何かを閃いたらしい。わずかに表情が明るくなる。
「しかし大学には、学費免除の制度もあるんだろう? うちの孫から、聞いたことがあるよ」
「そう、ですねぇ……」
うーん。深良は低くうなった。
「……特待生制度もあるんですけど、調べたら、成績がオール『優』でないと駄目みたいで」
真倉瀬大学は、在学生の種族の多様さが異彩を放っているが、それでも歴とした難関国立大学であり。
そこまで、条件が生温いわけではなかった。
「一応、他にも学費免除制度はあるんですが……」
人差し指に髪を絡め、深良はわずかに頬をむくらせる。彼女にとってはむしろ、そちらの方が無茶苦茶な条件を突き付けていた。
真倉瀬島は霊人以外の、いわゆる「劣人」という蔑称に該当する人々が大多数を占める島だ。
しかし島としては、霊人の比率も増やしたい。そして、他地域との人口の逆転現象を解消したい、と考えていた。
そこで大学は、『島民と結婚し、その後十年以上島に住み続けてくれる霊人に限り、学費を免除』という制度を設けていた。かえって四方八方に差別をまき散らしている制度のような気もするが、今の深良にとっては天の助けにも思える。
「大学も、思い切ったことをするね」
ひゅう、と布里絵が口笛を吹く。そんな彼女に、深良は苦い表情。いや、困った顔か。
「……だけどあたし、彼氏がいたこともなくて」
「おやおや……」
心底残念そうに、深良は肩を落とす。
つられて布里絵も、気の毒そうにハの字眉となる。そして、低くうなる。
「私の知り合いに、良い縁談がないか、掛け合ってみようかい?」
「いえいえ! そこまでは!」
遠回しに布里絵へプレッシャーをかけたらしく、深良は両手を大きく振った。
「なんちゃら育英会とか、探せば色々あると思いますし! とりあえず、今期分は納金済みですから、少し考えてみようかなって」
「しかし……そう言っても、仕送りもなくなったんだろう?」
「……ええ、まあ」
極々わずかではあったが、両親からの援助に助けられていたという事実は大きい。深良も、年の割に幼い顔を引きつらせる。
元来がお人よしの布里絵は、その引きつり笑顔で、実はかなり追い詰められていると判断した。レジを挟んで、深良へ身を乗り出す。
「だったら、せめて私の家で下宿しちゃどうだい? 生活費は浮くわけじゃないか。うちの人も、孫娘が増えたと喜ぶだろうよ」
深良は、のけ反らんばかりに驚く。
「だめっ! そんなの、申し訳ないです! 最悪、学校辞めれば、どうにか食べていけると思いますし!」
「そうは言うけど深良ちゃん、ここに通うのが夢だったそうじゃないか」
「でもっ、人様に迷惑かけてなんて、そんな──」
「すみません」
第三者の声に、二人は飛び上がらんばかりに驚いた。そうだった、ここは店内だった。しかもまばらであったが、客はいたのだ。
そのことを今さら思い出し、深良の頬が赤くなる。
恐々と振り返った彼女の後ろには、長身の男性が立っていた。この店の常連で、名前は
陶器のように均一な色味の肌から、彼が結晶人であることが見て取れた。瞳も、黒曜石のように深い黒色だ。
身長と、作り物めいた無表情さの印象が強く、深良が真っ先に顔と名前を覚えた客だった。結晶人はこの島内でも、霊人以上に人口が少ない。
典都の手には、新作DVDが三本あった。
「あっ! お待たせして、すみません!」
接客業の顔になり、深良が布里絵に代わってDVDを受け取ろう……としたのだが、典都はなぜか腕を引っ込めた。
なんだろう、と彼の顔を見上げ、深良はややあって自分の出で立ちに気付く。
「ああっ、ごめんなさい! 葬式帰りなもので。縁起悪いですね」
「いえ、先ほどの話ですが」深良の服装に難色を示した、というわけではないらしい。
淡々とした彼の低い声に、深良は数度瞬きする。
「先ほどの、って?」
「島民と結婚すれば、真倉瀬大の学費が免除になると」
「……え、あ、はい」
こくり、と頷いた彼女に、何故か典都も頷き返した。
「よければ、俺の戸籍を使ってください」
「……はぁ……は? えぇっ!」
「なぁっ? 典都君、あんた……何を言っているんだい! 戸籍はDVDとは違うんだよ! ぽんぽん貸すものじゃない!」
深良も布里絵も、素っ頓狂な声をあげる。
それにも淡白な顔のまま、典都は続ける。
「仕事柄、家のことがおろそかになるため、ハウスキーパーを雇うべきか検討していたもので。酉島さんさえ、家事が苦でなければ、是非」
──彼の仕事は確か、この島の自警団だったはず。一度、制服で来店したのを覚えている。
──アルバイトの苗字も覚えているのか。几帳面だ。
そんな、どうでもいい考えがよぎったが、深良に否やはなかった。
店内でしか接したことはないが、礼儀正しく返却日を守る彼は、良心的な客であった。
また、仮にも島の治安を預かっている人間だ。おそらく、そこまで酷い扱いは受けないだろう、という希望的観測からの結論だったが。
もちろん、仮に否があったとしても、それを表明できる身の上ではなかった。
「えっと、あの……それじゃあ、お願い、します」
こうして深良は両親の死後、四日目にして人妻になった。
恋愛体質だったあの両親にして自分ありだ、と少し自嘲しながら。